4月28日主権回復(?)の日とは:
4.28と言えば、学生の頃は、沖縄返還・奪還・解放闘争の日という位置づけであったが、沖縄の祖国復帰と同時に、今やその日が、人々の記憶の中から、消え去り、今日、安倍内閣の下で、サンフランシスコ講和会議の主権回復の日を、記念する天皇陛下の列席の下に、挙行されることに相成ってしまった。何とも、沖縄を無視し続けた上に、切り捨てるが如く、仕打ちというモノよりも、むしろ、もっと、政治的な意味合いが深いように感じられてならない。安保条約と同時に、地位協定の問題も、軍事基地の問題も、一向に、解決される兆しが、見られずに、更には、当時の北方領土、歴史認識問題、尖閣列島の問題も、朝鮮戦争勃発後の冷戦下のバランス・オブ・パワーの中で、全て、未解決のままで、今日まで、至っているのは、どう割り引いても、政治の不作為以外の何ものでもない。我々は、現代史のうち、とりわけ、1950年の朝鮮戦争勃発から、1951年の講和会議・日米安全保障条約の締結と1952年4月28日の対日平和条約の発効の間に、どのような歴史的な背景があったのかを改めて、問い直さなければならないであろう。同時にそれは、日韓・日朝、或いは、日中・日台関係史、そして、沖縄・小笠原・北方領土とも、表裏一体となっており、鏡の裏表の関係であることを改めて、考え直さなければならないかも知れない。こうした一連のパッケージの下で、すべて、今日の問題は、読み解かれるべきモノであろうし、安倍内閣の進めようとする次の一手である憲法改正の問題も、本来、読み解かれなければならないと思われるし、天皇陛下の列席というモノも、天皇の政治的な利用に、抵触することはないのか、、、、、等々。改めて、考えさせられる。
4.28と言えば、学生の頃は、沖縄返還・奪還・解放闘争の日という位置づけであったが、沖縄の祖国復帰と同時に、今やその日が、人々の記憶の中から、消え去り、今日、安倍内閣の下で、サンフランシスコ講和会議の主権回復の日を、記念する天皇陛下の列席の下に、挙行されることに相成ってしまった。何とも、沖縄を無視し続けた上に、切り捨てるが如く、仕打ちというモノよりも、むしろ、もっと、政治的な意味合いが深いように感じられてならない。安保条約と同時に、地位協定の問題も、軍事基地の問題も、一向に、解決される兆しが、見られずに、更には、当時の北方領土、歴史認識問題、尖閣列島の問題も、朝鮮戦争勃発後の冷戦下のバランス・オブ・パワーの中で、全て、未解決のままで、今日まで、至っているのは、どう割り引いても、政治の不作為以外の何ものでもない。我々は、現代史のうち、とりわけ、1950年の朝鮮戦争勃発から、1951年の講和会議・日米安全保障条約の締結と1952年4月28日の対日平和条約の発効の間に、どのような歴史的な背景があったのかを改めて、問い直さなければならないであろう。同時にそれは、日韓・日朝、或いは、日中・日台関係史、そして、沖縄・小笠原・北方領土とも、表裏一体となっており、鏡の裏表の関係であることを改めて、考え直さなければならないかも知れない。こうした一連のパッケージの下で、すべて、今日の問題は、読み解かれるべきモノであろうし、安倍内閣の進めようとする次の一手である憲法改正の問題も、本来、読み解かれなければならないと思われるし、天皇陛下の列席というモノも、天皇の政治的な利用に、抵触することはないのか、、、、、等々。改めて、考えさせられる。