小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

甥の結婚式に思う:

2013年04月15日 | 社会戯評
甥の結婚式に思う:
人生には、冠婚葬祭がいつもつきまとうが、2月に、突然、一つ年上の義理の兄を失ってからの今度は、慶事である。義理の妹夫婦の長男の結婚式である。久しぶりに、車ではなく、電車で、列席することにしたので、お酒も、たっぷり愉しめるのではないかと期待した結果、結局、ビール、日本酒、白ワイン、赤ワインと、バラエティーに富んだものになり、最終的には、帰り際には、もう、何が何だか分からない位に、半分酔っ払ってしまった。何せ、ノンアルコール・ビール等というものや、ノンアルコール・カクテルなるものは、慶事には、最悪である。随分と結婚式の様式も、昔と変わってしまったものである。仲人のいない、友人中心の披露宴である。それにしても、「若い」ということは、素晴らしいことである。前途洋々ではないだろうか?自分たちも、その昔、結婚した当時は、こんな感じだったのであろうかと、ご本人達とご両親達を眺めながら、そんな感慨を禁じ得なかった。何とも、37年という時間の経過を改めて、問われていることが、再認識される。あの時の私達の両親の思いを少しは、了解出来ただろうか、新婦からのご両親への感謝のお手紙など、新郎新婦ならずとも、こちらも、涙腺が思わず緩んでしまった。新郎は、幼子の頃のイメージしか、こちらは、持ち合わせていないので、何とも、奇妙な感じがしてならない。それにしても、これから、どんな家庭を築き上げて行くのか、前途洋々、好天にも恵まれ、久しぶりに、こちらも、清々しい気分に浸れ、御酒もおいしく、戴けたものである。お目出度う、お幸せにと祈る次第である、、、、、、。



東京の春は、百花繚乱である!:

2013年04月14日 | 自然・植物・昆虫
東京の春は、百花繚乱である!:
甥の結婚式に参列するために、急遽、東京へ戻ると、もう既に、庭では、花桃の花が、咲き終わり、当然、雪柳も終わっていたが、今度は、花ズオウ、ドウダンツツジ、花大根の紫色の花、ビオラの花、花ニラ、黄色い雲南黄梅に、姫林檎の花、果ては、ハナミズキの白い花、小手毬の花まで、そして、君子蘭の蕾が、今にも咲きそうな勢いでいる。まさに、一挙に、百花繚乱の如き勢いである。何とも、庭が、まばゆいばかりの有様である。
小諸の懐古園や、途中の軽井沢では、未だ、桜が、ほとんど咲いていない状態であったのに、温かさのせいだろうか、東京では、花々が、咲き誇っている。一斉に、植物が、芽吹き初めて、その薄緑色の新芽を、覗かせている。いよいよ、新緑の季節の始まりだろうか?何とも、気分も、爽やかな澄み切った晴れた空の雰囲気になるではないか。



ラミレス、2000本安打達成!:

2013年04月13日 | スポーツ
ラミレス、2000本安打達成!:
別に、ヤクルト出身のラミレスのファンでもないし、元少年野球ファンとしては、今や、熱狂的な野球ファンでも、もはやない。ましてや、ダルビッシュ有の完全試合を最後の一人で逃してしまったことを、多いに残念であると思うファンでもない。ただ、何気なしに、この無名のただお金を稼ぐために、カリブの遠い島であるプエルトリコから、裸一貫、出稼ぎにはるばる、極東の果てに、やってきたこの人物が、気になっただけである。外人初ということは、阪急の怪人ブーバーによる初めての三冠王に比しても、大変な努力であることは、疑いようもない。ましてや、通訳が、涙ながらに、喜ぶ姿には、こちらも、涙腺が緩くなってしまう。天性の楽天的な性格や、一世を風靡したギャグのラミちゃんペッ!とか、ゲッツ等のパーフォーマンスで、少年ファンをも引きつけている魅力もさることながら、人一倍、研究熱心で、データをしっかり、分析して、その上で、捕手の配球を読もうとする努力は、並み居る野球の神様や安打製造器と言われた選手達と肩を並べると言うことは、並大抵の努力ではなかろう。何でも、ドナルド・キーン並に、日本国籍を取得することも、今や、視野に入れて、将来は、日本球界での監督も目指したいと意気込んでいると言われているが、、、、、、。WBCでのプエルトリコの活躍をみるまでもなく、国技としての野球を通じて、一介の出稼ぎ労働者だった人間が、この位置にまで、至るとは、人生そのもののように、こちらも、嬉しくなってしまう。阪急のバルボン等は、その昔の先駆者だったのかも知れないが、監督とか、コーチとか、こうした外人出身の選手達が、スカウトではなくて、直接、選手を指導するある種のスタイルを、是非、みてみたいものであると思う。一時期、デイブ・ジョンソンが、日本球界に、MBLの監督の実績をひっさげて、監督として就任するとか言う噂があったが、外国人社長が当たり前の昨今、是非、監督業を観てみたいものである。その成果は、どうであれ、そういう機会がくることを願ってやまない。



