長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

鶯はYABUにいる

2022年03月29日 00時23分00秒 | 折々の情景
 気持ちよく晴れた月曜日の朝、気の早いお拾いが旅支度をしているとは露とも知らず、東京の桜が満開になったとの報を得た私は自分の目で確かめに行った。
 とは言え、実のところ花見時の井の頭公園に足を踏み入れるのは気が進まない。人混みはとにかく苦手である。



 早朝で人通りも疎らな吉祥寺通り、折からのホーホケキョ…の声にいざなわれて、井の頭動物園の前庭である御殿山の雑木林を廻る。





 声はすれども姿が見えぬ、艶やかな啼き声を耳で追うと、そこは灌木や下草の生い茂った藪である。

  ♪藪のウグイス 気ままに啼いて 羨ましさの 庭の梅…

 長唄「五郎」二上り冒頭。今年はもう桜。
 ケキョ ケキョ ケキョ…と、おっとりとした間合いの、谷渡りの稽古に余念のない彼らの声、朝陽が心地よい。
 曾我兄弟の弟、江戸歌舞伎に欠かせない荒事キャラ・五郎時致(ときむね)が、父の仇討ちを胸に秘めつつ…そうは言っても、張り詰めていては弓のつるも切れようというもの、春の陽気にうかうかと気晴らしにガールフレンド・化粧坂(けわいざか)の少将のもとへいそいそと…

  ♪…あれ、そよそよと 春風が 浮き名たたせに吹き送る…

 しかし私は武蔵野の自然を前に、ふつふつと胸の鬱屈を覚える。幾本かの立ち木の見事な幹に、赤い目印が結ばれている。
 伐採されてしまうのだ。







 公園の整備とはどうあるべきなのだろうか、テーマパークのような幼稚な感覚で設計され直した場所に、魂の浄化作用があるとは思えない。近年の公園管理の在り方が、私には理解できない。

 そしてまた十数年以前には、徒らに伐採し廃棄するのではなく、枯れかかった老木を蘇らせる樹医という立派なお仕事をなさる、樹木のお医者さまがいらしたが、かの先生の後継者は育たなかったのだろうか…

 ザンギリの染井吉野を筆頭に、街路樹の無残に刈り込まれた樹影の痛々しさ、寒々しさ。
 …ああいうのを本当のぶっきら棒と言うんだねぇ……



 ウグイスは藪に居るのだ。
 雑木林を生産性の無い無駄なスペースと考える、その無益な発想こそ、どうにかならないものだろうか。
 季節は春だが、日本は厳冬の氷に閉ざされている…ように思える。
 令和4年の春を愁う。


コメント
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