JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

アメリカ・大企業支配とたたかわず、国民同士いがみあう、橋下手法評価の動き

2012年01月16日 | Weblog
 先日、現在の政治に批判的な方から「思い切って公務員特権を削減してきているのは誰もやれなかったこと、たいしたものだ。このさい、公務員労働者を全部民間したら」という声を聞きました。
 「日本共産党議員は歳費をすべて、党に提出し管理されている」と事実と違うことを信じておられました。
 もっとも、冷静に現実的に考えられている方もいるのですが。

 朝日新聞の1月8日付けで経済評論家の内橋克人氏はつぎのように述べています。
  「米国はじめ国内外の最強の秩序形成者に抵抗する力もなく、生活に追われて政治的な難題に真正面から対峙するゆとりもない。
同時に、精神のバランスを維持するために『うっぶん晴らし政治』を渇望する。政治の混乱を面白がり、自虐的に、極めて反射的に、表面的に評価して、選挙権を行使する。
 大阪市の橋下徹市長の「ハシズム現象」も貧困マジョリティーの心情的瞬発力に支えられている面が大きい。『地方公務員は特別待遇を受けている』とバッシングし、閉塞状況下の欲求不満に応えていくやり方だ」
-政治に対する閉塞感一が国民の方向性を誤らせるということですか。
  「『政治のリーダーシップ不足』と言われるが、民主政治を基盤とする国でのヒーロー待望論ほど異常なものはない。日本古来の「頂点同調主義」『に加え、異議を唱える者を排除する『熱狂的等質化現象』が1体となる。『うっぷん晴らし政治』の渇望を満たそうとすれば、1930年代の政治が繰り返される。グローバリズムが生み出した『貧困ファシズム』の培地となりかねない」
 
 民間労働者はじめ庶民のくらしを破壊しているのは、アメリカの支配や人減らし、大減税でため込んでいる大企業です。
 その大きな支配と一点共同でもよいから、いっしょにたたかう行動と力を持つためにも日本共産党を強く大きくすることが今大事だと感じたのです。

変化の中での司馬遼太郎氏をきっかけに歴史を考える。原田敬一氏の本

2012年01月16日 | Weblog

 司馬遼太郎氏は、日清戦争・日露戦争への戦争勢力へのあまい評価を残しつつ、原田氏は司馬遼太郎氏の歴史への見方を生涯の変化の中でとらえようとしています。
 それと、司馬遼太郎氏の歴史観は、日本人全体の中にもある弱点を代表しているとの視点に立っています。
 以前にNHKで司馬遼太郎を語る数人の討論番組がありましたが、その中で「井上ひさし」氏が、司馬遼太郎氏を侵略戦争美化の人物としては、見ておらずたしか「たいへんな恥ずかしがり屋で、『坂の上の雲』以後の発言にも注目すべきだ」という主旨の発言をされていました。当時は、違和感があったのですが、この本を読み、司馬遼太郎氏の厳密さに欠けたあいましさとともに、晩年の平和への希求の思いも知ることができました。
 司馬史観なるものを乗り越える日本人の歴史観の発展が望まれるのではないでしょうか。
 私は、最初は司馬遼太郎氏の上から見下すような考え方が、嫌いです。
 一方、原田氏は、ちょっと行きすぎという気がしないわけではないのですが、司馬遼太郎氏の言いたかったことを一定の根拠のもとに、こうではなかったかと解説する手法もとっています。
 この本の「坂の上の雲」をめぐる批判という思いから読み始めたのですが、途中から、司馬遼太郎氏の考えと歴史の真実という対比として読むと言うより、日本の近現代史の真実はどうであったのか、そこから何を学び、現代に生かすのかという読み方をするようになりました。
 この面からこの本をとらえると、事実が前後にわたる場合もあるのですが、それだけに、新たな問題意識を生み出させてくれた、これまでに私が読んだことのない種類の歴史書といえます。たとえば、当時の、日本の支配を拝辞できなかった朝鮮王朝と民衆との関係、台湾の独立運動とその歴史的評価、日本の権力批判ジャーナリズムへの日本人の関心の低さ、東京裁判の2面性、大院君と高宗との対立と明成皇后との関係、「憲法にも法律にも基づかない、御前会議」で最高決定がなされてきた日本の仕組みなどなどです。
 おすすめです。