JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

市民と野党の共同破壊工作を打ち破った、新たな広がり

2017年10月23日 | Weblog

今日は、スーパー前で訴えさせて頂きました。日本共産党の議席減はくやしいですが、日本共産党を援していた事への感謝と支配勢力の市民と野党の共同への破壊攻撃を乗り越えて、数だけではなく、新たな共闘の質的な発展があったことなど、市民・国民の自主的自覚的広がりを確信したことを訴えました。また、前日の台風の被害状況調査を行い町役場への対応要望。瑞沢小学校跡地の民間委託への問題点なども報告しました。
 ずーと聞いて頂いた60代の女性から激励を頂き、日本共産党の自力をつける決意をしました

飴と鞭で心身を破壊する戦前の支配権力と菊池寛の役割

2017年10月23日 | Weblog

浅尾大輔氏の「中本たか子の心の傷」後編が、民主文学11月号に掲載されました。ここでは、小林多喜二が「中本に大いなる刺激を受けて新たな小説に取りかかったのではないか」など「中本への深い敬愛が宿ってはいないか」という作家としての力量を述べています。
 一方、拷問と監禁状態による、肉体的にも精神的にも深い損傷を蒙った中本氏対し、身元引き受け人菊池寛の飴と鞭の飴のごとくの「優しさ」の「恐怖に気づいていない」と指摘しています。
 私は、次の箇所に心打たれました。「作家宮本百合子だけが、そんな『身の毛もよだつ』菊池寛的なものの恐怖と危険性に気づき、戦後も彼の批評を書き続けた」「中本たか子の労りながら同志的愛で光る刃を文壇の大御所・菊池寛に向けた。彼に背骨を折られた中本は立ち上がれない。」
 そして、戦後、1960年に日本共産党に入党したとのこと、あれだけ、近くにあった日本共産党に実に長き月日がたったことを知りました。
 そして、1991年晩年に「自身の最も困難だった昭和6年に宮本百合子から受けた援助を『感謝を込めて回想されていた』との小林茂夫氏の追悼文を紹介しています。
 浅尾氏の文はここで終わっていますが、私は、侵略戦争が、若い才能を心身ともに破壊し尽くそうとする、「鞭とあめ」の恐ろしさ、そこから、立ち直ろうとする人間の強さと、百合子の彼女に対する信頼の深さは、現代に生きるものではないでしょうか。

「資本論」で知ったマルクスの日本研究とその源流の推論の訂正

2017年10月23日 | Weblog

「雑誌「経済」で不破哲三さんが「マルクスと日本」探求の旅は終着点を迎えた」を書いています。
 1981年に「資本論」でマルクスが日本のことを書いていることを紹介されており、そのこと自体が、マルクスの全面的な研究の深さを感じさせてくれたのですが、その元がオールコックの著書「大君の都」の日欧比較論ではないかという推論でした。
 それから、30余2013年に「新メガ」編集作業者の天野光則さんがマルクスの当時の抜粋ノートから、この推論を否定。さらに、最近、研究者小田孝氏が、オールコックの比較論が、抜粋ノートの他の著書からも明らかになりました。
 不破さんは、これらの比較論の元がペリーの著書にあり、当時の研究者の共通の認識であり、オールコックの著書とマルクスの関係という推論を取り下げました。
 不破さんは、数多くの問題意識を常に持っており、5年10年かけあの時の問題提起は、これだったのかと気づくことが多々あります。時には今回のよう30年かけて解明されることもあるという研究者です。これまでも大谷禎之介さんが、重要な指摘をされたこともありますが、複数の研究者の方々が、マルクスに取り組んでおられることは素晴らしいと思います。
 不破さんもお二人に「あらためて謝意を表するとともに」と書かれています。

残念な結果ですが、市民と野党共闘の未来開き、安倍暴走政治ストップへ

2017年10月23日 | Weblog

 悔しい結果となりました。ご支援頂いた方に感謝するとともに、希望の党による野党共闘分断作戦と、小選挙区の制度の仕組みの中でも、日本共産党を伸ばす実力をつけなければと思います。しかし、大きな流れとしては、沖縄1区の赤嶺さんはじめ、全国的に分断を乗り越えて市民と野党の共闘が成功し、内容的にも今後の大きな発展の財産になったと思います。さらに自力をつけて、めちゃくちゃな自民党政治を終わらせるためにがんばります。