信州国際音楽村の水仙と上田城趾公園の桜:

2013年04月12日 | 自然・植物・昆虫
信州国際音楽村の水仙と上田城趾公園の桜:
10万株の黄色のラッパ水仙が、傾斜地の畑一面に、拡がり、青空と背後の桜の花に、見事に、映えている。水仙の根元には、つくしんぼうが、芽を生やしていて、春の到来を告げている。今朝は、里山も、うっすらと雪化粧していたので、風は未だ冷たいものの、日差しは、すっかり春のような感じである。21日迄、水仙祭りが開催されている。上田城趾公園の夜桜は、一寸、寒そうなので、日中に、訪れることにしたが、やや、盛りを既に過ぎている桜も多く、意外と今年は、早そうである。お堀の周りを一周して、ケヤキ並木の舗道を歩いて、一周してきたが、真田、十勇士と唱和して、ボランティアのお年寄りに、撮影を依頼して、赤武者兜の真田幸村役の役者さん等と記念写真に納まった。(笑い) 小諸の桜は、上田より、約一週間程度は、遅いと言われているが、今年は、多少、早いかも知れないので、早速、見に行かなければ、、、、、、、、。



安藤百福センター・ツリーハウスを観る:

2013年04月11日 | 自然・植物・昆虫
安藤百福センター・ツリーハウスを観る:
日清食品の創業者である安藤百福氏が、私財を投じて、食とスポーツの両輪の振興を目的に、設立した財団で、小諸、あぐりの湯の向かいにオープンしたのは、新聞でも知っていたが、冬場の入り口の凍った急な坂道は敬遠して、これまで、見に行っていなかったが、春も暖かくなってきたので、散策がてら、見に行ってきた。とにかく、眺めが素晴らしいではないか。北側の展望は、浅間山をはじめとして、絶景、ビュー・ポイントである。そして、自然体験活動者養成センターや、施設周辺のトレイルは、4コースもあり、なかなか、魅力的である。布引観音コース、浅間・森林浴コース、立科・八ヶ岳展望コース、そして、御牧ヶ原コース(9.3キロ)で、おおよそ、各4-5キロ程度で、高低差120-200メートル程で、気楽に、これからの季節、トレイルを愉しめそうである。トレイル・マップには、途中途中でのビュー・ポイントの表示が、書き込まれていて、カメラ片手に、写真撮影も、これ又、愉しそうである。ツリー・ハウスは、小鳥の巣箱をマンションのように、纏めたもので、説明によれば、梯子を登って(梯子は、残念乍ら、なかったが)小鳥の営巣の様子を観察できるように、裏側が、丸く、開けられている。もう一つは、未だ、階段が出来上がっていないようであるが、木の上から、眺める展望は、きっと、地上から眺めている風景とは、全く違っていることであろうと想像される。その他にも、これから、幾つか、ツリー・ハウスが、製作される予定であるとか、、、、、、、。実に楽しみである。躍動する風光、田園の長閑さ、そして、森の小径の静けさを、、、、、と、トレイル・マップの見出しには、書かれている。大きな樹の枝に吊るされた長いブランコを漕いでみると、又、別の風景が、観られるのも、面白いものである。童心に舞い戻る感じが宜しい。折角だから、カップ・ヌードルでも持って、次回は、トレイルに行ってみるとするか?




