こんにちは日本共産党の渡辺みつるです

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突然の訃報

2009年01月10日 20時38分09秒 | インポート

 今朝、少し荒れ模様の天候でのウォーキング中に携帯電話Img_04301 が鳴りました。

 未登録番号(まだ完全復旧出来ていません)の表示でしたが気になって出ると、昨年、札幌に引っ越しした故喜田村純さん(94歳)=画家の奥さんからの訃報の電話でした。

いつもの賀状には、ご自身の描いた絵が恒例でしたが、今年は「体調を崩され入院中。本人の『生きたい』の強い思いに何とか乗り越えてもらいたいと見守っている・・・」と奥さんからのあいさつ状でした。私は以前から大先輩の故喜田村純さんに、本人了解の元で「純さん」と呼んでいたので、突然の訃報には正直、返す言葉が見つからず、唯ただ心からお悔やみを申し上げることしか出来ませんでした。

 苫小牧に在住の時に会うと必ず、「なべちゃん。頑張って活躍しているネ。君が頼りだよ!この老いぼれが元気に生きられるように早く世の中を変えなければ・・・」といつもベレー帽を被り、笑顔でたばこを吸いながら激励の声をかけてくれました方でした。役者経歴のある純さんから「なべちゃん。新年会で寸劇をするので手伝って」と白粉を塗られ一緒に女装姿で出演した経験があります。「あれは受けたネ!」と言われても「恥ずかしい」の一言。「もう、絶対にやりませんから・・・」と冗談を言ったことを思い出しました。自宅にも何度かお邪魔すると「なべちゃん。ちょっと待ってくれ!弘子(奥さん)より俺が今美味しいコーヒーを入れるから。これ飲むと元気が出るんだ」とオリジナルブレンド=純コーヒーを飲ませてくれました。ご縁があって15年前に描きあがったばかりの絵(瀬戸残照)が自宅にあります。(添付写真:右上)

 昨年、アイビープラザで個展を開催。そのとき、私の持っている一品も並ばせてくれました。「何歳ですか?」と聞かないと判らない位「いつでも元気」な方でした。

 純さんが口にしていた「生きたい」の言葉には、生きているうちに「無差別、平等、平和な社会を実現したい」と願っていました。今年がその一歩となる絶好のチャンスだけに、故人の思いを継承していくことが供養になると思います。


無災害を願う消防出初式に参加

2009年01月08日 20時45分46秒 | インポート

 常時携帯している万歩計を見ると、今朝のウォーキングを含め今年はじめて11.000歩を超えました。心配していた体重も元日から継続して歩いている事で変化はありません。

 今日は無災害を願う2009年消防出初式に出席してきました。年末・年始から連Img_04081 日して発生している火災報道もあってか、新年恒例の式典とは言え、保育園児も含めた多くの市民が参加。会場となった市民会館の大ホールのロビーには「住宅用火災警報器」が陳列。私も、消防法によって設置が義務づけされたこともあり、「自宅にどんな警報器を設置しようか?」と考えていただけに大変参考になりました。

 屋外(添付写真:左上、右下)では、消防伝統演技として①創設12年目の「とまこまい消防まとい隊」による木やり組・まとい組の演技-1本の「まとい」の重さは11㎏もあると知って驚きました②6.5㍍のはしご組の演技は、驚きと大きな拍手がわき起こっていました。また、救助訓練も行われ交通事故を仮想し、車内に閉じこめられた人をレスキュー隊(救助隊)と救急隊が連携し、本番さながらの救出訓練が行われました。

 屋内での式典では、17万市民の安全と財産を守り続けて頑張っている消防職員・消防団員の各種表彰の授与が行われ1人ひとりに大きな拍手が送られました。奥井繁昌消防長は「昨年は火災件数、(火災による)死者さらに救急車の出動件数が前年と比較して減少している。公共施設にはAED(自動体外式除細動器)Img_04141 が普及され、新年度からは錦岡消防署に救急隊が設置される」と安全なまちづくりに向けて前進している報告がありました。消防職員・消防団員の日頃のご苦労に感謝申し上げます。

