小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

中国の七禁句を日本で考える:

2013年05月16日 | 社会戯評
中国の七禁句を日本で考える:
何でも、中国の大学で、当局の指示により、七つの用語が、禁句として、教えないようになるようであるが、本当にそんなことが、可能なのであろうか?人間は、禁止されればされる程、より知りたくなるモノである。「普遍的価値」のほかに、「報道の自由」「公民社会」「公民の権利」「(共産)党の歴史的誤り」「権貴資本主義」「司法の独立」が禁句とされたと、「権貴資本主義」なる言葉は、権力と資本が癒着した資本主義のことで、一党独裁下の市場経済化で不正・腐敗がまん延する中国の現状を批判的に解説する際に使われている。それにしても、感じの国である。「裸官」とか、「小皇帝」とか、表だって、禁止されても、裏では、揶揄されるような「隠語」が、公然と、当たり前に、使用されるのが、せいぜいであろう。実に面白い国柄である。翻って、日本を見たときに、中国のこうした政策指示を、果たして、心底から、笑えるのであろうか?いやはや、憲法96条の議論も然り、どこかのお調子者の「従軍慰安婦」に関する発言や、「歴史認識」に対する軽率な発言を見ていると、果たして、本当に、日本という国は、中国のことを手放しで、笑えるのであろうか?戦前の治安維持法ではないが、表現の自由を規制するようないかなる策動も、まるで、「茹で蛙」状態にならないという保証は何処にもないであろう。浮かれ調子に、挙げてみれば、つらつら思うに、日本の戦後史の七つの禁句も、ここら辺で、考え直して見る必要があるのかも知れない。「自由・平等」、「領土・領海・領空」、(北方領土・尖閣諸島・竹島)「国際貢献」、「沖縄と独立」、「非正規雇用」、「社会保障制度」、「一票の格差是正」、等々、いくらでも、魑魅魍魎の如く、出てきそうであるが、これは、どうしたものだろうか?他山の石としたいところである。



八重山吹きの花を活けてみる:

2013年05月15日 | インポート
八重山吹きの花を活けてみる:
今を盛りに、黄色の八重の山吹が、徐々にではあるが、ここ数日の気温の上昇と共に、元気を増してきた。そこで、来年の花芽の為にも、咲いている枝先の花を少々、切って、白い壁掛けに、木目が映える壁飾りのうえに、一寸、活けてみることにした。花瓶は、中国で、随分昔にお土産に購入した薄い今にも割れそうな景徳鎮産の花瓶である。(ミニチュアであっても、景徳鎮ではないか?変なところで、ブランドに拘ってしまうが、、、、)もっとも、ミニチュアの花瓶だから、割れてもいいように、確か、色々な形の花瓶を6種類くらいセットで、購入してきて、気まぐれに、花瓶の形を替えたりして、愉しんでいるモノである。季節毎の花を、少々活けてみると、なかなか、味わい深いものである。タンポポの黄色も宜しいが、山吹の八重も、なかなか、宜しいのではないだろうか?ミニチュア花瓶だから、大きな花を活ける必要もない。2輪ほどでも、結構、存在感があるものである。
白い壁と桑の木の茶色の木目と山吹の黄色とが、何とも謂われぬハーモニーとコントラストを醸し出していて、結構、お気に入りになりそうである。



RCEP交渉の開始:

2013年05月12日 | 社会戯評
RCEP交渉の開始:
TPPの7月交渉参加や、EUとの交渉開始の陰で、ひっそりと、所謂、東アジア地域包括的経済連携(アールセップ)交渉が、ブルネイで、開始された。ASEANに日中韓、インド等6カ国も加えた東アジア経済圏樹立を目指す第一回交渉の開始である。ミャンマーやカンボジア等のまだ、市場経済が十分発展していない諸国やインドなどの国内市場への投資規制が厳しい国も、交渉に加わり、なかなか、その交渉の推移には、目が離せないモノがある。2015年末までの妥結を目指すと言うことであるが、色々な交渉とも相俟って、興味深い。どうやら、現代の経済関係とは、ますます、多元化というか、多層化しつつあるようで、これに、更に加えて、個別二国間交渉もあて、誠に、複雑怪奇な様相を呈している。1ドルが、いよいよ、100円の壁を突破して、本格的な転換期を迎えつつあるようにもみえる。新聞の片隅に小さく出ていた記事であるが、今後の交渉推移と各国の主張とせめぎ合いが、どのようになされて行くのかを注視して行きたいものである。



