父が逝ったのは如月の三日月の頃だった。
昭和の熱血教師であった父は戦後の激動の中学校、バブル期を迎えんとしていた昭和60年代の小学校、定年退職後は幼稚園の園長先生を勤め、多くの教え子に愛され、愉しい晩年だったらしい。
…らしい、というのは、父が心不全で急逝するまでのこの7年間、とある事情から私は父と絶交状態にあった。
亡くなる一と月前、何の偶然だったのか、懇意にしていた虫が知らせたのか、ふと近況を知らせる葉書きを父に送ったのが最後となった。
今となっては、それが私の心の救いともなったのだったが、鬱病と認知症を併発していた老々介護の母が残された。
そんなわけで、めずらしく心のどかに朝の公園を散策する、という日常が私にも訪れた。
それは、ふんだんにある檸檬の葉を食べ尽くしつつ、見事に育ちつつあったアゲハJuniorを、野鳥の思惑から守れなかった失意の私に訪れた一筋の光明でもあった。
もう紫陽花が色づく季節となった。
幼生のアジサイたちは、蟹がハサミを振って招く姿にも似ている。
追:慣用的な日本語の修辞法が、21世紀に働く方々に伝承・取得されていないことを痛感する日々である。
例えば、読み方。
ゴジラが来る→ごじらが「くる」
ゴジラ来る→ごじら「きたる」
そんな感じです。
昭和の熱血教師であった父は戦後の激動の中学校、バブル期を迎えんとしていた昭和60年代の小学校、定年退職後は幼稚園の園長先生を勤め、多くの教え子に愛され、愉しい晩年だったらしい。
…らしい、というのは、父が心不全で急逝するまでのこの7年間、とある事情から私は父と絶交状態にあった。
亡くなる一と月前、何の偶然だったのか、懇意にしていた虫が知らせたのか、ふと近況を知らせる葉書きを父に送ったのが最後となった。
今となっては、それが私の心の救いともなったのだったが、鬱病と認知症を併発していた老々介護の母が残された。
そんなわけで、めずらしく心のどかに朝の公園を散策する、という日常が私にも訪れた。
それは、ふんだんにある檸檬の葉を食べ尽くしつつ、見事に育ちつつあったアゲハJuniorを、野鳥の思惑から守れなかった失意の私に訪れた一筋の光明でもあった。
もう紫陽花が色づく季節となった。
幼生のアジサイたちは、蟹がハサミを振って招く姿にも似ている。
追:慣用的な日本語の修辞法が、21世紀に働く方々に伝承・取得されていないことを痛感する日々である。
例えば、読み方。
ゴジラが来る→ごじらが「くる」
ゴジラ来る→ごじら「きたる」
そんな感じです。
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