長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

那須野(三国妖狐物語 下の巻)

2022年03月06日 12時01分21秒 | お稽古
 那須野の殺生石(子どもの頃から“さっしょうせき”と呼ぶと思い込んでおりました)が、なんと先日、真っ二つに割れたという。
 怖いことに、下野新聞の写真から伺うに、何ものかを内在させていたかの如く、石の中は空洞であった。

 偶々、そのニュースを聞いたのが、昨夕刻、お弟子さんのお稽古で「那須野」の
  ♪のう あさましや 幾万代(いくよろづよ)の としを重ねて功を積み…
辺りを、さらっての帰りだったので、とてもビックリした。

 栃木県のお隣の海に隣接した北関東はI県で生まれ10代まで育った私には、下野の国(しもつけのくに)那須野(なすの)は、幼少よりお馴染みの場所であった。日光への日帰り遠足は屡々行われた学校での年中行事であったし、足を延ばせば那須・塩原は我が裏庭であった。

 特に、母方の曽祖父は那須野の歌詞にも出てくる“大田原”の素封家の出身で、分家して隣県の海岸沿いの寒村にてランプを商い始めたのが明治~大正年間。
 母が太平洋戦争中に本家に疎開した折、立派な白壁の築地塀が街道沿いに延々と続いたのが何区画もあって、沢山あった土蔵の中で遊んでいたら大きな蛇が落ちてきてとても驚いた、貴族院議員を何度も務めた一族で、おふじさんというとても美人でとてもお裁縫が上手で何をやらせても完璧な大伯母さんがいたのである…と、幼少期の私は、第二次世界大戦・太平洋戦争の想い出話として何度も聞かされた。こうして文章化すると…史料的価値のあまりない日本昔話的お伽噺ではあった。

 …であるから、子供時代からの私の那須野=殺生石のイメージは、遠縁のおふじさん=ルパン三世の峰不二子イコール、金毛九尾の狐(こんもうきゅうびのきつね)の魂が漂泊して人のかたちを以ってこの世に現れた美しき女性にょしょう、イコール私の眷属、という図式が出来ていて、実は私はお稲荷さん…(本物のキツネはそぅでもないが)、空想上のキツネが、精霊の御遣いひめでもあるキツネの眷属が出てくる物語が、とても好きなのである。
 今となってはとても迚てもそんな不遜なことは思いも寄らないが、若い時分、宗教の勧誘を受けそうになると「アタシは、オイナリさんと自分教のmixですから、結構です」と断っていた。

(余談になるが、この図式で、西行法師=佐藤某イコール母方の祖母の姓=遠縁…自分の子供を縁側で足げにして出家した…ふむふむ、イコール私の眷属とか、琵琶湖の大ムカデ退治・俵藤太:藤原秀郷イコールNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」の露口茂asシャーロックホームズは永遠に不滅です…イコール、myフェイバレットthings、とか…脳内が渦を巻き始めるのである)

 さて、長唄の那須野は本名題「三国妖狐物語(さんごくようこものがたり)」全三段の物語のうち、下の巻。二上りの通しのうえ(つまり調子替りがないので未熟な者でも演奏しやすい)15分程度なので、20世紀中のおさらい会では結構かかっていた。
 踊りのプロである舞踊家でもあるお弟子さんが、あまり聞いたことがない曲ですね…とちらりとこぼしたので、私の目がキラリと光った。
 「文楽に『玉藻前曦袂(たまものまえ あさひの たもと)』という番組があってね…」

 教養としての観劇を目的とした高尚な文化を嗜みたい方々は、演劇に思想性や精神性を求めがちなので、どうしても理論が先行し、素朴なお芝居(例えばピアノ線がうっすら見える昭和の特撮ドラマなど)を馬鹿にしがちなので、伝説や幻想的傾向をのみ頼みとする歌舞伎が、どうしても廃れていくのであるが、子どもの頃から芸術文化を愉しむ素養を育むに最も適した演目、本来の歌舞伎の魅力はケレン味にある。

 左脳ではなく右脳。理屈ではなく情緒で味わうのが、ストレス社会における頼もしい芸術との付き合い方ではなかろうか。

 メルヘンとホラーは私の最も好むところ。

 我らが(長唄・那須野での)お玉ちゃんこと九尾のキツネ、
 三国妖狐物語の上の巻「天竺檀特山(てんじく だんとくせん)の段」では、インドの山奥で修行しているシッダールタ太子、つまり後のお釈迦様の留守の隙を狙って、隣国の王の愛妾となり攻め寄せるというキャラ設定。
 太子の法力に無念や、お隣の中国に飛び去り、中の巻「唐土華清宮(もろこし/とうど かせいきゅう)の段」で、悪名高き殷の紂王の愛妃・妲己に化けておりましたが、これまた魔鏡の法力にて姿を現し敗退。
 お隣の本邦・日本国へ逃げ、平安時代の朝廷にて玉藻の前となり入内(じゅだい)し、傾国を企む一味として帝をたぶらかしておりましたが、陰陽師・安倍泰成(あべのやすなり)博士に法剣・獅子王にて退けられ、那須野へ飛び去るのでありました←今ココ(長唄・那須野の舞台設定)

 そして三国妖狐物語の特徴は、三つのエピソードが夢オチを逆手に取った夢続き(?)ドリーマーズ・ハイとでも呼びたい手法で連続しているところ。
 上段が、はっ、夢だったのか…と古代中国の文王が目を覚まし、中段の幕開きとなり、下段が、ややや、途方もない夢を見ちゃったぜ、と、しずの百姓と猟人である助蔵・助作コンビ(実は上総之助と三浦之助)が夢の話を自慢し合う、というシーンで始まるのだ。

 彼らが戯れに恋の鞘当てを演ずるマドンナ・お玉ちゃんは、なんとまぁ、分かりやすいことに玉藻の前の暗喩(いえ、明確なトレードマーク)“水に藻の花”模様の衣装でオシャレごころを発揮。土地の祭で浮かれくるって踊っておりましたところ、油断して自らが妖狐である証しの夜光の明玉を、ころころころ…と取り落としてしまいます…

 さてさて、両助に蟇目(ひきめ)の弓で降伏(ごうぶく)された九尾のキツネは心を入れ替え、♪四海泰平民安全(しかいたいへい、たみあんぜん)、五穀富裕(ごこくふゆう)の神なるぞ、と堅い約束をして盤石の固い石になったのであります。めでたしめでたし。

 この、かつて日本の人口に膾炙した御伽噺が、令和の世に再び降りかかってこようとは…
 悪夢にハッと目覚めた方はウクライナの大統領、九尾のキツネが飛び去ったお隣の国は魯西亜国、名もプーチン公と改めたのでありましょうか、いやはや、これは夢物語、おとぎ話だったはずでございましょうに………


表題写真は今朝の武蔵野より富士山の遠望、九尾のキツネが那須野より再びいずこかへ飛び去った彼方を望む。
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