旧いベトナムの友人を迎える準備:

2013年05月11日 | 社会戯評
旧いベトナムの友人を迎える準備:
もう、随分と長い付き合いになってしまった。今から、15年位程前のことになるだろうか?まだ、一々、その都度、ベトナムへ行く度に、大使館で、ビザを申請して、許可を貰って、しかしながら、今や、ASEANの協定により、3ヶ月以内であれば、ビザなしに、しかも、向こうから、やってくるときにも、ビジネスをやっていれば、ASEANの公認パス・カードを申請して認可されれば、日本での入国も、問題なく、パスできることになっている。全く、夢のような話である。その昔、現地の幹部クラスを日本へ招聘・来日する際に、待てど暮らせど、ゲートから出てこず、後で、尋ねたところ、入管で、トラブり、結局、私が日本語でメールしておいた書類を見せて、無事、入国できたことも、今や、懐かしい想い出話となってしまった。それにしても、もう、何度となく、冬の北海道も体験していたり、地方も一緒に、広島や四国を仕事で、巡ったこともあるものの、今回、信州は、初めてである。東京で、出迎えて、車で、高速に乗り、連れてくる予定であるが、早速、深夜便の長旅による疲れを、露天風呂で、洗い流して、一息ついて貰いたいところである。そして、新鮮な空気とおいしい水と、満天の星空、雪を頂いたアルプスの景色、静けさ、そして、本人が大好物であると自認している蕎麦を、とりわけ、信州蕎麦を振る舞わない訳にはゆかないだろう。林檎果樹園の満開の花や、産直の野菜売り場も、案内しなければ、そして、地酒や、鯉料理なども、とにかく、大都会では味わえないような大自然の中での「おもてなしの精神」に、触れてもらいものである。そして、何よりも、信州のファンになってもらい、たくさんのベトナムの旧い友人達にも、多いに宣伝してもらい、次世代も含めて、再来日、毎年でも日本へ、脚を運んでもらいたいモノである。そんなことを願いつつ、大掃除、準備開始である。今年の夏には、これ又、別の旧い友人家族が、友達家族と一緒に、子供達も含めて、来日する予定である。草の根の文化交流を、積み上げてゆきたいものである。そして、日本文化のファンを、一人でも多く、作って行きたいと考えています。土産には、何が良いかと問われたので、春巻きを浸して戻すプラスチック製の道具とベトナム・コーヒーを遠慮なく、所望しました。これで、手巻き鮨なみに、簡単に、春巻きが、食べられますネ!お返しには、太巻きが、簡単に作れる太巻きキットにしようかと考慮中です。



松本空港発着による海外旅行の発想:

2013年05月10日 | 社会戯評
松本空港発着による海外旅行の発想:
一体、いつ、県営松本空港は、開港されたのかも、想い出せないが、そもそも、どのようなコンセプトで、開港されたのであろうか?今頃になって、国内観光旅行パックと一緒に、福岡や札幌を経由して、海外旅行とのタイアップを図るべく、助成金を与えられると、報じられている。しかも、一商品あたり、20万円を上限に補助金が付与されるという。それにしても、遅かりし由良之助ではないか?それでも、まだ、よしとするか?やらないよりはマシであろう。それにしても、相変わらずのチグハグだらけのワン・ウェイー的発想であるのは、至極、残念である。折角、その国へ、パック旅行でも行くのだから、逆に、その国の海外旅行者を、逆のルートで、イン・バウンドの増加を図る方策も考えるべきではないだろうか?海外ウーファーさん達と話していると、ほとんどが、ネットで、旅先での旅行情報を取得しているのが、実態である。駅に降り立っても、空港に到着しても、コンビニは、何処にあるのか?ホテルへは、どのようにして、交通アクセスすれば良いのかなど、全て、ネットでのWi-Fiが、前提になっているのに、そんなインフラも、まだまだ、未発達なのが、地方での現状である。箱物ばっかり作って、採算は、利用促進のソフトのトータル的な構築は、二の次で、赤字になっても、累損も知らん顔で、税金で補助金を、しこたま、投入するやり方では、何とも、情けない話であろう。考えてみれば、新幹線と列車で、2時間+アルファー、交通費も高く、大きなスーツ・ケースを押しながら、行くのと、車で、直接、空港にまで行けるのとでは、どちらが、便利で、より楽かは、一目瞭然であろう。不採算路線の撤廃に伴い、或いは、頼みの綱としていた日韓の海外旅行客も、政治的な問題以来、激減し、今や、地方空港の生き残りは、もう、待ったなしの状況であろう。だからこそなのか、それとも、今更なのか、もう少し、総合的に、知恵を出せないものか、全く、歯がゆくてならないのは、私一人であろうか?県内の観光資源の活用についても、全く、同様のことが云えよう。チグハグな場当たり主義ではなくて、総合的な観光政策が、望まれてやまない。



アクティブ・スポーツなる概念:

2013年05月09日 | 社会戯評
アクティブ・スポーツなる概念:
成る程、日本語で言うところの「体育」とは、どうやら、富国強兵の為に培われたところの学校教育上の心身を鍛え上げて、立派な兵隊さんをたくさん創り出し、且つ、銃後の守りもきちんとできる婦女子を大量生産する為の一つの手法であったという側面も、持っているらしい。従って、今日、喧しく議論されているところのスポーツ界での体罰や世間一般での虐めも、どうやら、この辺の歴史的な背景とも、まんざら、関係無いとは言い切れないようでもある。フィンランドのスポーツに、フィンランド野球なるものがあったとは、全く知らなかった。クリケットではないが、野球にも、随分と分派した流派があるモノである。もっとも、どちらが、本流で、どちらが、分派なのかは、定かではないが、、、、、。確かに、今年開催されたWBCの世界大会でも、イタリアやオランダなども、結構、ヨーロッパ勢のレベルが高いことが分かったのは興味深いことである。それにしても、子供の頃から、多様な色々な種類のスポーツを体験することを推奨することが、学校での役割であり、放課後は、学校とは独立した地域のコミュニティーによるスポーツのクラブ活動が、主体になるようである。従って、これが、今日の所謂、「アクティブ・スポーツ」の基礎概念になっているようである。そこには、何も、競技で、「一番にならなくて良いのです!」と言うゆるーいスポーツ精神が、根幹に在り、各個人個人が、スポーツを「愉しむこと」を、「親しむこと」を、中心に据えて、運営されているようである。確かに、映像を観ていると、スケートでも、何やら、氷上でストックを用いながら、スケートしていたり、スキーも、椅子に座って滑ったり、片脚をキックしながら、滑っているではないか?日本では、そんなことをしようものなら、即、強制退出の憂き目に遭うのが、せいぜいで、規則遵守が、何よりも大切にされ、大衆的な秩序最優先で、所謂、スポーツも、何人も、愉しもうとする精神的なゆとりが、全くない硬直した官僚主義そのもの以外の何ものでもない。スキーなどは、衰退している以上、客寄せの意味合いからも、年寄りが、椅子に座って、倒れないような椅子スキーとか、自転車のハンドルを持ったような自転車スキーも許可するような柔軟な体制が、必要ではないだろうか?年寄りには、絶対転ばないスキーとか、スケート用には、絶対に、滑って腰を打たないスケート器具とか、彼女と一緒に、滑れるスキー器具や、スケート器具が、あっても良さそうなモノであるが、、、、、、。何とも、成熟したスポーツ大国であろうか?日本も、いい加減に、オリンピック中心の挙国一致の競技スポーツ大国、或いは、メダル至上主義から、個々人中心の「アクティブ・スポーツ」大国へと変身しても良い時期にきているのではないでしょうか?どうも、オリンピック招致の運動には、政治的な胡散臭いものを感じて仕方ないのは、私だけの感慨なのでしょうか?



