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台風の被害が酷いことになった伊豆大島では、実は放射能防御プロジェクトなどの土壌調査に協力してくれた方が、2人いらっしゃって、その地名が、まさにそのエリアを指していたため、心配をしていました。幸いにも、このうちの1人とは連絡が取れて、2人ともご家族も含めて御無事と伺いました。勿論近隣の方やご友人が連絡が取れないという状態が続いているそうです。
こうしたシビア・アクシデントは、伊豆大島のみならず、日本のどこでも想定できる話なのかもしれません。どういう対処があるのか、そうした対処もできる状態でないのか、いずれにしても、示唆されることが皆さん一人一人にもあると思います。
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今晩は。ご心配頂き有難うございます。
家の被害も怪我も無く無事です。
私が住んでいる地区の三原山の山肌が頂上近くから
根こそぎ剥がれ土石流となり海まで流れました。
50年前にも鉄砲水が出て被害があった大金沢ですが
今回は大金沢の氾濫プラス・・・
神達地区の山肌の土石流が合体したものだと思います。
友人を探しに土石流跡まで行きましたが
家が建っていた場所に家が無く本当に恐ろしかったです。
一瞬にして襲われたのだと思いました。
三原山の山肌が剥がれた所には
幹線道路が通っておりその道路の下からかなりの幅の山肌が
剥がれていました。
年老いた人たちは自然の山に道路を作ったから
山肌が剥がれ落ちたのだと言っています。
明け方停電であったため同じ地区に住みながら
被害があったなんて知らなかったのです。
知ったのは他に地区に住んでいる知り合いが
TVを見て驚き、朝方4時半ごろに電話を掛けてくれて知りました。
その後は明るくなるまで待ち情報を集めました。
今回の台風はこの地区には通常、被害が少ない北風の台風でした。
なので私も気を抜いていた所もありました。
大きいけど2004年と同じくらいなら寝ていれば過ぎるだろうといつもの調子で考えていたのです。
きっとこれが南西の風の台風だったらまともに風が当たり
台風が来るのを構えていたと思います。
4時半の時点でもし、避難を言われても、外に出る自信はありませんでした。
夜が明けてもその気持ちは変わらず
逃げることは出来なかったと友人たちとも話しました。
それほど北風で風が当たらないと言われた台風なのに降水量が多かったのですね。
三原山の剥がれ具合から、次、また大雨が降ったらまた同じ事になる様な
それももっと広い範囲で被害が出る様な気がします。
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僕のメールアドレス⇒nagaikenji20070927@yahoo.co.jp
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血液検査も、血液像などを行っていただきたいです。
今回の土砂崩れ、我が家は道路1本はさんでギリギリ免れました。
同じく深夜2時過ぎ頃から朝10時頃まで停電だったので、朝はテレビもつかず、状況がよく分からないまま、自宅前に流れてきた泥を寄せる作業をしていました。
電気が復旧しニュースを見て、自宅のすぐ上の山が大きく崩れた様子を見て、本当に驚きました。
また次の台風が近づいていますし、再び崩れてきたら、我が家も危なそうです。
今日の避難勧告が出る直前に、関東の自宅にやむを得ず一時避難をする事にしました。
昨夜も夜通しでチェーンソーの音が響いていました。
こちらは都内からの転勤者も多く、私も今年首都圏の高濃度汚染地域付近から来ました。
子供の行っている保育園のママ友さん達の、最近の会話で気になる話がありました。
「うちの子、最近2、3日に1回は鼻血出してて、量もスゴイんだけど、鼻血がよく出る病気ってある?」
「うちの子もしょっちゅう出してるよ。すぐ止まれば大丈夫みたいだよ。」
「うちも、うちも。」
みんな今年都内から来た方々です。
放射能への意識はなく、みな月に1度ペースで都内に帰ったりしていました。
さらに、夏休みは海で遊び放題、海の幸も喜んで食べています。
保育園では、お散歩でどんぐりを拾ってきて煎って食べたり、びわの実、くわの実、木苺、あけび、様々な山の幸も採ってきて食べたりします。
