小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

祢津東町歌舞伎公演を観劇する:

2013年05月01日 | 社会戯評
祢津東町歌舞伎公演を観劇する:
東御市の祢津にある日吉神社の拝殿が再建された年は、1751年のことで、恐らくは、それを記念して歌舞伎上演の際に、諸道具入れの木箱が、伝えられたと謂われている。何とも、急な狭い石段を登り詰めて、(真ん中に、寄進されたのか、手摺りがなければ、到底、こんな急な階段は、足の不自由な人間には、上り詰めることは出来ないであろう。それ程、上り下りには、苦労する程の傾斜である。)それにしても、多くの人が、10:30からの開演を待ちきれずに、列をなして、階段を登ってゆく。きっと、昔の江戸時代の人達も、農作業の手を休めて、この日には、こうして、足早に階段を上って、酒肴とお弁当でも持参して、一杯やりながら、桜の花びらが舞う下で、田舎歌舞伎を愉しんだのであろうかと想像される。むろん、テレビもラジオも映画も無い時代のことである。午前の部は、平成10年に発足した祢津小学校歌舞伎クラブのメンバー達による「土蜘蛛退治」の演目で、午後は、大人達による「忠臣蔵七段目、一力茶屋の場」である。子供達による子供歌舞伎芝居は、郷土の伝統的な文化の保存・継承の観点から、又、将来の大人歌舞伎の予備軍としての彼らの役割は、今や、決して、小さいモノではない。先人の継承してきた伝統的な文化を現代にまで、保存してゆくという自覚と責任を持つようになることは、意義深いことがあろう。地元のオラホ・地ビールの宣伝も、口上の中で、さりげなく、入れるなどは、全く、大人顔負けではないか?学芸会の発表会などよりも、格段に、そのパフォーマンスは、自信に充ち満ちていて、宜しいではないだろうか?大人の部では、昭和11年から、76年ぶりでの演目は、台詞も長く、なかなか、難しい役どころの「忠臣蔵七段目、一力茶屋の場」でもあり、役者の技量も、随分と、向上してきていると、観客の声も評価が高かったようである。各地の歌舞伎愛好会も、観劇に参加して、各地域との歌舞伎保存での交流も多いに、大切であろう。車椅子のお年寄りも、地区の消防団のスタッフの介助のお陰で、ゆっくり観劇できるようにされていたことは、素晴らしいことである。それにしても、葉桜になってしまったのは残念であったものの、突風にも遭わずに、日向ぼっこをしながら、お弁当を食べつつ、観劇できたことは、昔の江戸時代の観客も同じであったのだろうかと、想像するだけでも、胸がワクワクしてくる。数多くのおひねりも、舞台に向けて、投げられて、歌舞伎の雰囲気を味わえて、面白い。又、義太夫や三味線も、なかなかのもので、スピーカーによる音響効果も、一部、役者のつぶやきが聞こえてきたりのご愛敬はあったものの、大変、聞き取りやすくて宜しかったのではないだろうか?これまで、なかなか、見られなかったが、やっと見ることが出来ました。再び、今年は、9月15日に、東御市市民会館で、公演が予定されているそうで、これも、必見に価しそうである。すっかり、日焼けしてしまった。大鹿村の田舎歌舞伎もすっかり、原田芳雄の映画で、メジャーになってしまったが、祢津東村歌舞伎も、今後のますますの発展・認知が、期待されるところである。当日は、真田祭りと重なってしまったのは、少々、残念でした。又、来年も、新たな演目を期待したいしつつ、観たいものです。