恒例の紅白2個入りの「餅まき」があり、今年は私のところに5個も飛び込んできました。私の近くに居た方が一つも拾えなかったので、もちろん全部差し上げたところ、お礼の言葉が返ってきました。

 帰宅後、正月に飾った鏡餅を片づけましたが、偶然なのか「餅」に縁のある日となりました。


市独自の緊急雇用創出対策事業

2009年01月07日 16時36分32秒 | インポート

 今日(7日)、午前中に市長招集の会派代表者会議(非公開)がありましたが、その後「記者会見」を行っています。

議題は、市単独の「緊急雇用創出対策事業」の補正予算に対する認定です。

本来ならば臨時議会などで議決すべき案件ですが、緊急性などを考慮し「長の専決処分」(地方自治法第180条)で対応したものです。国会では、第2次補正予算が審議されていますが、昨年末のアメリカ発の世界金融危機を端に発した非正規労働者・派遣労働者の「解雇」など雇用問題が深刻化し、苫小牧市は特に自動車関連産業での「解雇」が大きな問題になっているだけに、市独自の緊急経済対策は党市議団でも要請していた喫緊の課題であります。今日の「緊急雇用創出対策事業」では、4項目①緊急雇用対策事業1000万円(雇用人員16人・新規8人、雇用期間140日、延べ新規雇用280人・日)②ワークシェリング事業500万円(市臨時職員35人・1ヶ月分)③雇用創出奨励交付金事業300万円(非自発的離職者を対象に常用雇用する事業所に月10万円・最大3ヶ月交付など)④非正規労働者就職支援セミナー事業50万円(再就職セミナー事業)-全体額は18.500千円です。12月議会で3.000万円の緊急雇用対策事業が議決していますが、さらに追加されました。私は代表者会議で今回の提案を評価しつつも①市長の年頭あいさつで強調している「剛毅果断」(意思がしっかして、思い切って事を行う。決断力に富んださま)が提案に生かされているのか②厳しい財政状況での財源確保③他都市との比較について-3点質問しました。これに対し①国の2次補正も見極めて2段階も検討している②厳しい財政状況であるが20年度の地方交付税が予算を上回った分でやりくりした③北見市などのように市職員の前倒し・50人規模の臨時職員採用とは比較にならないが、生活保護世帯の増、除雪費、税収の減などで約2億円の穴があく。市独自事業としては精一杯の努力でありご理解を-との説明でした。

決して(予算額として)十分なものとは誰しも思いません。しかし、この時期に「緊急雇用創出対策事業」を決断したことは「一定の評価は出来る」と思います。ただ、路頭に迷っている市民は自動車関連産業だけではなく、季節労働者、他産業での離職者もいるのが現実です。前出の「剛毅果断」をもっと積極的に発揮してほしい。同時に、「バラマキ一瞬、増税一生」の自公政治の中身は直ちに変えなければなりません。


「派遣村」の集会!国の責任重大

2009年01月05日 11時21分40秒 | インポート

 今日から始動。朝のウォーキング中に「毎日歩いているんですか?」と声をかけられました。雪や氷でも安全なアイテム「ワンタッチのスパイク」(写真添付:右上)を装着しているので「大丈夫です」と説明すると「それなら安Img_04051 心ですネ。早速探してみます」とウォーキング仲間が増えそうです。年頭から3日坊主は避けたいとの思いから始めたのですが、犬の散歩で苦労している町内の方から「渡辺議員、この犬の散歩にお手伝いを!」と言われるのですが、小学生の時に(友達が)可愛がっていた近所の犬のシッポを踏んだため、私の顔(頬)を噛まれた体験談があって、それ以来犬が苦手になりました。「犬が吠えても歴史は動く」という好きな言葉がありますが、「犬の遠吠え」だけは無縁です。今朝もウォーキング中に町内の方から「バス停のところが暗いので防犯上照明の設置を!」と要望が出されました。ウォーキングすると身近な要望が出されます。早速、市の担当部局と相談してみます。