自然豊かな素晴らしい島なので、子供達に島でしか体験できない事を、震災前なら思う存分楽しませてあげられたのですが、安心してそうさせてあげられずに残念に思っています。
私自身の体調は、2011年10月に子供2人と私が一緒に手足口病にかかりました。
2012年春の花粉や突風の季節には、心臓がチクチクする事があり、橋本病と診断され甲状腺が少し腫れていると言われました。サイロブログリン抗体が700近くありました。
こちらに来て甲状腺の専門医はいないのですが、検査はできるとの事で半年ごとの検査を受けましたが、血液検査は異常なし、エコーで甲状腺の腫れもなく、嚢胞もないようです。
今はとにかく一刻も早く行方不明の方々が見つかり、これ以上二次被害が広がらない事を祈るばかりです。
長文になり、申し訳ありませんでした。
今後とも、こちらのブログを参考にさせて頂きたいので、よろしくお願いいたします。
これまで山崩れしたところの画像をみると杉の林が多いように感じています。
国の政策で杉や松の植林に補助金を出し、日本中の山に植林されましたが、安い外材に押され、植えっぱなしになっています。手入れされない人工林や強引に作られた
道路や林道が災害を大きくしていると考えることもできます。
今、この国で起こっている様々な災害はすべて政治の貧困がもたらしたものと言えるでしょう。
日本の水はどうなるんでしょうか。
日本中の田んぼが春になると水を湛えてる
そんな風景が国土を、四季をつくっていると思うのです。
飲水にも困る様になり、災害ばかりになったりしないでしょうか?
世に倦む日日さんのブログは今なら全文読めますので、
ご覧になると、特別警報が出されてなかったそうです。
どう考えても町長一人の責任ではないですね。
ご冥福をお祈りします。
根拠はまだありません。事故以前にもすでに異常気象はありましたし、それに耐えられないインフラの破損を受けての各地の災害もありましたから。ゲリラ豪雨の水量に追いつかぬ河川の増水や竜巻被害など。さらに時を重ねての洞察が必要なのでしょう。
先月半ばには近畿を襲った豪雨で滋賀県から出られませんでした。滋賀から京都へ抜けるJR線や京阪京津線や国道1号線が不通になりました。京阪京津線は国道1号線に沿っていて、逢坂山を上り下って京都に入りますがその線路が山からの水の下る川となっていたそうです。
山の保水力についてなのですが、一般的な知識しか持ち合わせていませんけれど、そしてわたしの思い込みであるならばよいのですが、この2年半以上、放射性物質のまじった生存環境で疲弊した植物の根が弱ってきているのではないかと心配しています。
このあたりでも初期被曝での植物の部分枯れ、傷みなどは事故前には経験のないほどむごたらしいものでしたし、その後も太平洋から巻上げられた雨や汚染物質のまじった風にさらされ続けていますので、植物たちの地下茎や根っこがこれまで守ってくれていた、堤防や山の辺の構造などが弱まってしまっているのかもしれないと思うのですが、日頃 山を歩いておられる方の見解はいかがでしょうか。
いろいろな意味で生命の危機にある状況です。ぼんやり生きていけなくなってしまいました。
フリージャーナリストの守田さんという京都お住まいの方がブログで
「僕が京丹後町や、亀岡市の人々に取材をしていると「雨はいつもの比べて極端に多い感じではなかった」という声も聞かれます~~総じて山の保水力が低減していたのではないかと」・・・・書かれています昨年の8月の台風では洛南が被害を受けいまで復旧工事の目処さえたっていないところがあります。避難する前は那須塩原に住んでいましたが北関東も例外なく山が疲弊して強い雨が降ると使えなくなってしまう林道があちこち現れ始めました、原発事故がなくても山を見ていつも心を痛めていたのにそこにプラス放射能です。山の木々を伐採する除染などとんでもないと思っています
そういう意味では、残念かもしれませんが、今回は本当に想定外でした。
正直、テレビやネットで、鬼の首をとったかのようにマスコミが町長をたたくのを見るのは悲しいです。
10年に一度の台風というのを報道したのに、と言っていますが、多分100年以上みても、過去にこういう甚大な土砂崩れは起こっていないと思います。
こちらの住民から見たら、歴史的にも聞いたことがないことなんです。
火山の島で、資料が残ってない土地ではありますが、それでも、1000年単位でみても、相当大規模なことが起こったのです。
異常気象が年々ひどくなっているのは間違いないのでしょう。
今後に生かしてもらうのはいいですが、叩くことはせず、静かにしていてほしいです。