確率と統計
数学の中でも、私が嫌いな分野がある。確率と統計である。
数学において、神はサイコロを振らない。
この”数学において”と言うところが、アインシュタインとは違う。量子理論において、ある量子が確率的に存在していると言っても別に反論はしない。自然や宇宙は複雑怪奇なカオスなのだから。しかし、失敬だが、そう言うのは数学以外の分野でやってもらいたいなあと思う。
統計などは、まるで興味がない。
そもそも人を押し並べて同じと見なし標本をとったり、分布で表したりなどすることは、真につまらないことだと思う。人は一人一人、個性があって違う。それがいいのではないかというのが持論だ。その違いを見つけて、うまく伸ばしてやるのが、教育というものではないのか、と思う。
そういう訳で確率と統計は嫌いなのだ。あしからず。
後記
久々に同期の友達2名に電話で話した。昔はよく3人で遊びに行ったが、友達1名が事故って入院してから、ここ1,2年は音信不通だった。とりあえず、皆、生きていた。
内1名は事故の後遺症が残り、腕が上がらなくなってしまい、国から障害(?)の等級が認定されたとのこと。その生活ぶりを尋ねたが、毎日節電のため、ブレーカーで全ての電源を落として、真っ暗の中、スマートフォンで明け方近くまで遊んでいるらしい。
私と私の友達は、皆、どこか病んでいる。
数学の中でも、私が嫌いな分野がある。確率と統計である。
数学において、神はサイコロを振らない。
この”数学において”と言うところが、アインシュタインとは違う。量子理論において、ある量子が確率的に存在していると言っても別に反論はしない。自然や宇宙は複雑怪奇なカオスなのだから。しかし、失敬だが、そう言うのは数学以外の分野でやってもらいたいなあと思う。
統計などは、まるで興味がない。
そもそも人を押し並べて同じと見なし標本をとったり、分布で表したりなどすることは、真につまらないことだと思う。人は一人一人、個性があって違う。それがいいのではないかというのが持論だ。その違いを見つけて、うまく伸ばしてやるのが、教育というものではないのか、と思う。
そういう訳で確率と統計は嫌いなのだ。あしからず。
後記
久々に同期の友達2名に電話で話した。昔はよく3人で遊びに行ったが、友達1名が事故って入院してから、ここ1,2年は音信不通だった。とりあえず、皆、生きていた。
内1名は事故の後遺症が残り、腕が上がらなくなってしまい、国から障害(?)の等級が認定されたとのこと。その生活ぶりを尋ねたが、毎日節電のため、ブレーカーで全ての電源を落として、真っ暗の中、スマートフォンで明け方近くまで遊んでいるらしい。
私と私の友達は、皆、どこか病んでいる。