桃源郷の如きあんずの里をゆく:

2013年04月10日 | 自然・植物・昆虫
桃源郷の如きあんずの里をゆく:
もう20数年前のことであるが、旧更埴市、現在は、名前が、千曲市と名前が変わってしまったが、あんずの里へ、出掛けてみた。やや、花は、もう満開を少々過ぎたくらいであるが、遠く、山頂に掛けて、徐々に近づいて行くにつれて、ピンク色のまるで絨毯のような帯が、幻の桃源郷の如き趣で、見事に、そこには、あんずの花模様が、見てとれる。元禄の時代、伊予宇和島藩主、伊達宗利の息女、豊姫が、第三代松代藩主、真田雪道候に輿入れる折りに、故郷を偲ぶよすがにと、あんずをうえたのが、始まりだと謂われているが、その後、殖産や飢饉対策のために、奨励して、300余年の後に、今日の姿になったと謂われているが、、、、、それにしても、まるで、花咲か爺さんが、一挙に、花を咲かせたかのような趣で、小高い山腹から、眼下を見下ろすと、それは、見事なまでのピンクの絨毯である。更に、遠方には、未だ白い雪を頂いた北アルプスとおぼしき山並みが、くっきりと見てとれる。昔、NZの南島で、アプリコットの缶詰工場で、ジャムつくりを見学したことがあったが、残念なことに、収穫時期であって、こうした「花見」でなかったのは、誠に、残念であった。現地に、ゆけない方々は、こちらで、少しでもその雰囲気を愉しまれてみたら如何であろうか?信州では、今や、梅・あんず・桜・レンギョウ・こぶし等、紅白・ピンク・黄色、見事に、同時に、一挙に、百花繚乱の装いである。
千曲市観光協会HP:
http://chikuma-kanko.com/


久坂玄瑞的なる生き方とは、:

2013年04月09日 | 社会戯評
久坂玄瑞的なる生き方とは、:
京都の何処の寺だったのか、どうしても想い出せない。何か、絵馬が奉納されていたが、肝心のその絵馬に何が書かれてあるのか、古くて、色褪せてしまっていて、読めなかったことを覚えているが、それが、久坂玄瑞が奉納したと言うことだけが、その説明文に添え書きされていた。松下村塾の吉田松陰の妹婿という立場であり、且つ、高杉晋作や入江九一とともに、松下村塾四英傑と謳われた久坂も、僅か、24歳という若さの中で、その短い人生を「蛤御門の変」の渦中で、自刃して果ててしまったとは、、、、、、。八重の桜の中で、桂小五郎に向かって、「君の思うところに従って、君はゆけ、僕は残る」と、言ったかどうかは、定かではないが、如何にも、「逃げの小五郎」とは異なった生き方を選択したものである。何故、来島又兵衛らの出兵にも、一度は、応じなかったにも関わらず、この時点で、真木和泉も含めて、戦略的に、「退く」と言う選択をしなかったのであろうか?陽明学的な、「やむにやまれる思いこそが大切であり、結果ではない」という一言の有する情念なのであろうか?それとも、死生観なのであろうか?歴史に、もしもは、あり得ないのであるが、その2年後には、歴史の歯車は、大きく、転換することになるわけで、それは、今日、生きている我々だから、未来から過去を眺めうる唯一の特権を有する人間だからこそ、云えることなのであろうか?福澤諭吉にしても、明治の時代になっても、ガス灯が点るようになっても、暗闇を怖がって、歩きたがらなかったと言うが、古来、源頼朝や徳川家康ではないが、「怖じ気づく」ことは、決して、大将としての資質が欠けていることであるとは、必ずしも言いがたいものであろう。そんなことは、分かっていたのであろう。人生設計に、「戦略と戦術」というモノがあるのであれば、何故、そんなに、「生き急いで」しまったのであろうか?所詮、歴史は、生き残ったものの、(勝ち残ったとは言わないが、)そういう人間が、残したものなのであろうか?池田屋で、自刃して果てたと言われている宮部鼎三にしても、この久坂玄瑞にしても、どんな人物であったのか、著作でも、残しておいてくれないと、その思想性なり、人物像が、見えてこないのは誠に残念である。皮肉にも、「留魂録」等は、獄中に居合わせた人間が、後に、その口述するところを、謂わば、テキストのように書き写したものを持ち出したモノで、やはり、行為・行動だけでは、なかなか、思想性が見え難いものがあるのか、、、、。とりわけ、君子豹変するではないが、思想的な一大転換が、きっと、生きていればあったことをみてみたかったものであるが、、、、、、。まさに、「草莽」の中で、蹶起して、潰え去って行ったモノの生き方に、何か、坂本龍馬や高杉晋作や土方歳三らとは、違った未完成に終わってしまった者の見果てぬ夢のほうに、より興味と魅力を感じられるのは、不思議なことである。もっとも、坂本等も、未完であるが、、、、、。