韓国、国際競争力の摩訶不思議:

2013年05月08日 | 社会戯評
韓国、国際競争力の摩訶不思議:
昔から、為替のバランスは、まるで、人生ゲームや双六のように、良いときもあれば、悪い時もあるということで、国の栄枯盛衰も、経済の構造改革も、ジェット・コースターの如くに、目まぐるしく展開する。自分の私的な経験から、その昔、円がまだ、180円から、120円に向かって円高傾向にあったときでも、主力の輸出産業の経営者達は、100円になっても、自信はあるかの如き発言がなされ、大変驚いたことを今でも記憶している。事ほどさように、当時から、日本は、為替の洗礼をしたたか経験して、国難とも言われたオイル・ショックやその後の激しい為替変動を、まるで、おしんの如く、堪え忍びつつ、技術力と海外生産分散や現地化で、何とか、凌いできたモノである。もっとも、流石に、昨今の超円高とデフレの進行から、脱却すべく、円安方向に舵を切らざるを得なくなってきたものの、逆説的に言えば、国策ともとれるような韓国のウォン安意図的な為替管理政策が、今や、一転して、ウォン高の逆風に、対峙せざるを得ず、順風満帆であったサムスンや、トヨタもその自動車を分解されたとされる現代自動車ですらも、やや、失速し始めているようであることは、一体、彼我の差は、何処に起因するのであろうか?それにしても、日本という国は、面白い国である。これでもか、これでもかという国際的な為替変動の洗礼を受けても、何とか、しぶとく、生き残りを賭けて、国際競争力を高めてきた。それを思うと、韓国の国際競争力というものは、実際、本当は、何が、その根幹なのであろうか?為替管理政策の化けの皮を剥がされると、その仮面の下には、一体何が、残されているのであろうか?それとも、何も残されていないのであろうか?翻って、我が国を見直すとき、逆に、日本には、何が、残されていたのであろうか?或いは、何を死守し続けてきたのであろうか?そして、何をしたからこそ、生き残れたのであろうか?今日、そこを冷静に考えてみたいモノである。自信を失いかけた日本という国が、日本人が、今再び、それを考え直して見るのも、決して、無駄ではないであろう。



我が老犬の食事の作法:

2013年05月07日 | 動物・ペット
我が老犬の食事の作法:
何でも、食事の際に、箸置きを使用すると、一度、箸休めをすることによって、そう言えば、英語では、chopstick restと言うが、成程、端を休めている間に、30回くらいは、しっかりと、咀嚼するものであることに気付かされる。更には、食事の所作振る舞いが、洗練されたものになるそうでもある。その意味では、子供の頃から、箸置きを使う習慣をつけることが肝要であろう。もっとも、我が老犬には、そんな食事の作法は、通用はしない。更に、歳とともに、最近では、ドッグ・フーズを口から、ボロボロ、こぼしながら、食べる始末である。しかも、犬の野生の成せる技なのだろうか、初めに、大好物のものを、食べてしまい、後は、お構いなしであることに気づく。自分は、どうしても、大好物のものは、子供の頃から、後回しにして、まずは、嫌いなものから食するというのが、習慣である。「もっと、ゆっくり噛み砕いてから、飲み込みなさい」と勧めても、決して、気にすることもない。ひたすら、食べられる時に、必死に、食べるだけである。それにしても、うまそうに、ガツガツと、見事に食べるものである。「食べられている間は、大丈夫だね」と、よく、人に言われるが、きっと、そうなのであろう。食事の作法も、もう、どうでも良い。好きなときに、好きなものを、好きなだけ、食べれば宜しい。もっとも、そんなに、無茶苦茶に、食事やおやつを好きなだけ、与える訳ではないが、、、、、、。マイ・ペースで、食べて、長生きして下さい。


