比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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江戸は葛飾の・・・古くは小合溜と呼ばれた水元公園・・・閘門橋の風景

2011-01-26 | 川と滝と湖と海と橋の風景
東京都立水元公園・・・この公園の埼玉県三郷市側のみさと公園、大場川に沿ってグルリとただ歩くという目的で歩いて来ました。ふたたび東京都の葛飾区東水元町へ。このへんはあとで地図を見ると三郷市、八潮市、葛飾区の3つの行政区が地面の上で別れているらしい。

閘門橋(コウモンバシ)にやってきました。

東京都に残存する唯一のレンガ製アーチ橋・・・閘門です。と説明されていますが実際はレンガ製アーチ橋はいっぱいあるそうです。
閘門とは水位、水流、水量などを調整できる可動式の堰のことです。パナマ運河の閘門といえば思い出すでしょう。

なぜかバルコニーのようなお立ち台が。大場川の上流を見ています。
左側のマンションは三郷市、右側に大場川と水元公園の小合溜を分ける堰堤が長々と続いています。

閘門橋のプレート(銘板)です。
正式名は弐郷半領猿又閘門。二郷半領水利組合によって1910年(明治43年)建造されたものだそうです.。

なぜここに閘門が・・・このあたりの地勢、歴史から考えねばならないであろう。
1676年、江戸川と中川(むかしの古利根川)との間の現在の埼玉県吉川市の低湿沼を干拓して灌漑水路の排水のために開削されたのが大場川、吉川市・三郷市(二郷半領の地域)を流れ小合溜(現水元公園)も合わせて古利根川に放流されました。
二郷半領・・・現在の吉川・三郷市の大場川の流域(北葛飾郡六ヶ村)をいう。吉川を二郷、三郷を下半領と呼んだというのが定説。反当りの米の収量が二俵半(とうじの標準の半量)しかなかったという説もある。収量が少なかったのは痩せ地という理由ではなく水害の常襲地であったからと思われる。
閘門橋の役目は大場川の渇水防止(ダム化)、中川の逆流防止、岩槻街道の流通路でもあった。

今は新大場川水門、車道、道路橋としては葛三橋ができ、人道橋としての役目だけ。

オマケ・・・閘門橋の近くで見たカワセミ。こういうのを見つけるのは早くなりました。このへんはカワセミの里というゾーンです。
トリミングしてもう少しズームアップしたかったのですが10Xコンデジで撮ったからフォーカスに失敗してブレブレ。証拠写真です。


このへんで本日の散歩は終了、15000歩。バス通りに出てバスで金町まで戻り金町で餃子ライスを食し、本日のメインの旧友との食事会場の池袋に向う。
池袋デパ食で昼間から宴会、冷酒をチョッピリ・・・その話はとりとめないので省略。




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