呉 善花著、「私は、いかにして日本信徒となったか」を読む:
オ・ソン・ファ女史の二度に亘る韓国入国拒否をきっかけに、同女史の著作を読んでみたくなりました。この著作の題名は、もともと、内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりし乎」にあやかったもので、更に、「日本信徒」とは、奇しくも、「スカートの風」で、山本七平賞受賞した山本氏のユダヤ教・日本教からも連想される題名であろう。
自身自らを周到な観察の主題対象としながら、「何故」では無くて、「如何」にして、そうなり得たかを検証してゆく著作で、一種の文化比較論的なものであろうか。例えば、異なる日韓の文化的な差異の実例として、様々な具体例が、挙げられている。日本人商人と母国のそれとの違い、消しゴムの貸し借り事件、弁当のおかずのつまみ食い事件、じか箸を嫌う日本人のこと、食事作法の違いへと、日常使用する食器の重要性、ステンレス製食器と陶器の食器の違い、風呂と食べ物に対する実利主義的な日韓の差異、等々、やがて、それは、美意識の違いの認識へ、日本人の美意識を理解する上に、風景や庭や、焼き物、絵画、等をだんだん、見るように努力することになる。これらを自らの具体的な体験の中で、赤裸々に語ってゆく。親愛の情の表現の仕方の違い、無意識の習慣行為が、微妙に、相互の差異を拡げることになることを実感してゆくことにもなる。内面的な私的な悩みを話すことが、親しい相手に心を開くかどうかの差異等、相手を文化的・民族的に「無意識のうちに身内世界に取り込む」という「無作為の錯誤の意識」があるのではないかと。
そして、これから、更に、国や民族の習慣の違いの問題から、「人間同士の距離感」、歴史的な「美意識、感覚」の問題、これらが齟齬をきたすことになる根本的な原因を考察することになる。客観的に見られるのには、5年は掛かると、そこまで、葛藤を我慢して、石の上にも5年は、住み続けなければ、何もわからないとその体験から、結論づけ、二年半余りの滞在で、「日本はない」という本を著した著者への批判を展開するに至る。
「表音文字としてのハングル」と、「意識の客観的な対象化」をより明確にしてくれる漢字を使っての「漢字語」との違いが、「日韓の言葉の問題」に、関連していると、
韓国での漢字の廃止が、抽象度の高い思考をする手立てを奪ってしまったとも、「漢字の表意性」を抜きにして、「表音性だけ」で自在に高度な概念を用いることには、無理が生じていると、なかなか、この辺は、「言語学」とも絡んで、私のようなハングルを理解していない人間にも、成る程とも感じられよう。
日本人の好みは、命のように「動いているもの」、動きを感じさせるもの、過去や未来を感じさせるもの、「未完」で、完成されていないものを好む、精神が停止しいては駄目だということを、やがて理解出来るようになる。
「韓国人の恨み」と「日本人のもののあはれ」の差異、恨みは「自分の欠如への否定」から出発するが、もののあはれは、「自分の欠如への肯定」から出発していると、お互いにどのように理解すべきなのか?確かに、若い頃、まだ、友人の義理のお父様が大手の商社の支店長だった頃、ソウル出張時に、際入れを宅便したところ、会食の最中に、韓国の「怨歌」と日本の「演歌」の差異を、この「恨み」をキーワードに、議論したことを懐かしく、想い起こす。(本来なら、「怨み」かも知れない)そして、同女史は、「独善で、やがて哀しい韓国人」と、結論づけることになる。
この著者にとっては、日本での自らの「アイデンティティーの喪失」とは何だったのか?とりわけ、外国で、長い間、生活してみると分かることであるが、まずは、人種的な民族的なアイデンティティーを実感し、然る後に、自らの個人のアイデンティティーを問うことになるのは、十分、理解しうる。その喪失感に替わり得るものが、その日本の地である「日本教」だったのであろうか?
反日、克日、という国家スローガンから、韓国では、「愛国=反日意識化」が強調されてしまうと。韓国のインテリは、根本的な自国批判、自民族批判をやりたくても出来ないという悲劇があり、「学があること」=反日であること、学校で反日、民族イデオロギー教育と家庭における一定の評価との落差は、何故なのであろうか?