コッペパンとピザと地場の小麦粉:

2013年04月08日 | 社会戯評
コッペパンとピザと地場の小麦粉:
コッペパンと聞いただけで、我々の世代は、あの冷えた固いまずい、給食のコッペパンを嫌でも思いださずにはいられない。だから、コッペパンが売られていても、絶対に、手を出すこともないし、食べようとも思わない。それ程までに、子供の頃の刷り込みは、激しいモノがある。「ユメアサヒ」なる新種の小麦が、南信州では、パン職人の夢を叶えられる品種であるそうである。小麦から出来る粉と言っても、強力粉・中力粉・薄力粉とそれぞれ、違いがあり、成長が早い「早生種」で、強力粉になる品種が、信州では、熱望されていたようである。考えてみれば、小麦は、パン、うどん、おやき、等の食材として供されるのであるが、当然、輸入小麦との値差、政府買い入れ価格との差や、小麦粉自体の値上がりや、円安に因る要素があっても、或いは、稲作の減反対策や遊休農地対策などによる作付け面積の大幅増加があったとしても、それでも、外国産の小麦に較べて、4倍もの値差があるのが、どうやら、現実のようである。ユメアサヒや、ハナマンテン、ゆめかおり等の国産小麦のブランド化だけで、本当に、競争力が上がるのであろうか?残念乍ら、私のような古い刷り込みが行われた世代には、どうしても、柔らかい、溶けるようなコッペパンと言われても、俄には、信じられないし、応じるわけにはいかない。ましてや、デリバリー・ピザに、代表されるような、或いは、焼きたてパン屋でのカット・ピザに代表されるような、一種の「食べるまでの時間を計算した」スペック(冷えても美味しいチーズや生地やトッピングなどを前提にした仕様・規格)でのピザは、本当の地場の粉を使用した石で出来た窯で、薪を焚いて、手ごねで発酵させた生地から、自ら選んだトッピングやチーズを載せて、焼きたてを食べるピザでは、そもそも、小麦粉自体の味が、多少、粉っぽくても、実は、違っていることを改めて、感じることになり、逆説的に謂えば、我々の舌は、実に、これまでのデリバリー・ピサの味が、「世界標準」の味であると、既に、初めから、「こうした刷り込み」が行われていたのかも知れません。「小麦粉」だけでなく、実は、「米粉」も、又、実は、然りなのかも知れない。カレーに合うような「ナン」の生地も、どうなのだろうかとも思うが、、、、。米粉で出来た「フォー」なんかもどうなのであろうかとも、、、、、。やはり、食べる方に廻るのが、楽だろう。どのようにしたら、こうした価格差と味の双方の問題を、同時に、解決できるのであろうか?そして、生産者・栽培者の立場を、如何に、支援できるのであろうか?地場の小麦粉や米粉でできたピザを食べながら、そんな感慨に、耽ってしまうが、、、、、。



又、一人、お友達が逝ってしまった!:

2013年04月07日 | 動物・ペット
又、一人、お友達が逝ってしまった!:
と言っても、人間の友人ではない。我が老犬の小諸の里山での幼なじみのお友達のことである。生まれた時期が近くて、子供の頃から、よく、里山で遊んでいたシェットランド・シープドッグのあすかちゃんである。神経質な犬で、よく、キャンキャンと泣くので、近所の家人から、「殺処分してしまえ!」とまで、言われたことがあったそうである。随分と犬嫌いでも、乱暴な物言いをする人がいるものである。我が老犬は、子供の時から、滅多に、自分からは吠えることなく、逆に、吠えられこそすれ、吠えることは、まずなかったものである。歳を取った今でも、余程のことがない限り、吠えることはなく、逆に、吠えるときは、何かをして貰いたいと言う意思表示であることが理解出来る。東京でも、一昨年の春先に、大型犬のおっとりしたお友達が亡くなり、その飼い主のご夫妻に、時々、散歩の時に、お会いすると、「頑張っていますねぇ!うちの犬の分まで、頑張って下さいね!」と励まされることもあった。本人は、分かってか、分からずか、実際、よく分からないが、いつものように、トボトボと、弱くなった後ろ脚をやや引きずりながら、散歩をしながら、クンクンと嗅ぎ廻っている。何とか、この冬も乗り切り、お花見が出来そうであるが、いつまで、こうして、散歩を愉しめるのだろうか?寒がり屋の我が老犬は、ストーブの前で、ゴロリと又、寝入ってしまったではないか、、、、、、。人間にも、犬にも、ご冥福と言うのがあるのかどうかは、定かではないが、ご冥福を祈って、一緒に、心の中で、合掌です。



蝿の飛翔を観る:

2013年04月06日 | 自然・植物・昆虫
蝿の飛翔を観る:
啓蟄は、二十四節気の三にあたり、土の中の虫も蠢き始める頃をいうらしいが、三月初め頃では、まだまだ、里山では、人間様には、寒くて、ストーブが欠かせません。4月に入って、やや暖かくなり、麓では、桜の開花の知らせが、届き始めているようですが、まだまだ、ゴールデン・ウィーク頃までは、ストーブが離せません。そんな中、ここでは、家の中が暖まると、まず、カメムシ殿が、天上の隅っこから、ムックリと活動を開始し、昨日は、便所蝿とおぼしき輩が、部屋に、入り込んできました。窓辺には、更に、脚長蜂が、網戸に、偵察にやってきました。これが、ここでは、一つの春の目安になっています。そして、土筆の芽が生え始め、挑戦レンギョウなどの草花の緑色の芽吹きが始まると、ようやく、春が来たのかなと実感されます。浅間山の雪も筋がなくなっていたかと思いきや、低気圧の通過で、再び、雪が降ったらしく、真っ白に、山頂付近は、白く化粧をし直しています。カメムシが多い年は、冬が寒いとか言い伝えられていますが、その割には、今年の冬は、寒かったと言われていますが、、、、、。里山の桜も、後、2週間位、掛かるでしょうか?まだまだ、蕾は、固いようです。



うつ病の時代をどう生きるのか?:

2013年04月05日 | 社会戯評
うつ病の時代をどう生きるのか?:
今の時代は、懐の深さを失ってしまった社会であり、且つ、一部の人にとっては、空気を読むこと自体が、負担に感じられるような時代であるそうである。バランスを欠く自己愛偏重や他人を責めたり、他人の言動に傷つき易かったり、ストレスにうまく対応できずに、環境適応が不適格であったりと、更には、病気とは云えないような適応障害とも思われるものまで、範囲が、今や、現代では、拡がる一方で、何が、健康で、何が、健康的でないのかすら、分からないような状況であるようである。しかしながら、少なくとも云えることは、そうしたこれらの症状で悩んでいる人々が、顕在的にせよ、潜在的にせよ、多いことは、どうやら、間違い事実のようである。もともと、人類の進化(?)の過程で、飢餓から生き延びるために必要不可欠なシステムとして創り出されたモノが、逆に、糖尿病のようなものを誘発する羽目になってしまったのは、実に、皮肉なことではないだろうか。同様に、環境にうまく適応し、秩序を維持することが、そもそも、生存上でも必要だったシステムそのモノが、今日では、逆に、「鷹揚さ」とか、「寛容さ」とが、徐々に失われてきて、やがて、他人のことには、あまり関わっていられるような余裕すらなくしてしまいITの進化とも相俟って、異常に敏感な社会と個々の人間関係までもが、その中で、閉塞状況下に置かれてしまうことになってしまったのだろうか。そう言えば、まだ、子供の頃には、フーテンの寅さんのような何をしているのかよく分からぬオジサンが、不思議に、いたものであることを想い出す。もっとも、病まないためには、無理せずに休みを取ったり、ライフ・スタイルや生き方を軌道修正したらよいとか、言われても、そう簡単には、出来るモノではないだろう。しかしながら、どうやら、一つだけは言えそうである。それは、「気分転換」や、「疲れを溜めないこと」、精神的にも、肉体的にも、この二つは、肝心要のキー・ワードのようである。FBなどのコメントをみていると、若い人達は、本当に、労働時間が長くて、今日は、、、、と思いきや、既に、時間を見る限り、もう、明日になっていたり、いくら若いからと言っても、そんなに短い睡眠時間で、脳細胞が、金属疲労を起こさないのかなと誠に、年寄りから観ると心配になる人達が実に多い。確かに、自分も仕事を持っているときには、かなり、働いた記憶があるが、1960年代後半に、ヘルベルト・マルクーゼが、その著作、「純粋寛容批判」という本の中で、体制が有する寛容さを「抑圧的寛容」と称したものであるが、今や、今日では、そんな寛容さや鷹揚さは何処へやら、どこの国でも、グローバリゼーションとやらの世界標準という名の下、訳の分からないギスギスした社会関係性が、会社組織でも、その人間関係の中にも、或いは、本来盾となるべき家族関係の中にも、ヒタヒタと忍び寄って来つつあるようである。まずは、一風呂浴びて、頭の中の老廃物を全て、スッキリさせて、我が老犬と散歩にでも、行くことにしようか、、、、、、、。まずは、疲れを取り、美味しい空気を腹式呼吸で吸い、副交感神経を蘇生させ、太陽を浴びることが、大切かも知れませんね。



佐村河内守という音を失った作曲家のこと:

2013年04月04日 | 社会戯評
佐村河内守という音を失った作曲家のこと:
サムラゴウチ マモルと読むそうである。NHKスペシャルで、こういう作曲家がいることを改めて知った。何とも、生まれつきではなくて、後天的に、難聴を患って、何種類もの薬を服用しながら、そのボイラー室のような音の響きという痛みを和らげなければならず、音を、失ってしまった被爆二世の作曲家であると、、、、、。随分、芸術家というモノは、色々な苦難を乗り越えて、仕事をする人がいることに、唯々、健常者の身である私は、恐れ入ってします。辻井伸行にしても、盲目のピアニストと呼ばれる事自体を、盲目である事自体が、逆ハンディキャップであるとみられることを嫌うように、佐村河内守も、同様に、その音を失った作曲家というレッテルを、或いは、ハンディキャップを嫌うそうである。交響曲第一番ひろしまには、聴衆の琴線に触れると言われている「旋律の十字架」というものが、存在しているらしい。全くの音楽音痴の門外漢である私には、よく、分からないが、確かに、それを聞く限りでは、成る程とも、感じられないことはない。そういうものなのであろうか?こんなに、長い交響曲を作曲する方も、大変であろうが、これを一生懸命、指揮し、演奏する方も、負けじとばかり、眼には見えない魂の闘いが、音の世界で、繰り広げられているのであろう。しかしながら、皮肉にも、その演奏する音や、ましてや、その終了し終わった聴衆の拍手は、その作曲家には、聞こえないのであろうか?せいぜいが、身振り手振りや、会場の空気が振動して伝わってくる雰囲気でしか、感知できないのであろうか?東日本大震災で肉親を失った少女への鎮魂のレクエアムも、その創作過程は、すさまじいモノがあることに驚かされる。右手の不自由なバイオリニストの少女との交流からも垣間見られるように、画家でも、ダンサーでも、音楽家でも、版画家でも、彫刻家でも、何とも、すさまじい内なるエネルギーを人間は宿しているのであることに、改めて、気付かされる。ましてや、ハンディキャップを背負いながら、それを克服しつつ、突き動かされるように前に進む人にとっては、今後、どんな作品を、次に、生み出して行くのであろうか?実に、愉しみである。