 さて、1月と言えば「新年会」が矢継ぎ早にあります。1月のスケジュールを見ると日程がびっしり。妻からは「折角、歩いても効果が薄れるのでは?」としっかり釘をさされました。体調管理にも注意しながら乗り越えます。

 就職が内定した長男から「就職前にどこかに連れて行って」と年末から強い要望が出ています。内定の取り消しも考えられる経済情勢だけに「前向きに検討するネ」と理事者答弁?の返答に、「お父さんは政治家なんだから、約束はしっかり守ることが仕事でしょう」と突っ込みが返ってきます。

 一方、次男は「僕は、おばあちゃんと留守番しているから!休み明けにテストもあるので」と冷ややかな態度です。私も、18歳で社会人として仲間入りした経験がありますが、その時代(第1次オイルショック)背景と違うので長男の要望にどのように応えてやれるか?悩みの種です。

 今日から通常国会が始まります。「派遣切り」「期間工切り」などで衣食住・雇用を奪われた労働者を支援する「年越し派遣村」で約千人の方々が「村民」集会を開いた-との報道がありました。集会で志位和夫委員長は「超党派で、野党だけでなく、与党とも話し合って『緊急特別立法』を求める」と激励のあいさつに「的を射ている」と感動しました。


昔話の一コマ

2009年01月04日 20時58分43秒 | インポート

 昨日(3日)、浦臼町にいる兄の家族が新年のあいさつで訪ねてきました。兄は年2回、お盆と正月には必ず母(91歳)の元気な顔を見に来ます。既に還暦を過ぎていPa0_0001 ますが「若い頃、親不孝者だったので、少しでも親孝行のつもりで(自分の)元気な姿を見せてやろう」と来てくれます。私にとって兄は特別の存在です。(私が4歳の時に)父が亡くなってから、女手ひとつで私たちを育てた母が働いていたので、家の食事の用意は全部兄の仕事でした。その上に姉もいますが、家計のためにと昼間は役場に勤めながら夜学通いの努力家でした。兄弟で家事分担しても私の出来る仕事は「井戸からの水くみ」だけ。母の留守中に「悪さ」をすると、「デレキ」を手にした母が兄から順にたたくのですが私に番には「疲れて?」弱くたたくので助かりました。兄は貧しい家庭環境から社会人になって「手に職を」と菓子会社に就職し苦労したようです。私が東京の夜学(大学)に通っていたとき、自分の得た技術を生かして「パン屋」を経営し、経済的な援助をして頂きました。母からは「●●●(兄の名前)には子どものときから苦労をさせた」と昔話を聞きます。そんな兄も還暦を過ぎても季節労働者として現役で働いています。国は、冬期技能講習の廃止と失業給付金(90日→50日→40日→30日)の見直しを行い、「通年雇用」対策をスローガンだけは打ち出しても、未だ具体的な対応は出来ていません。私は「生活は大変でしょう」と心配しても、生まれつきの楽天性からか「冬場でも仕事はあるので心配ないヨ!それより、この時期休みが多いので身体がなまってしまう」と逆に気遣う言葉が返ってきます。

季節労働者の多くは「無年金」者が多く、60歳を過ぎても働かなければ食べていけないのが実態です。世界的な経済危機を理由に非正規労働者・派遣労働者、季節労働者も含め「路頭に迷わす」ことをしています。兄と一緒に大学駅伝を見ながら、「予想外の展開が続いている。こんな時は政治も大きく変わると思う」と評論家的な発言に「政治を変えるのは有権者の意識と行動」と生意気な事を言ってしまいました。「その通りだネ」と同感され気持ちよい心地になりました。今朝もウォーキング中に撮影した写真を添付します。(左上)