小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

中国の七禁句を日本で考える:

2013年05月16日 | 社会戯評
中国の七禁句を日本で考える:
何でも、中国の大学で、当局の指示により、七つの用語が、禁句として、教えないようになるようであるが、本当にそんなことが、可能なのであろうか?人間は、禁止されればされる程、より知りたくなるモノである。「普遍的価値」のほかに、「報道の自由」「公民社会」「公民の権利」「(共産)党の歴史的誤り」「権貴資本主義」「司法の独立」が禁句とされたと、「権貴資本主義」なる言葉は、権力と資本が癒着した資本主義のことで、一党独裁下の市場経済化で不正・腐敗がまん延する中国の現状を批判的に解説する際に使われている。それにしても、感じの国である。「裸官」とか、「小皇帝」とか、表だって、禁止されても、裏では、揶揄されるような「隠語」が、公然と、当たり前に、使用されるのが、せいぜいであろう。実に面白い国柄である。翻って、日本を見たときに、中国のこうした政策指示を、果たして、心底から、笑えるのであろうか?いやはや、憲法96条の議論も然り、どこかのお調子者の「従軍慰安婦」に関する発言や、「歴史認識」に対する軽率な発言を見ていると、果たして、本当に、日本という国は、中国のことを手放しで、笑えるのであろうか?戦前の治安維持法ではないが、表現の自由を規制するようないかなる策動も、まるで、「茹で蛙」状態にならないという保証は何処にもないであろう。浮かれ調子に、挙げてみれば、つらつら思うに、日本の戦後史の七つの禁句も、ここら辺で、考え直して見る必要があるのかも知れない。「自由・平等」、「領土・領海・領空」、(北方領土・尖閣諸島・竹島)「国際貢献」、「沖縄と独立」、「非正規雇用」、「社会保障制度」、「一票の格差是正」、等々、いくらでも、魑魅魍魎の如く、出てきそうであるが、これは、どうしたものだろうか?他山の石としたいところである。