ハード vs ソフト
新型コロナウィルスが社会問題になって、いざマスクが足りないだの、医療機器が足りないだのと
報道されると、ハードの重要性を感じざるを得ない。
ちょっと前には、ソフトウェア化至上主義を唱える人が多々いたはずだが、現在の社会状態になり、
構造転換というか、パラダイムシフトが起こると価値の転換が起きて、それまでは見向きもしなかった
マスクなどが国内生産しておらず、海外生産に頼りっぱなしという現状が発覚して、如何にハードに
対しての国の経済政策の詰めの甘さ、偏重が大きいかを思い知ることになる。
と考えているうちに、ハードとは何か、ソフトとは何か、その意味合いを考えるにつけ、それが如何に
相対的な価値観で決まり、事あるごとに価値転換が起き、ハードはソフトになり、ソフトはハードになり
の遷移を行ったり来たりするものだと言う風に考えるに至った。
例えば、お金。昔は物々交換でハードでお互いの価値を交換し合っていたものが、お金というソフトが
できるとたちまち流行。そしてお金がハード化されて、その基盤で経済が動いていると思いきや
電子マネーなるソフトが流行り、そしてキャッシュレスが当たり前になれば、今度は電子マネーなる
システム基盤がハードとなり、キャッシュとしてのお金は途端に偶像物となりて、二義的なものに
格下げとなる。
そのようなものの見方をし始めると、今ある数多の基盤サービスも定着するとハード化され、
要はそれが基盤にないと成立しないものをハード、あろうがなかろうが困ることない付加的なものを
ソフトと呼ぶのだろうと思う次第だ。
そして今、新型コロナウィルスによりパラダイムシフトを余儀なくされ、ハードとソフトの価値転換が
非常に速いスピードで遷移するものだから、その加速度的な変化に対応しきれていない我が国の
ことを思うと、その経済政策が容易に滑稽であると価値の転換が起き評価されても致し方ないものだ
と思うことになる。
詰まるところ、ソフトとハードは一体化して、初めて経済なるものが成立するのであって、どちらかに
肩入れして政策を立てんとする試みは甚だ失敗するものだという知見を得た。
例えば、AI、一つ取ってみても、どうだろうか?
ほぼハードとしての基盤は諸外国に握られ、我々はあってもなくてもいいようなソフトに偏重している
と言えなくもない。ソフトで儲かっているうちは良いが、いざ基盤が失われた時に、またはハードに
ソフトが牛耳られた時に、サルのように騒ぐのは誰だろうか?
この議論に興味を持った方は、是非、ハード vs ソフトの構図で世の中がどう見えるか考えてみるも
また一興のことと思う。
新型コロナウィルスが社会問題になって、いざマスクが足りないだの、医療機器が足りないだのと
報道されると、ハードの重要性を感じざるを得ない。
ちょっと前には、ソフトウェア化至上主義を唱える人が多々いたはずだが、現在の社会状態になり、
構造転換というか、パラダイムシフトが起こると価値の転換が起きて、それまでは見向きもしなかった
マスクなどが国内生産しておらず、海外生産に頼りっぱなしという現状が発覚して、如何にハードに
対しての国の経済政策の詰めの甘さ、偏重が大きいかを思い知ることになる。
と考えているうちに、ハードとは何か、ソフトとは何か、その意味合いを考えるにつけ、それが如何に
相対的な価値観で決まり、事あるごとに価値転換が起き、ハードはソフトになり、ソフトはハードになり
の遷移を行ったり来たりするものだと言う風に考えるに至った。
例えば、お金。昔は物々交換でハードでお互いの価値を交換し合っていたものが、お金というソフトが
できるとたちまち流行。そしてお金がハード化されて、その基盤で経済が動いていると思いきや
電子マネーなるソフトが流行り、そしてキャッシュレスが当たり前になれば、今度は電子マネーなる
システム基盤がハードとなり、キャッシュとしてのお金は途端に偶像物となりて、二義的なものに
格下げとなる。
そのようなものの見方をし始めると、今ある数多の基盤サービスも定着するとハード化され、
要はそれが基盤にないと成立しないものをハード、あろうがなかろうが困ることない付加的なものを
ソフトと呼ぶのだろうと思う次第だ。
そして今、新型コロナウィルスによりパラダイムシフトを余儀なくされ、ハードとソフトの価値転換が
非常に速いスピードで遷移するものだから、その加速度的な変化に対応しきれていない我が国の
ことを思うと、その経済政策が容易に滑稽であると価値の転換が起き評価されても致し方ないものだ
と思うことになる。
詰まるところ、ソフトとハードは一体化して、初めて経済なるものが成立するのであって、どちらかに
肩入れして政策を立てんとする試みは甚だ失敗するものだという知見を得た。
例えば、AI、一つ取ってみても、どうだろうか?
ほぼハードとしての基盤は諸外国に握られ、我々はあってもなくてもいいようなソフトに偏重している
と言えなくもない。ソフトで儲かっているうちは良いが、いざ基盤が失われた時に、またはハードに
ソフトが牛耳られた時に、サルのように騒ぐのは誰だろうか?
この議論に興味を持った方は、是非、ハード vs ソフトの構図で世の中がどう見えるか考えてみるも
また一興のことと思う。