わたしのどうらく展を覗いてみる:

2013年05月06日 | 社会戯評
わたしのどうらく展を覗いてみる:
それにしても、随分と様々な分野で、しかも、専業や、或いは、別の職業やら(珈琲店、大工、水道配管工事、工務店、農業、等々)に従事しながら、芸術作品を作り上げる人達が、何と多いことだろうか?全くの門外漢だから、そのジャンルの多さには、圧倒されてしまう。少しは、自分でもやってみようかという不埒な悪魔のささやきと誘惑が生じないではない。これが、どっこい、鑑賞すると言うことと実際手慰みでも、作品を作ることは、全く、天と地ほどの差があることは、先般のインターナショナルお絵かき遊びの体験からも、想像に難くないことは、事実であろう。細かな説明はさておいて、出品作家の名前だけでも、簡単に挙げておきましょう。田島征三(絵本作家)、松本雅隆(ロバの音楽座)、山口マオ(イラストレーター)、宇田川新聞(木版画イラストレーター)、田嶋健(版画家)、たかはしびわ(画家)、田村至(大工)、土屋和浩(アートディレクター)、大形拓嗣(写真家)、政所新二(木彫刻家)、おおらいえみこ(絵描き)、天野季子(美術館学芸員)、フジックス(針仕事師)、いけだよしえ(フランス野菜栽培)、等々、5月31日まで、茶房、読書の森で、どうらくオルガン移築完成記念に併せて、、、、、、開催中だそうである。それにしても、「どうらく」という言葉の響きには、ある種の贅沢と羨望が、どうやら、潜んでいそうである。



タンポポを活けてみる:

2013年05月05日 | 社会戯評
タンポポを活けてみる:
タンポポが、そこかしこに、咲き乱れている。生態系の維持の観点からも、根ごと引き抜いてしまうのも、一手だが、それも可哀想だと言うことで、花を生かすということにしてみた。もう20年近くも生えていた白樺が、約5年程前に、まるで、散弾銃の弾丸を撃ち込まれたかのように、無惨にも、カミキリ虫の餌食と化して、枯れてしまった。そこで、枝や幹を、朽ち果てさせておいたが、先月、東京の家で、それらの枝を、インテリア用に、古新聞紙に包んで、「自由に、お持ち下さい」と貼り紙をしておいたところ、見事に、2-3日の内に、捌けてしまった。この調子なら、白樺の幹や、樹皮も、活け花やインテリアに、都会では、重宝がられるかも知れない。そこで、中身が、朽ちて、空洞になった白樺の樹皮に、タンポポを添えてみることにした。昨秋、野蔓で編んだ作品展を見た時に、見事な白樺の樹皮に、活け花が活けられているのを思いだした。これなら、タンポポも、その黄色い花の色が、白樺の白い樹皮にマッチするかも知れない。そこは、素人だから、適当に、大雑把に、且つ、いい加減に、活けてみるだけで、「瞬時の美的感覚」だけを大切にしてみることにした。相変わらずの無手勝流儀である。それでも、決して、悪くないので、今回は、玄関の脇に、そっと、置いてみることにした。家人は、気が付くであろうか?その作品に、それとも、花を活ける人の心意気を、、、、、、???果たして、どちらであろうか?




