比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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若狭の旅・・・敦賀・・・気比神宮(けひじんぐう)に詣でる

2015-12-22 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
彩風人・・・近江から若狭・丹後への旅です。
旅の始まりは新幹線米原駅からJR東海道本線琵琶湖線で彦根・・・そして越前若狭へ。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
この人は旅に出ると必ず神社仏閣に詣でる。信心深い人だ。
若狭国敦賀の気比神宮(けひじんぐう)です。
1645年建造の気比神宮の国指定重要文化財の大鳥居。春日大社、厳島神社とともに日本三大鳥居だ・・・そうだ。

気比(けひ)・・・読めない、官幣ってなんだ、神宮?・・・わからないハズカシイ

中鳥居。

外拝殿。
※撮影は12月14日、カメラはFUJIFIRM X-T10。

気比(けひ)・・・高校野球でその名を知った、広島カープの東出選手、読売ジャイアンツの内海投手ほか多くのプロ野球投選手を輩出している中高一貫の名門私立校です。恥ずかしながら神社のことは疎いほうで気比神宮のことは知りませんでした。
※第14代仲哀天皇のころの創建といいますから、西暦でいうとDC200年ごろ、まだ歴史以前、古事記、日本書紀の世界のころです。
※敦賀は朝鮮半島、中国東北部からの畿内への入口、北の国からの進攻を守る、北陸道総鎮守府、ということで創建されたのでしょうか。
※栄枯盛衰を繰り返し社領は越後にまで及んだといいますが江戸時代は100石程度だったようです。
※明治時代に入り、国家による神社管理制度で官幣大社に。官幣とは神社のランクで最高級、国費が支給されました。
※太平洋戦争敗戦後、神社は普通の宗教に。官幣の名は意味なくなります・・・それでも石柱に堂々と?
※神宮を名乗っています。明治時代に国からいただいたもの。戦後は意味がないのですが名乗っています。
※社殿は1945年の空襲により焼失、1950年再建。
※気比の由来・・・食(ケ)、靈(ひ)で食の神という説もあります・・・古代、若狭は御食国(みけつくに)といいました。朝廷に贄を捧げる国のこと。そのほか諸説あります。ワカリマセン。
※摂社に角鹿神社(つのが)があります。敦賀(つるが)の地名由来という説があります。



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