長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

武部本一郎

2010年11月13日 03時00分06秒 | 美しきもの
 小学四年生の時、私の理想の男性はシャーロック・ホームズだった。
 偕成社版のジュニア向けシリーズは私の宝物で、そのころ新発売された、スティックタイプの固型糊で、カバーの見返しを表紙に貼りつけたりした。その糊は、鱈のすり身のような匂いがした。

 挿絵は、何人かの画家が持ち回りで描いていたが、私の最も好きだったのは、武部本一郎のものだった。ホームズ自身の顔はイメージではなく、他の画家が描いたものがこれだ!と思っていた(そのころはジェレミー・ブレットのテレビシリーズはまだなかった)が、ヒロインの顔立ちが可憐で品があって、イイ!のである。
 頬の膨らみから顎にかけたラインが、ことに絶品で、とても好きだった。「ぶな館の怪」の猛犬に襲われるヒロインの姿など、もう四十年近く前に見たきりなのに、はっきり思い出せる。

 武部本一郎というと、SFの火星シリーズなどを第一に挙げる方も多いだろう。
 そう、武部本一郎の描く女人は、私にとって理想のヒロインだった。ほどがよく、可憐で美しいのだ。西洋人でも大和撫子的に薫り立つ。
 ウェルズの『タイム・マシン』の挿絵も忘れ難い。
 版元は忘れてしまったが、ジイドの『田園交響楽』も、確かそうだった。原節子主演の翻案物の映画も印象的だけれども。

 子供向けの本は、長ずるに及び、親戚の子に上げてしまったので、もう手元にない。学生時代に古本屋廻りをしていたとき、思いがけず、懐かしい武部の手がけた絵本にめぐり会い、何冊か手に入れた。しかし、これらも、二十代前半の愉しい生活とは訣別して家を出てしまったので、今はもう手元にない。

 私が学生の時、武部本一郎は亡くなった。創元推理文庫を出していた創元社から、武部本一郎の追悼特製限定本が出ることになった。いや、亡くなってほどなくのことだったから、早川書房だったかもしれない。たしか、二百部限定で一万円だった。
 当時学生だった私は、ちょっと迷って二日考えて、でもやっぱりほしいので、版元に予約の電話をかけてみた。すると電話口の方は、申し訳なさそうに、すでに申し込み人数が多く、刷り部数に達してしまったので締め切ったという。

 なんだかものすごくがっかりして、よく一緒に古本屋廻りをしていた友人にその話をした。
 「(自分が)死んだわけでもないのにね、死んだみたいにがっかりした」と、言ったら、友人は「それは、やっぱり、死んだんだよ。魂が死んだのだ」と言った。
 私はちょっと、その言葉にクラッときた。
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