カリンバの音色に聴き入る:

2013年05月04日 | 社会戯評
カリンバの音色に聴き入る:
マリンバではない。カリンバなる楽器である。奏者曰くでは、何でも、ジンバブエに伝わる楽器を、見よう見まねで自作した楽器らしい。これも又、心意気が現れていて宜しいではないか?しかも、楽譜もなく、メロディーラインを試行錯誤の末に、その原曲に、合わせて、演奏しているとの説明であった。それにしても、英語では、何やら、Thumb Pianoと言われているらしいが、確かに、親指の爪で、その少し伸びた金属線を、親指で、しごくように弾くわけだから、英語の名前の由来も納得がゆこう。それにしても、アフリカの民族楽器というモノは、随分と色々なものがある。サブニュマのエネルギッシュなダンスと太鼓に、魅了されてしまった私であるが、このカリンバなる楽器が奏でる音は、どうも、オルゴールの音色に似ているような気がする。まるで、金属の突起物が、廻りながら金属の鍵盤を弾くときに出すあのオルゴールの音色に、そっくりである。何とも、アース・ミュージックのような音色である。エスニックな民族楽器というモノは、誠に、興味深いモノである。楽器というモノは、どうも、奏者の哲学や人生観が、反映されるのではないだろうかと時として、その音色に聴き入っていると、そう思われる。尺八でもキールのような木管楽器などや、シャンベなどのアフリカン・ドラム等、自分は、門外漢だから、唯々、聴く側に廻る者であるが、なかなか、興味深いものである。又、たまには、心地よい音で、浮き世の穢れた世界にならされた耳を濯ぎたいものである。そんな音色でした。



島耕作のアジア立志伝におもう:

2013年05月03日 | 社会戯評
島耕作のアジア立志伝におもう:
(アニメ)X(ドキュメンタリー)の融合手法で、アジア経済最前線と成長の秘密に迫るシリーズの番組である。第1話スペシャルは、タイのCP(チャロン・パカポン)のタニン・チャラワノン会長の特集である。(種子の販売から、飼料・海老の餌・鶏の餌・養鶏場・鶏肉販売、流通・不動産・保険等の国際的なコングロマリットになった正大集団のこと)その華僑の経営手法と日本的手法とを対比させながら、どのように、チャンスをつかみ取り、困難を乗り越えてきたかというところを、今日的に、日本的経営の苦境克服と相俟って、考えてゆこうとするシリーズである。基本的な華僑独特の「風険投資」や、「三利」の思想を引用しながら、この今や「政商」と化した人物像と経営手法を考えるというモノである。そのリスクを危険と捉えるのではなくて、チャンス=機会と捉えるのは、結構なことであるが、多いに、違和感を覚えるのは、所詮、時代が生み出した政商であることには、変わりがない。独自のビジネス・モデルを創り出したことは、偉大であるが、どうも、松下幸之助や本田宗一郎のような「官に頼らない」経営哲学というモノがそこには、一向に、見えてこない。要するに、泥臭い、若干、greedyな感じのする如何にも華僑そのものの「血脈」が感じられて鼻持ちならないのは、どうしたものか?農民が土地を収奪されるのを逆手にとったビジネス・モデルで、養鶏場を設立することが、本当に、農民の為になるのか?株式配当と将来の所有権を与えることが、本当に、農民の為になるのだろうか?一体、どこまで、資本の論理と利益をあげれば、この巨大な国際的なコングロマリットは、気が済むのであろうか?私には、それが、「違和感」と感じられてならない。新疆ウィグル自治区に、保険会社を開設して、農民に、保険を販売する事業でも、一体、現地のチベット人の自殺・人権弾圧を、どう考えているのであろうか?番組では触れられることがないのは残念である。問題があれば、その都度、考えて解決すれば良いと言った鄧小平の言葉は、今日、その発展の引き替えに、ますます、その矛盾を拡大し、貧富の差や格差の拡大や腐敗を増幅させつつある。我々、日本人は、華僑でない以上、華僑から学ぶのは良いとしても、独自の日本人としてのビジネス・モデルを提示すべきではなかろうか?それにしても、華僑担当大臣なるポストが、中国政府にはあることに、改めて、驚かされる。日本は、移民を一種の「棄民政策」、或いは、満蒙開拓団ではないが、ある種の「国策」として、北朝鮮帰還事業も、そうであったように。必ずしも、華僑のようには、うまく、海外在住の日本人を活用出来ていないのが、実態であろう。或いは、帰国子女でもそうであるが、そうした貴重な体験やノウハウを有する人材の活用が、おざなりになっているのは、極めて、残念である。チャラワノンと言う名前は、飽くまでも、タイ国籍の名前で、その4人兄弟の名前は、皆、全て、民という字を付けて、父親が、正大中国(正民・大民・中民・国民)という頭文字を続けると、正しい大きな中国と言う意味になるとか、、、、?だから、天安門事件の時にも、撤退しなかったのだそうである。これが、今日の国際的なコングロマリットの基礎を築いた所以なのである。見方によっては、謂わば、血塗られし経営者ではないか?もっとも、それが、資本の論理の下では、「風険投資」として、逆に今日、評価されているとは、、、、、何とも、皮肉なモノである。果たして、我々、日本人は、反日デモの嵐の中で、どんなビジネス・モデルを提示出来るのであろうか?今や、問われているのではないだろうか?



