10月19日、ふるい友だち夫妻と秋の武蔵野散歩・・・新座市野火止の平林寺を尋ねました。
臨済宗妙心寺派別格本山「金鳳山平林禅寺」・・・本堂です。
※平林寺縁起・・・南北朝時代の1375年岩槻城主太田備中守の帰依により武州騎西郡渋江郷金重村(現さいたま市岩槻)に創建、江戸時代に入り平林寺が大河内家の菩提寺であったことから大河内松平家を興した初代川越藩主松平信綱の宿願であった武州新座郡野火止への平林寺の移転を1663年に信綱の子、輝綱が実現した。
※新座郡五ヶ村・・・現新座市の野火止、大和田、菅原、北野、現志木市志木の五ヶ村は大河内松平家が他地に転封した後も飛び地として松平家の所領でした。
※野火止‥・古い地名らしい、地名由来は諸説あるようですが定かでない。関東ローム土層に覆われた保水力のない台地。いったん野火が拡がったら止めようがない。何らかの火災遮断地帯を作っていたのかもしれない。
※平林寺公式ホームページ
臨済宗妙心寺派別格本山「金鳳山平林禅寺」・・・本堂です。
1880年再建、入母屋造茅葺。1976年に銅葺に。堂内に石川丈山揮毫による「平林禅寺」の扁額が。


※平林寺縁起・・・南北朝時代の1375年岩槻城主太田備中守の帰依により武州騎西郡渋江郷金重村(現さいたま市岩槻)に創建、江戸時代に入り平林寺が大河内家の菩提寺であったことから大河内松平家を興した初代川越藩主松平信綱の宿願であった武州新座郡野火止への平林寺の移転を1663年に信綱の子、輝綱が実現した。
※新座郡五ヶ村・・・現新座市の野火止、大和田、菅原、北野、現志木市志木の五ヶ村は大河内松平家が他地に転封した後も飛び地として松平家の所領でした。
※野火止‥・古い地名らしい、地名由来は諸説あるようですが定かでない。関東ローム土層に覆われた保水力のない台地。いったん野火が拡がったら止めようがない。何らかの火災遮断地帯を作っていたのかもしれない。
※平林寺公式ホームページ
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