私の課長時代 ■アサヒグループホールディングスの小路明善社長(64)はアサヒビール入社5年目で労働組合の専従となった。
営業で飛び回っていたときに打診されました。何をするのかわからず当初は断りましたが、何度も説得されて受けました。当時、アサヒビールは「夕日ビール」と呼ばれ業績はどん底。リストラ策を巡って会社と従業員の間に立つことが大きな仕事でした。
その1つが500人超を募った希望退職です。社内は重苦しい雰囲気が漂い「残るも地獄、去るも地獄」と評されたほど。各地の工場に足を運び、組合員と膝を交え意見を聴きました。あるとき、退職に応じる50代半ばの組合員から「声なき声に耳を傾けてほしい」と告げられました。会社や組合への不満は漏らしませんでしたが、その後の生活を考えれば思うところは多かったに違いありません。真意をくむことの難しさや大切さをかみしめました。・・・・続きはこちら
営業で飛び回っていたときに打診されました。何をするのかわからず当初は断りましたが、何度も説得されて受けました。当時、アサヒビールは「夕日ビール」と呼ばれ業績はどん底。リストラ策を巡って会社と従業員の間に立つことが大きな仕事でした。
その1つが500人超を募った希望退職です。社内は重苦しい雰囲気が漂い「残るも地獄、去るも地獄」と評されたほど。各地の工場に足を運び、組合員と膝を交え意見を聴きました。あるとき、退職に応じる50代半ばの組合員から「声なき声に耳を傾けてほしい」と告げられました。会社や組合への不満は漏らしませんでしたが、その後の生活を考えれば思うところは多かったに違いありません。真意をくむことの難しさや大切さをかみしめました。・・・・続きはこちら