同女史は、大中華主義の変型に過ぎない「小中華主義と侮日観」が、或いは、言葉を換えれば、「自国民族優位主義」が、「意識の底流に潜んでいる」と、それらが、今日でも潜在意識の中にベースとして常に潜んでいて、何かにつけ、ことある度に、鎌首をもたげてくるのではないか、それは、丁度、戦後の「象徴天皇制」と深層での日本民族の天皇制に対する考え方にも、共通の類似点があるのかも知れないが、、、、、、、。日本人的な発想から、「お詫びと謝罪と反省」という談話だけでは、済まされないもっと根本的な民族意識の理解が不可欠かも知れないとも思われるが、、、、、、、。
韓国での様々な経緯を振り返りながら、済州島出身で看護大学に行くのも、外国へ行く一つの手段であったものの、これを途中で、軍隊への入隊へと進路変更、そして、軍人で有りながら、大学へも通う生活を経て、大学卒業と共に、退役し、日本を経由してのアメリカ行きの為には、まず、教会の賛美歌団の一員で、老人ホームへの慰問がきっかけになり、初めての来日を果たすことになる。本格的な留学生としての来日を果たしてから、やがて、著者は、貿易会社でのアルバイトから、独立して、自らの語学学校で、(昼は)韓国人ホステス達に日本語を、(夜は)日本人ビジネスマンに、韓国語を教えながら、彼らの心の中に、自分の葛藤と同じモノを見出し、自身もビジネス・コンサルタントへと変貌して行くことになる。今日あるのは、その後の良き人との出逢いのおかげであると、結んでいる。
それにしても、国家安全保安部やメディアによる同女史叩き、そして、反韓国言辞等に伴う物理的な身の危険による帰化申請と日本での定住生活、民政移管という幻想、反韓国言辞に伴う自国批判を許さないという国是とは、一体、これらは、何なのであろうか?
少なくとも、日本では、どんなに、国家を批判しても、或いは、愚弄しても、パロディー化しても、今日、日本では、入国拒否や身の危険は感じられることはないであろう。もっとも、ネット情報で、何処かで、情報は、盗み見されて、データ・バンク化は、密かにされていようが、、、、、、。同女史による、ルース・ベネディクトの「菊と刀」に繋がるような日朝文化比較論への展開の可能性を今後、期待したいものである。
共通の価値観を有する国とは、逆説的に謂えば、歴史認識の差異を十分理解しうると云う価値観を有する国・民族でなければ成立しないのではないだろうか?最近の情勢を見ると単に、外交上のパワー・バランスだけで、一方的に言葉で発しても、余り、意味は無いのでは無いのかとも思えてならないが、、、、、、、、。今度は、李朝末期の歴史を勉強してみることにしてみましょう。
オ・ソン・ファ女史の二度に亘る韓国入国拒否をきっかけに、同女史の著作を読んでみたくなりました。この著作の題名は、もともと、内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりし乎」にあやかったもので、更に、「日本信徒」とは、奇しくも、「スカートの風」で、山本七平賞受賞した山本氏のユダヤ教・日本教からも連想される題名であろう。
自身自らを周到な観察の主題対象としながら、「何故」では無くて、「如何」にして、そうなり得たかを検証してゆく著作で、一種の文化比較論的なものであろうか。例えば、異なる日韓の文化的な差異の実例として、様々な具体例が、挙げられている。日本人商人と母国のそれとの違い、消しゴムの貸し借り事件、弁当のおかずのつまみ食い事件、じか箸を嫌う日本人のこと、食事作法の違いへと、日常使用する食器の重要性、ステンレス製食器と陶器の食器の違い、風呂と食べ物に対する実利主義的な日韓の差異、等々、やがて、それは、美意識の違いの認識へ、日本人の美意識を理解する上に、風景や庭や、焼き物、絵画、等をだんだん、見るように努力することになる。これらを自らの具体的な体験の中で、赤裸々に語ってゆく。親愛の情の表現の仕方の違い、無意識の習慣行為が、微妙に、相互の差異を拡げることになることを実感してゆくことにもなる。内面的な私的な悩みを話すことが、親しい相手に心を開くかどうかの差異等、相手を文化的・民族的に「無意識のうちに身内世界に取り込む」という「無作為の錯誤の意識」があるのではないかと。
そして、これから、更に、国や民族の習慣の違いの問題から、「人間同士の距離感」、歴史的な「美意識、感覚」の問題、これらが齟齬をきたすことになる根本的な原因を考察することになる。客観的に見られるのには、5年は掛かると、そこまで、葛藤を我慢して、石の上にも5年は、住み続けなければ、何もわからないとその体験から、結論づけ、二年半余りの滞在で、「日本はない」という本を著した著者への批判を展開するに至る。
