Dynabook は生き残れるのか?:
1980年代初め頃、米国に、赴任した頃に、初めて、現地で、canonのワープロを、大枚、2000ドルだったと思うが、身分不相応に、購入したことを想い出す。その当時は、まだ、FAXですら、米国では、事務所に無かった時代で、しかも、このワープロには、ほとんど、メモリーらしい、保存メモリーの容量が小さかったから、いつも、タイプしては、紙のロールにプリント・アウトしては、保存しなければならなかった。一番悲惨だったのが、長文をタイプしているときに、たまたま、電話でもあったりすると、一寸、目を離した隙に、インプットした文章が、すべて、パーになって消失してしまい、全く、困ったものであった。それでも、このワープロの購入は、私にとっては、次のWindows95やE-mailへと繋がるPCへの序曲であったことを懐かしく想い起こす。その点、90年代には、既に、IBMでは無くて、国産PCを愛用すべく、NECでも、IBMでもなく、東芝のPCを使い始め、これが、後のDynabook ラップ・トップへと繋がっていくことになる。その意味からすれば、この頃が、今日、東芝の不正経理で、一世を風靡している米国東芝社長出身の西田が、一番輝いていた頃だったのであろうか?何とも、今日、富士通・ソニーのPC部門との3社統合のなかで、極だって、3社統合・PC部門の分離・分割への緊急性が、一番、同社が、望まれているというのも、誠に、往事を振り返ると、皮肉な結果である。東芝の青梅詣でと呼ばれた当時のビル・ゲイツや、幻のIBM買収提案の話など、全く、今日では、千夜一夜物語ではないが、誠に、遠い昔の夢物語だったのであろうか?あのマイクロソフト社も、当時は、MSNのプロバイダー事業を、いち早く立ち上げたので、これを利用していたら、その後、何年か後には、その事業事体を切り離し、最期には、サービスの停止と事業の切り離しを決定したことも、まだ、記憶に新しい。誠に、『カスター・フレンドリー』等という言葉は、一体全体、企業利益確保の前には、どのような価値があるのであろうか?私には、もはや、『カンパニー・フレンドリー』という意味にしか、聞こえてこないのは、どうしたものであろうか?既に、Windows10のソフト準備を促すPCからのメッセージが、眼に入ってくるが、一体、パソコン事業は、どうなってしまうのであろうか?そして、日の丸コンピューター、東芝Dynabookは、生き残れるのであろうか?長本人の東芝のみならず、我々素人ユーザーには、実に、悩ましい選択の瞬間であろう。