「きくいも」後日談:

2013年04月03日 | 男の手料理・食
「きくいも」後日談:
何せ、箸休めのつもりで丼一杯分のキクイモを作ったものの、箸休めではなくて、逆に、「箸進め」になるとは、あっという間に、食べ尽くしてしまった。仕方なしに、又、原材料を仕込みに、産直売り場へと温泉帰りに立ち寄ると、レジの老齢のご婦人が、「これは、どうやって食べるんですかねぇ?」と、逆に、質問されてしまった。一応、ネットで調べておいたあるったけの情報を提供したところ、「東京の人に、教わるとは、、、、地元じゃぁ、意外と知らないモノだよねぇ!」と言われてしまった。存外、そんなモノなのかも知れないですね。私も、確かに、東京出身の人間ではあるものの、もう、随分、長いこと、四半世紀も、小諸との間を往き来しているので、現地で当たり前であっても、東京では、結構な稀少価値がある野菜や資源が、まだまだ、色々と眠っているのかも知れません。ただ、それに、我々は、ついぞ、気が付いていないだけなのかも知れませんね。「ルバーブ」なども、地元の人に話を伺うと、「そんなもの、庭先に、いくらでも毎年、生えてくるんですよ!」などと、言われると、全く、ガッカリしてしまいます。食材というモノは、ある意味、そんなモノなのかも知れません。むしろ、そんな当たり前なモノに、何かを、付加価値として付けられる目利きの人がいれば、面白いかと思われますが、、、、、、、。無償のボランティア動く広告塔としては、又、新しい何かが見つかることを期待しています。今度は、どんなものが、見つかるかな?



温泉場での少年の会話におもう:

2013年04月02日 | 社会戯評
温泉場での少年の会話におもう:
老犬介護の湯治客だから、大体、決まった時間に掛けて、温泉施設に出掛けるが、春休みの為なのだろうか、小学生が、お爺さんと一緒に、風呂に来ることもしばしばである。たまたま、湯上がりの脱衣場で、小学4年生くらいの男の子だろうか、もう一人で、入浴にきていて、同じ風呂上がりのお年寄りと話をしていた。どうやら、今中継中の高校野球の試合の途中経過の話題らしい、別に、知り合いのご老人でもないらしい。しかも、一度、脱衣場から、出て行き、すぐさま、テレビの途中経過を報告しに戻って来た。又、別のご老人が、声を掛けて、「僕は、野球選手になるのかね?」と問いかけると、その少年は、冷静に、「そんなことは、ありません。」と、、、、、、、。何とも、この会話の応酬に、思わず、内心、ほくそ笑んでしまった。都会では、そもそも、銭湯も少ないが、それ以前に、見知らぬ人に、声を掛けられたら、母親から、「注意しなさいよ!」と、教育されていて、況んや、見知らぬお爺さんに、テレビの試合の途中経過を報告しに、わざわざ、戻るなどとは、考えられない訳です。ましてや、脱衣場で、見知らぬ人と話などすることはないでしょう。確かに、見知らぬ人に、声を掛けられたりしたら、身構えなければならないのかも知れないが、私が、感心したのは、この少年の有するおおらかさと、見ず知らずのお年寄りのご老人にも、物怖じしないで、喜んで、しっかりと、会話が出来ていることである。きっと、家族にも、お爺さんやお婆さんと一緒に暮らしているのかも知れない、だからこそ、さりげなく、何の抵抗感もなく、しっかりとした会話が出来たのかも知れない。この少年の笑顔と行動は、一体どのような家庭環境で、生まれてきたのであろうか?裸の付き合いとはよく言ったものであり、ご老人も、孫のような他人の少年との会話を何気なしに、まるで、知己のように、会話を交わせるのは、素晴らしいことではないだろうか?きっと、この少年は、発達障害のような現代的なコミュニケーション問題に陥ることはないのではないだろうか?何気なく、見知らぬ人とも、会話や挨拶が、自然に出来る雰囲気が、温泉浴場には、どうやら、あるようである。もっとも、発達障害や接触障害を抱える人は、小さい頃から、その萌芽が垣間見られたのだろうか?難しい問題である。考えさせられてしまうモノがある。



