旅行も五日目、明日はもう帰る日です。丸一日滞在できる日は今日が最後!午後はセスクさん家に行きますから、午前中にホテルの近所にある大韓民国歴史博物館に行きました。‘歴史博物館’というと鍾路にもあるので、こんな近くに歴博が、どうして二ヶ所も有るのかしら?と思っていました。が18年にはじめて行ってみてすぐ分かりました。こちらは近現代の歴史を対象としているそうです。既に一通りの見学は済ませていますが、機会があればもう一度じっくり見なおしたいと思っていました。
幾度もの困難を迎えながらも、ただ黙って耐えてばかりいたのではなく、その都度民衆自らが立ち上がり権力と闘う動きがあったことに注目しています。そうした力が遂には、国民を蔑ろにする大統領を退陣させることへつながっていきます。
10時開館にあわせて到着。車椅子を押して一緒に観覧のつもりが、ペースが違うのですぐ別々に見ることに〜
待ち合わせ時間までに見られたのは第一展示室のみでした。残りは又別な機会に!
お昼はソルロンタンで検索して出た仁寺洞の安国コダ。行ってみたら若い人の多いカフェ風佇まいで、私好みではないのが残念でした。
私好みはパンチャンズラリ、おかわり自由なので〜^^;
頂いたのは夫はユッケ多めビビンバ、私はコムタン。お料理自体は普通に美味しくいただきました。
お昼の後は、昨日買えなかった孫のTシャツを求めて南大門市場へ。午後には店主が出勤すると聞いたので、そこをのぞいてから新村のセスクさん家に行こうと思います。
南大門市場は今日も人通りは今ひとつ。地元(韓国)の人っぽい人が通るのみで、観光客は居なさそうでした。日本人や中国人観光客でごった返しの見慣れた光景はまだまだ〜
一箇所だけ賑わいを感じた場所がありました。帽子屋さんです。
帽子は私も大好きで、一年を通して被っています。まあまあ買う方なのでわかるのですが、帽子って結構お高いです。でも韓国の帽子のこのお値段!二個で10000wは、一個500円強です。あり得ません!
目指す子供服売場に店主は、今日も不在でした。ダメもとで周辺のお店の人に聞いてみると、もっと遅くに来るんだとか。仕方がない、時間があったら又帰りにでも寄ってみましょう。
午後2時過ぎ、さあいよいよセスクさん家に向かいます。今日は一旦ホテルの近くまで行き、そこでサジクロ(社稷路)から李大の前を通って新村路方面へ行くバスに乗換えます。地下鉄はもう何回か乗りましたし、昨日新村へ行った時も地下鉄でした。今日は車窓からの景色を愉しみながら行ってみようと思います。
主要な建物等は変わらないのでしょうが、4年ぶりの窓からの景色は初めてみるかのようで、ちょっと不思議な感覚を覚えました。
新村に着いてセスクさんのところへ行く前に、現代デパートで孫のTシャツを買いました。市場へ行かれなかった時の為に取り敢えずゲットしておきたくて〜^^
4年前、ワンルーム型賃貸に改装中だった家は、こんなにふうに様変わり↓
↑左側の建物が、一番最初にお世話になった部屋のある建物です。2階の窓が二つ並んだ階の手前の窓が私の部屋でした。ここは当時のままの外観です。
この二棟の間を入ると、セスクさんの住まいへの近道があったのですが、何故か塞がれていたので表に回り門前のインタホンをピンポンしました。鍵が開き入ると、玄関へ続く通路は整然と野菜や花が植えられ変わらないセスクさんを感じました。
もう何度も訪ねて、勝手知ったる〜のセスクさん家、玄関を入るとすぐ居間で、奥にキッチンとダイニングがありました。それが模様替えしたのか、居間のソファが消え、あとにダイニングテーブルがデーンと鎮座していました。
模様替えに多少の違和感を感じつつも、懐かしいセスクさんとの再会!それぞれの近況から子供孫、話はあちらへ飛びこちらへ飛び、その間近所のセスクさんのお友達(彼女はオンニと呼び、私も旧知です)が私来訪の気配を聞きつけ、今晩は歓待の会食になることを期待されカカオトークが入ってきましたが、残念ながら私はホテルで夫と自炊ですから辞退と相成りました^^;
たあいないおしゃべりにがひとしきり続いたあとセスクさんがふと「夫がね、亡くなったの」力なく言いました。少し耳が遠くて最近はトミに聞こえなくなっている私、聞き間違いかと聞き返してしまいました。思い切ってさりげなく伝えるつもりだったらしいのに、聞き返したために「死んじゃったの!」というとドット涙が溢れてあとは言葉にならず〜、私は私であまりに突然で、やはりなにもことばがでず〜、二人でしばらく沈黙してしまいました。
私がセスクさんを呼ぶ発音がおかしいと、それをネタによくセスクさんを揶揄ったと嬉しそうに話をしてくれたことがあります。ご夫婦で楽しむというよりは、それぞれが別なところで楽しむことが多そうなご夫婦でしたが、セスクさんは何かというと「ウリシンラン(うちの旦那様)」「ウリシンラン」と精神的な拠り所としてとても頼りにしていたようでした。このシンラン、漢字で書けば「新郎」で結婚したばかりの相手に対する呼称だと思うのですが、彼女のお連れ合いへの継続する初々しい愛情が感じられて聞くのが好きな言葉でした。
躁鬱症になり辛い時間が続いたそうですがお寺に通い、友人に旅に連れ出され、週日は娘さん宅の留守番役として娘さん親子と暮らすうちに少し元気を取り戻したそうです。
コロナで毎年受けていた健診の間を開けてしまった結果、分かった時はもう手の施しようがない状態だったそうで、治療の為の色々が、何もしてやれなかった事が、どうしても諦められない納得できなかったと。
死出の旅は、人間誰もが皆行く道です。突然の少し早いお連れ合いの死は悲しくて立ち直るのに時間がかかるのは仕様がないでしょう。1日でも速くセスクさんらしさを取り戻して生きている間は楽しく過ごしてほしいと思います。
<チンダルレを見に行きたかったのに見頃が終わったと聞いて諦めたというと見せてくれたセスクさんが育てたチンダルレ>
やはり見頃を過ぎていて、萎れかけているのを指してこれは私たち^^と
通りがかった人に撮ってもらった私たち