最近、図書館でこんな本を見つけて読んでみました。
※私のブログにしては珍しく9枚の写真を選んで載せました。もっと載せたいのですが・・・
※この本は「戦争は終わっても終わらない」人たちとフォトジャーナリストとの対話です。個人写真が多いため、このブログでは抽象的な風景を中心にしました。
※大石芳野(1944年~)・・・日本大学芸術学部卒、ドキュメンタリー写真家、土門拳賞受賞、世界平和アピール七人委員会委員、常用機材はライカM6とか。
戦後70年。10年ひと昔といわれますから、沖縄戦争もヒロシマもナガサキも大久野島の毒ガスも旧満州の731部隊の細菌兵器の人体研究も、波照間島の人たちの集団マラリア羅患の話しも、ビキニ環礁の水爆実験の被曝ももう大昔の話です。
ほとんどの人が経験もしたこともなければ想像もできない世界の話しのようです。わたしも本や写真や映像で知ったり戦跡や記念館で見聞きしたりするだけです。
もうわずかな人しかあの戦争を知っていません。そして、あの戦争で体や心に傷を負った人たちにとって戦争は終わっていません。
歴史の史(ふみ)とはフミトと呼ばれる文官の手で出来事を文書にしたものです、ある程度の観点(史観)が盛り込まれますが、写真は文字通り・・・真実を写したものです。
わたしたちにはそれを後世に語り継ぐ責任があります。
大石芳野写真集「戦争は終わっても終わらない」(藤原書店 2015年刊)
長崎・広島・東京大空襲・国境の外に・沖縄・・・を撮った214頁に及ぶドキュメンタリー写真集です。
戦後70年といわれるこんな時代に、戦争というものがどういうものか、ぜひ考えてもらいたいと思い数枚を選んでブログアップしました。
ぜひ見てもらいたい本です。
長崎・広島・東京大空襲・国境の外に・沖縄・・・を撮った214頁に及ぶドキュメンタリー写真集です。
戦後70年といわれるこんな時代に、戦争というものがどういうものか、ぜひ考えてもらいたいと思い数枚を選んでブログアップしました。
ぜひ見てもらいたい本です。
(表紙写真は・・・沖縄・・・戦火に焼かれて炭化した人骨)
長崎・・・8月9日の式典で祈りをささげる人たち。(←2005年、→20013年)
広島・・・8月6日、元安川のとうろう流し。(2007年}
大久野島・・・広島県竹原市忠海の沖合3㎞に浮かぶ周囲4.3㎞の瀬戸内海の島。
1936年から1945年の敗戦の年までここで毒ガス兵器が製造され中國、東南アジアに送られた。
毒ガス貯蔵庫の跡、敗戦時に3000㍑の毒ガスが残留していた。(1989年)
東京都江東区夢の島の第五福竜丸の展示館で・・・
1954年、南太平洋ビキニ環礁でマグロ漁をしていて米軍の水爆実験により被曝した大石又七さん。
大石さんはここで
「60年も前の事件だが終ってはいないし、いま、こんな時代だからこそ若い人に考えてもらいたい」
と体験談を語り続けている。(2013年)
中國東北部ハルピン郊外ピンファンで・・・日本の「七三一部隊」という機関が細菌兵器の研究・実験を行っていた。
大久野島で作られた毒ガスの実験も行った。
ボイラー棟の跡。敗戦時に爆破。(1992年)
ブーゲンビレア島で・・・連合艦隊司令長官山本五十六が搭乗していて撃墜された陸式一攻機の残骸。(1975年)
沖縄・・・ひめゆり学徒隊の人たちが40年ぶりで第一外科壕に入った。(1985年)
西表島で・・・1945年3月、沖縄八重山諸島の波照間島の住民は西表島の南風見田の浜に日本軍の命令で強制疎開させられた。
移住した住民1500人のほぼ全員がマラリアに罹患、うち500人が死亡した。波照間島の人々が帰島したのは1945年7月から8月末まで。
波照間小学校の識名校長は西表島の南風見田の浜の石に「わするな石 ハテルマ シキナ」と刻んだ。(1995年)
広島・・・8月6日、元安川のとうろう流し。(2007年}