今度は、ドイツからのウーファーさんである:

2013年05月02日 | 社会戯評
今度は、ドイツからのウーファーさんである:
一期一会とは良く言ったものである。今度は、ドイツから女性の弁護士さんと工業デザイナーのウーファーさんである。何でも、弁護士のバウアーさんは、29歳で、昨年の9月から、ずっと、アメリカ、オーストラリア、ベトナムなどを旅して廻っているとのことで、遊休休暇ですかと尋ねたところ、笑って、流石に、そうではないと答えられてしまった。31歳の工業デザイナーのミリカさんは、有機商品とか、エコロジー関係の工業デザイナーで、早速、しっかり、アート作品等や、ベルリンのアート関係の情報を、ネットを通じて、一生懸命説明してくれました。何でも、二人とも、和歌山のみかんの農園で、ミカン・ジュースや力仕事をしていたとかで、多少のきつい労働は、問題ないなどと力強く、言っていました。やはり、ドイツ女性は、逞しいようですねぇ。タイのタマサート大学で、言語学を学んでいるポーさんとは、少々、お国柄が違うようで、なかなか、それぞれ、個性の違いがあって、海外ウーファーさん達は、面白いですね。それにしても、二人とも独身で、結婚観なども実に、あっさりしていて、人と違っていても、別に、人生観だから、、、、、、とこれ又、面白い議論になりました。一寸、同じ父親の立場からすると、複雑ですが、、、、、、。ドイツ語を大学の時に、第二外国語で、選択したのに、全く、想い出せず、せいぜいが、マイン・ナーメ・イスト・、、、、、グーテン・ナハト、、、、ダンケ・シェーンが、精一杯でした。一体全体、あの第二外国語語学教育は、何だったのでしょうかねぇ?しまも、必須科目でしたが、、、、、。ドイツ語には、女性・男性・中性名詞の別があるのに、何故、日本語には、或いは、英語には、それが、存在しなくなってしまったのか、、などと云う高尚な議論まで、初日から、出る始末で、いやはや、異分野の人達とお付き合いするのも、なかなか、大変でありますが、興味深いモノがありますね。勉強になりました。少し、思いだしてきましたヨ!あの悪夢の必須科目の語学授業の時のディー・デス・デル・デン等が、、、、、、。更に、担当教師の顔も、想い出されます。それにしても、日本では、働き出したら、こんな海外での経験は、なかなか、出来ないのはどうしたものでしょうかねぇ。社会人になったればこそ、こういう体験も貴重ですが、、、、、。ジャパン・レイル・パスで、日本全国、渡り鳥の如く、廻りながら、異文化体験をエンジョイするそうです。羨ましい限りですねぇ!オーナー・ホストであるYUさんのギター弾きによるジョンレノンの(インターナショナル)・イマジンも、いよいよ、その厚みを増してきて、とうとう、英語・日本語・イタリア語・中国語・タイ語版に加えて、いよいよ、ドイツ語も、加わることになり、大変なことになりそうです。ドイツ語は、メロディー・ラインに乗りずらいそうで、ご両人ともかなり、苦労しながら、作詞していました。お披露目が愉しみです。