「アトリエノマド」という生き方:

2013年04月01日 | 社会戯評
「アトリエノマド」という生き方:
小さな地方の都市にも、まだまだ、しっかりと、新しいビジネス・モデルを農業の中で、構築しようと試みている志の高い人達がいるものである。「アトリエ」だから、元々、「工房」という意味合いであるが、農園とか農場だとまだまだ規模が大きくて、「生産する=モノつくり」という意味合いでは、小規模であっても、誠に、その志すところは、同じであり、しかも、自分の本当に作りたいモノを手作りで創作するという哲学的な概念も含まれているようである。では、「ノマド」なる言葉は、如何なるものであろうか?成る程、農業の吟遊詩人のように、全世界をまるで、遊牧民のように、修行の旅をしながら、どこでも、机にとらわれずに、自由に、修行・仕事ができるというそういう意味合いで、ノマドということなのだそうである。フランスでの野菜修行・農業研修実習も、そういう意味合いで考えれば、十分、理解出来るものがある。フランス野菜という謂わば、ニッチなマーケットと言えば、ニッチなのであろうが、考えようによっては、素晴らしいトライであり、起業であろう。フランス野菜の生産・販売、B2BやB2Cも含めて、こういう分野で、新しい形でのフランス野菜に特化して、生産・卸・販売という起業業態が出現してくることは、誠に、喜ばしい限りである。確かに、大原女ではないが、京野菜販売なども、一つのヒントになろうか?大規模なJA主導による単品大量生産方式の農業生産方式も、TTPの交渉推移如何によっては、近い将来、疑いもなく、大きな岐路に立たされることになるやも知れず、こうした取り組みの行方は、多いに、注目に値する動きではないかと思われます。確かに、「バイオダイナミック農法」なるものは、基本的には、哲学的なコンセプトとも関わりがあり、もっとも、農耕作業というそれ自体が、そもそも、フランスやドイツだけでなく、日本でも、天文学や宗教的な意味合いや哲学的な意味合いが、その起源に内包しているものでもあり、有機農法や無農薬農法とも、ある種、そのプラット・フォーム上では、共通する部分があるのかも知れません。私が、興味を引かれるところは、何も、生協の如く、化学物質を使用しないとか、有機であるとか、そうでないとかいうことではなくて、こういう「生き方」自体が、新しいビジネス・モデルというか、起業形態とでも言おうか、或いは、人生モデルとでも言った方が、良いのかも知れないが、そうしたものが、どのようにしたら、出来上がってくるのであろうかということでしょう。都会の貧困セイフティー・ネットワーク対策も必要でしょうが、もっと、日本農業を再生できるようなビジネス・モデルが、ITやネット通販という分野だけではなくて、その萌芽から成長へと支援できるような仕組みがもっと、欲しい物であると思いますが、、、、、、。すやすやと眠っているご夫婦のお子さんが、どんな風に、育つのかも楽しみですね。野菜は、美味しいし、面白いが、それ以上に、生き方、ライフ・スタイル、ここに辿り着く人生の廻り道それ自体に、日本人の何か、「新しい可能性」を感じられるものがそこにはあるのではないでしょうか。それを、しっかりと、ビジネスでも、是非、形にして貰いたいし、及ばずながら、勝手に、支援してゆくお手伝いをしたいものである。おそらく、農業学校や専門家では、こうしたライフスタイルに基づく教育は、決して教えないでしょうね!

L’Aterier NOMADE HP: FBにも「アトリエノマド」で、ありますよ。
http://www.sas.janis.or.jp/~atelier_nomade/index_japonais.html