「表音文字としてのハングル」と、「意識の客観的な対象化」をより明確にしてくれる漢字を使っての「漢字語」との違いが、「日韓の言葉の問題」に、関連していると、
韓国での漢字の廃止が、抽象度の高い思考をする手立てを奪ってしまったとも、「漢字の表意性」を抜きにして、「表音性だけ」で自在に高度な概念を用いることには、無理が生じていると、なかなか、この辺は、「言語学」とも絡んで、私のようなハングルを理解していない人間にも、成る程とも感じられよう。
日本人の好みは、命のように「動いているもの」、動きを感じさせるもの、過去や未来を感じさせるもの、「未完」で、完成されていないものを好む、精神が停止しいては駄目だということを、やがて理解出来るようになる。
「韓国人の恨み」と「日本人のもののあはれ」の差異、恨みは「自分の欠如への否定」から出発するが、もののあはれは、「自分の欠如への肯定」から出発していると、お互いにどのように理解すべきなのか?確かに、若い頃、まだ、友人の義理のお父様が大手の商社の支店長だった頃、ソウル出張時に、際入れを宅便したところ、会食の最中に、韓国の「怨歌」と日本の「演歌」の差異を、この「恨み」をキーワードに、議論したことを懐かしく、想い起こす。(本来なら、「怨み」かも知れない)そして、同女史は、「独善で、やがて哀しい韓国人」と、結論づけることになる。
この著者にとっては、日本での自らの「アイデンティティーの喪失」とは何だったのか?とりわけ、外国で、長い間、生活してみると分かることであるが、まずは、人種的な民族的なアイデンティティーを実感し、然る後に、自らの個人のアイデンティティーを問うことになるのは、十分、理解しうる。その喪失感に替わり得るものが、その日本の地である「日本教」だったのであろうか?
反日、克日、という国家スローガンから、韓国では、「愛国=反日意識化」が強調されてしまうと。韓国のインテリは、根本的な自国批判、自民族批判をやりたくても出来ないという悲劇があり、「学があること」=反日であること、学校で反日、民族イデオロギー教育と家庭における一定の評価との落差は、何故なのであろうか?
同女史は、大中華主義の変型に過ぎない「小中華主義と侮日観」が、或いは、言葉を換えれば、「自国民族優位主義」が、「意識の底流に潜んでいる」と、それらが、今日でも潜在意識の中にベースとして常に潜んでいて、何かにつけ、ことある度に、鎌首をもたげてくるのではないか、それは、丁度、戦後の「象徴天皇制」と深層での日本民族の天皇制に対する考え方にも、共通の類似点があるのかも知れないが、、、、、、、。日本人的な発想から、「お詫びと謝罪と反省」という談話だけでは、済まされないもっと根本的な民族意識の理解が不可欠かも知れないとも思われるが、、、、、、、。
韓国での様々な経緯を振り返りながら、済州島出身で看護大学に行くのも、外国へ行く一つの手段であったものの、これを途中で、軍隊への入隊へと進路変更、そして、軍人で有りながら、大学へも通う生活を経て、大学卒業と共に、退役し、日本を経由してのアメリカ行きの為には、まず、教会の賛美歌団の一員で、老人ホームへの慰問がきっかけになり、初めての来日を果たすことになる。本格的な留学生としての来日を果たしてから、やがて、著者は、貿易会社でのアルバイトから、独立して、自らの語学学校で、(昼は)韓国人ホステス達に日本語を、(夜は)日本人ビジネスマンに、韓国語を教えながら、彼らの心の中に、自分の葛藤と同じモノを見出し、自身もビジネス・コンサルタントへと変貌して行くことになる。今日あるのは、その後の良き人との出逢いのおかげであると、結んでいる。
それにしても、国家安全保安部やメディアによる同女史叩き、そして、反韓国言辞等に伴う物理的な身の危険による帰化申請と日本での定住生活、民政移管という幻想、反韓国言辞に伴う自国批判を許さないという国是とは、一体、これらは、何なのであろうか?
少なくとも、日本では、どんなに、国家を批判しても、或いは、愚弄しても、パロディー化しても、今日、日本では、入国拒否や身の危険は感じられることはないであろう。もっとも、ネット情報で、何処かで、情報は、盗み見されて、データ・バンク化は、密かにされていようが、、、、、、。同女史による、ルース・ベネディクトの「菊と刀」に繋がるような日朝文化比較論への展開の可能性を今後、期待したいものである。
共通の価値観を有する国とは、逆説的に謂えば、歴史認識の差異を十分理解しうると云う価値観を有する国・民族でなければ成立しないのではないだろうか?最近の情勢を見ると単に、外交上のパワー・バランスだけで、一方的に言葉で発しても、余り、意味は無いのでは無いのかとも思えてならないが、、、、、、、、。今度は、李朝末期の歴史を勉強してみることにしてみましょう。