祢津東町歌舞伎公演を観劇する:

2013年05月01日 | 社会戯評
祢津東町歌舞伎公演を観劇する:
東御市の祢津にある日吉神社の拝殿が再建された年は、1751年のことで、恐らくは、それを記念して歌舞伎上演の際に、諸道具入れの木箱が、伝えられたと謂われている。何とも、急な狭い石段を登り詰めて、(真ん中に、寄進されたのか、手摺りがなければ、到底、こんな急な階段は、足の不自由な人間には、上り詰めることは出来ないであろう。それ程、上り下りには、苦労する程の傾斜である。)それにしても、多くの人が、10:30からの開演を待ちきれずに、列をなして、階段を登ってゆく。きっと、昔の江戸時代の人達も、農作業の手を休めて、この日には、こうして、足早に階段を上って、酒肴とお弁当でも持参して、一杯やりながら、桜の花びらが舞う下で、田舎歌舞伎を愉しんだのであろうかと想像される。むろん、テレビもラジオも映画も無い時代のことである。午前の部は、平成10年に発足した祢津小学校歌舞伎クラブのメンバー達による「土蜘蛛退治」の演目で、午後は、大人達による「忠臣蔵七段目、一力茶屋の場」である。子供達による子供歌舞伎芝居は、郷土の伝統的な文化の保存・継承の観点から、又、将来の大人歌舞伎の予備軍としての彼らの役割は、今や、決して、小さいモノではない。先人の継承してきた伝統的な文化を現代にまで、保存してゆくという自覚と責任を持つようになることは、意義深いことがあろう。地元のオラホ・地ビールの宣伝も、口上の中で、さりげなく、入れるなどは、全く、大人顔負けではないか?学芸会の発表会などよりも、格段に、そのパフォーマンスは、自信に充ち満ちていて、宜しいではないだろうか?大人の部では、昭和11年から、76年ぶりでの演目は、台詞も長く、なかなか、難しい役どころの「忠臣蔵七段目、一力茶屋の場」でもあり、役者の技量も、随分と、向上してきていると、観客の声も評価が高かったようである。各地の歌舞伎愛好会も、観劇に参加して、各地域との歌舞伎保存での交流も多いに、大切であろう。車椅子のお年寄りも、地区の消防団のスタッフの介助のお陰で、ゆっくり観劇できるようにされていたことは、素晴らしいことである。それにしても、葉桜になってしまったのは残念であったものの、突風にも遭わずに、日向ぼっこをしながら、お弁当を食べつつ、観劇できたことは、昔の江戸時代の観客も同じであったのだろうかと、想像するだけでも、胸がワクワクしてくる。数多くのおひねりも、舞台に向けて、投げられて、歌舞伎の雰囲気を味わえて、面白い。又、義太夫や三味線も、なかなかのもので、スピーカーによる音響効果も、一部、役者のつぶやきが聞こえてきたりのご愛敬はあったものの、大変、聞き取りやすくて宜しかったのではないだろうか?これまで、なかなか、見られなかったが、やっと見ることが出来ました。再び、今年は、9月15日に、東御市市民会館で、公演が予定されているそうで、これも、必見に価しそうである。すっかり、日焼けしてしまった。大鹿村の田舎歌舞伎もすっかり、原田芳雄の映画で、メジャーになってしまったが、祢津東村歌舞伎も、今後のますますの発展・認知が、期待されるところである。当日は、真田祭りと重なってしまったのは、少々、残念でした。又、来年も、新たな演目を期待したいしつつ、観たいものです。