小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

韓国、国際競争力の摩訶不思議:

2013年05月08日 | 社会戯評
韓国、国際競争力の摩訶不思議:
昔から、為替のバランスは、まるで、人生ゲームや双六のように、良いときもあれば、悪い時もあるということで、国の栄枯盛衰も、経済の構造改革も、ジェット・コースターの如くに、目まぐるしく展開する。自分の私的な経験から、その昔、円がまだ、180円から、120円に向かって円高傾向にあったときでも、主力の輸出産業の経営者達は、100円になっても、自信はあるかの如き発言がなされ、大変驚いたことを今でも記憶している。事ほどさように、当時から、日本は、為替の洗礼をしたたか経験して、国難とも言われたオイル・ショックやその後の激しい為替変動を、まるで、おしんの如く、堪え忍びつつ、技術力と海外生産分散や現地化で、何とか、凌いできたモノである。もっとも、流石に、昨今の超円高とデフレの進行から、脱却すべく、円安方向に舵を切らざるを得なくなってきたものの、逆説的に言えば、国策ともとれるような韓国のウォン安意図的な為替管理政策が、今や、一転して、ウォン高の逆風に、対峙せざるを得ず、順風満帆であったサムスンや、トヨタもその自動車を分解されたとされる現代自動車ですらも、やや、失速し始めているようであることは、一体、彼我の差は、何処に起因するのであろうか?それにしても、日本という国は、面白い国である。これでもか、これでもかという国際的な為替変動の洗礼を受けても、何とか、しぶとく、生き残りを賭けて、国際競争力を高めてきた。それを思うと、韓国の国際競争力というものは、実際、本当は、何が、その根幹なのであろうか?為替管理政策の化けの皮を剥がされると、その仮面の下には、一体何が、残されているのであろうか?それとも、何も残されていないのであろうか?翻って、我が国を見直すとき、逆に、日本には、何が、残されていたのであろうか?或いは、何を死守し続けてきたのであろうか?そして、何をしたからこそ、生き残れたのであろうか?今日、そこを冷静に考えてみたいモノである。自信を失いかけた日本という国が、日本人が、今再び、それを考え直して見るのも、決して、無駄ではないであろう。