朝から篠突く雨に襲われた武蔵野一帯も、昼過ぎには雲間から薄日が射してきた。
三度目の宿替えをして檸檬樹の上層へ巣を張り直した一昨日は、洋々とベランダ空間を睥睨していた蜘蛛が、今朝から姿を消し、些か意気消沈していたところ、気を変えてこのところの案件であった着物の手入れものを出しに、中野行きのバスに乗ったのが八つ半。
五日市街道から西荻窪の商店街へ入る路地のほど近く、長年お世話になっているK染み抜き店さんへ、コロナ禍で久しぶりに伺うため、お電話したところ、御主人がこの彼岸に急逝されたと聞き絶句する。抗癌剤治療から帰宅しても伏臥せず仕事机に向かっていたというおかみさんのお話を伺い、職人気質を偲びお線香を上げさせてもらった。生前いつも坐するお姿をお見掛けした作業台の後ろ壁が白い。
そのまま日常の営みに戻る気にもなれず、駅へ向かわず五日市街道へ返し、T和菓子店さんへ、みたらしと磯辺団子、大好物のすあまが一つだけ残っていた残福。それから松庵稲荷を対岸から拝し、日々の食料を求めるべく井の頭通り角のМ浦屋まで逍遥する。
学生時代の昭和五十六年からの数年間と、平成三年から廿一年までの累計すればざっと四半世紀のあいだ杉並区民であったので、先年、『地方自治の先駆者 新井格』という戦後の初代公選区長の日記を入手したほどに、JR線の西荻窪から井の頭線の三鷹台辺りまでの、住宅地というほど建て込んでおらず、農地も多く空が広い、この土地には愛着がある。
「6月19日は杉並区長選挙です」という広報ポスターの掲示板を通り過ぎ、選挙のたびに訪れた松庵小学校の東側の道を通って…そういえば何度目の都知事選の時だったか、この場所で出口調査を受けたことがあった…梅の実は生っているかしら、と、足が早まった。
買い物は口実で、実を言えばこの散策の一番の目的は、梅林の様子が見たかったのである。
松庵に住まいしていた十数年の間、最寄り駅ではなく、遠回りして私鉄沿線の駅へ出る、通り過ぎるだけの農地の一画ではあったが、そこに在った梅たちの姿を見るのが好きだった。
寒明けの雨にそぼ濡れた枝々の凛々しさ。
星かと見まごう白い莟が、屹立する樹々に鏤められ、薄闇の中で輝いている、早春の宵も値千金。
言うに言われぬ、咲き初めた梅が香の清々しさ。
生い茂る葉の緑に青梅がつき、やがて零れる実のやや熟れた芳香も捨てがたい。
まこと、あの梅林がある一帯は桃源郷の如き趣きを醸し出していたのである。
かの名高き、ゴッホまでもが模写した廣重「名所江戸百景」の亀戸梅屋舗、それが現世に顕れ給うたのが、わが心の松庵梅ばやしであった。
それが…それが、である。
久しぶりの再会に胸を高鳴らせていた私の目の前に開けた景色は、一本の木もない、赤茶色の造成用の覆土に、緑色(!)に塗られた薄べったい盛土状の中心部を持つ広場であった。
申し訳程度に灌木があしらってはあった。が、しかし………
あの美しかった梅林が、かくも悪趣味な得体の知れぬ空き地に変容していようとは…
私は愕然として「松庵梅林公園」と書かれた傍らの定礎を眺めた。
三度目の宿替えをして檸檬樹の上層へ巣を張り直した一昨日は、洋々とベランダ空間を睥睨していた蜘蛛が、今朝から姿を消し、些か意気消沈していたところ、気を変えてこのところの案件であった着物の手入れものを出しに、中野行きのバスに乗ったのが八つ半。
五日市街道から西荻窪の商店街へ入る路地のほど近く、長年お世話になっているK染み抜き店さんへ、コロナ禍で久しぶりに伺うため、お電話したところ、御主人がこの彼岸に急逝されたと聞き絶句する。抗癌剤治療から帰宅しても伏臥せず仕事机に向かっていたというおかみさんのお話を伺い、職人気質を偲びお線香を上げさせてもらった。生前いつも坐するお姿をお見掛けした作業台の後ろ壁が白い。
そのまま日常の営みに戻る気にもなれず、駅へ向かわず五日市街道へ返し、T和菓子店さんへ、みたらしと磯辺団子、大好物のすあまが一つだけ残っていた残福。それから松庵稲荷を対岸から拝し、日々の食料を求めるべく井の頭通り角のМ浦屋まで逍遥する。
学生時代の昭和五十六年からの数年間と、平成三年から廿一年までの累計すればざっと四半世紀のあいだ杉並区民であったので、先年、『地方自治の先駆者 新井格』という戦後の初代公選区長の日記を入手したほどに、JR線の西荻窪から井の頭線の三鷹台辺りまでの、住宅地というほど建て込んでおらず、農地も多く空が広い、この土地には愛着がある。
「6月19日は杉並区長選挙です」という広報ポスターの掲示板を通り過ぎ、選挙のたびに訪れた松庵小学校の東側の道を通って…そういえば何度目の都知事選の時だったか、この場所で出口調査を受けたことがあった…梅の実は生っているかしら、と、足が早まった。
買い物は口実で、実を言えばこの散策の一番の目的は、梅林の様子が見たかったのである。
松庵に住まいしていた十数年の間、最寄り駅ではなく、遠回りして私鉄沿線の駅へ出る、通り過ぎるだけの農地の一画ではあったが、そこに在った梅たちの姿を見るのが好きだった。
寒明けの雨にそぼ濡れた枝々の凛々しさ。
星かと見まごう白い莟が、屹立する樹々に鏤められ、薄闇の中で輝いている、早春の宵も値千金。
言うに言われぬ、咲き初めた梅が香の清々しさ。
生い茂る葉の緑に青梅がつき、やがて零れる実のやや熟れた芳香も捨てがたい。
まこと、あの梅林がある一帯は桃源郷の如き趣きを醸し出していたのである。
かの名高き、ゴッホまでもが模写した廣重「名所江戸百景」の亀戸梅屋舗、それが現世に顕れ給うたのが、わが心の松庵梅ばやしであった。
それが…それが、である。
久しぶりの再会に胸を高鳴らせていた私の目の前に開けた景色は、一本の木もない、赤茶色の造成用の覆土に、緑色(!)に塗られた薄べったい盛土状の中心部を持つ広場であった。
申し訳程度に灌木があしらってはあった。が、しかし………
あの美しかった梅林が、かくも悪趣味な得体の知れぬ空き地に変容していようとは…
私は愕然として「松庵梅林公園」と書かれた傍らの定礎を眺めた。
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