大久野島・・・広島県竹原市忠海の沖合3㎞に浮かぶ周囲4.3㎞の瀬戸内海の島。
1936年から1945年の敗戦の年までここで毒ガス兵器が製造され中國、東南アジアに送られた。
毒ガス貯蔵庫の跡、敗戦時に3000㍑の毒ガスが残留していた。(1989年)
東京都江東区夢の島の第五福竜丸の展示館で・・・
1954年、南太平洋ビキニ環礁でマグロ漁をしていて米軍の水爆実験により被曝した大石又七さん。
大石さんはここで
「60年も前の事件だが終ってはいないし、いま、こんな時代だからこそ若い人に考えてもらいたい」
と体験談を語り続けている。(2013年)
中國東北部ハルピン郊外ピンファンで・・・日本の「七三一部隊」という機関が細菌兵器の研究・実験を行っていた。
大久野島で作られた毒ガスの実験も行った。
ボイラー棟の跡。敗戦時に爆破。(1992年)
ブーゲンビレア島で・・・連合艦隊司令長官山本五十六が搭乗していて撃墜された陸式一攻機の残骸。(1975年)
沖縄・・・ひめゆり学徒隊の人たちが40年ぶりで第一外科壕に入った。(1985年)
西表島で・・・1945年3月、沖縄八重山諸島の波照間島の住民は西表島の南風見田の浜に日本軍の命令で強制疎開させられた。
移住した住民1500人のほぼ全員がマラリアに罹患、うち500人が死亡した。波照間島の人々が帰島したのは1945年7月から8月末まで。
波照間小学校の識名校長は西表島の南風見田の浜の石に「わするな石 ハテルマ シキナ」と刻んだ。(1995年)
※私のブログにしては珍しく9枚の写真を選んで載せました。もっと載せたいのですが・・・
※この本は「戦争は終わっても終わらない」人たちとフォトジャーナリストとの対話です。個人写真が多いため、このブログでは抽象的な風景を中心にしました。
※大石芳野(1944年~)・・・日本大学芸術学部卒、ドキュメンタリー写真家、土門拳賞受賞、世界平和アピール七人委員会委員、常用機材はライカM6とか。
戦後70年。10年ひと昔といわれますから、沖縄戦争もヒロシマもナガサキも大久野島の毒ガスも旧満州の731部隊の細菌兵器の人体研究も、波照間島の人たちの集団マラリア羅患の話しも、ビキニ環礁の水爆実験の被曝ももう大昔の話です。
ほとんどの人が経験もしたこともなければ想像もできない世界の話しのようです。わたしも本や写真や映像で知ったり戦跡や記念館で見聞きしたりするだけです。
もうわずかな人しかあの戦争を知っていません。そして、あの戦争で体や心に傷を負った人たちにとって戦争は終わっていません。
歴史の史(ふみ)とはフミトと呼ばれる文官の手で出来事を文書にしたものです、ある程度の観点(史観)が盛り込まれますが、写真は文字通り・・・真実を写したものです。
わたしたちにはそれを後世に語り継ぐ責任があります。
私も図書館で探してみます。
戦争を知らない世代の人たちに開いて見てほしい本のようですね。
70年経っても癒えない心を抱き続けている人たちが、どれだけいる事か! 戦争はこの世で一番の悪です!!
今年の7月の刊行です。
当地の図書館は新刊本は割合導入してるほうです。しばらくの間は新刊コーナーに展示してあるので見つけることができました。
お目当ての本がないときは他図書館から回送もしてくれます。購入してくれることもあります。
いまはパソコンでその図書館の在庫検索もできます。
大石芳野さん・・・女性、著名なドキュメンタリー写真家です。この本の写真はほとんどが戦争の傷跡を負って苦しんできた人とのインタビュー写真です。
どこで学ばれたのか真似したいですが私にはホタルがいるのでそれもままならずです。。
大崎上島出身の友だちにむかし聞きました。
こういうことはわたしたち爺さんも知りません。伝え聞いて次の世代にこんなことがあったんだよと若い人に伝えたいです。どう受け止められるかは任せるにして。