続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

年丸橋のお地蔵様(カスリン台風の記憶2)

2023-12-16 14:15:22 | 沼尾川紀行

小雨の朝でした。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

 

でも午前中に雨が上がり、お日様が出てきました

ひめちゃんは、外のお部屋で日向ぼっこです。

タバサねーちゃんは、まだ小屋の中に籠もってます。

暑がりタバちゃんなので、日向ぼっこは余りしないかな?

ムーハウスガーデンに、日本水仙が咲き始めました

地味だけど、懐かしい花です

 

 

 

11月4日、日陰の虚空蔵大杉を後にします。

信号・深山を左折して、県道157号線に戻ります。

振り返って深山の信号です。

沼田に行けるのかな

 

前方には、子持山です。

あの突き出た岩、獅子岩というそうです。

ハチミツ屋さんで教わりました

渡る川は沼尾川、渡る橋は日陰橋です。

 

バス停・日陰橋があります

スーパーやコンビニはなくとも、バス停があっていいなあ

 

最低限の足が確保されているって、大事なことです。

合併当時の村政の担当者のみなさんは、住民の足の確保を忘れなかったのです。

同じ勢多郡でも、新里村はダメでした

向こうの桐生市(元の桐生市)に行くと、かわいい市バスが走っています

ほとんど乗ってる人はいないけど

 

 

県道157号線を帰ります。

川の向こうに、切り立った崖のような風景です

今思うと、カスリン台風の大雨による土石流が流れ下った跡だったのでしょう。

 

 

大きなカーブの所にお地蔵様です。

初めて寄ってみます。

台石には、合掌ですって

祈りを籠めて建立されたのです。

隣に碑がありますけど、判読不能

とりあえず、合掌

 

 

ここの橋は年丸橋です。

橋の上からの風景です。

広い川幅です。

 

 

あれ、向こうに赤い鳥居が見えます

十二宮です。

道の上から、とりあえず合掌

 

 

お地蔵様のところへ戻ります。

隣には、大きな道祖神です

左の文字は、特徴的です

遺族者名簿

野の花が、お地蔵様に似合います

もしかして、ここのカスリン台風による大雨の被害で犠牲になった人々の供養碑かな?

あらためて、合掌

 

後で検索すると、やはり、お地蔵様の隣の碑は、カスリン台風による大雨の土石流による犠牲者の慰霊碑で、当時の赤城村村長の碑文が記されているだということです。

昭和54年(1979)9月15日、33回忌に建立されたのです。

 

この時は、新里村も天神川と鏑木川が氾濫し甚大な被害があったと言うことです

死者もいたと言います

それでは、『新里村誌』にもあるでしょう

あれ、カスリン台風の「カ」の字ありません

 

天神川と鏑木川が氾濫し、甚大な被害を受けた場所は、山上でしょう

天神川は何時の間にか蕨沢川と名を変え、山上城の東を流れます。

鏑木川は、山上の北から南に向かって流れてます。

ひめちゃんたちがよく行っていた東の牧場付近、深いえぐり取られたような川底です

 

新里というか、山上には、災害の記憶を語り継ぎ言い継ぎ行く意識はないみたいです

旧赤城村と同じ旧勢多郡なのに

 

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あれから2年経ちました(再びの天国の獅子くんへの手紙)

2023-12-15 16:05:14 | 獅子丸な日々・総集編

今にも降り出しそうな寒い朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、大急ぎでお散歩してきました。

気温が10度以下の予報なので、外のお部屋には湯たんぽが入りました

レンジでチンの湯たんぽ、重宝してます。

 

獅子丸が突然の事故で逝ってから、2年が過ぎました。

獅子丸のお部屋はそのままで、最近、ぬいぐるみの獅子くんを迎えました。

まるで生きてるようで、家族みんなで「獅子くん、おはよう」「獅子くん、ただいま」と声をかけています。

獅子への手紙、第2弾が出した出したいのですけど、去年の獅子くんへの手紙以上の文が書けません

今読み返しても、ウルウルになってしまいます

去年と全く気持ちが変わっていないと言うことで、もう一度同じ手紙を出しますね

 

 

 

獅子くんへ

 

君が最初にこの世で逢った人間は、おかあさんです。

そして、君がこの世で逢った最後の人間も、おかあさんです。

 

あの頃は、小次郎パパが夜だけの室内犬になるため、みんなで夕食後そこらまでのちい散歩していたね。

すっきりとしてよく眠れるようにとの配慮でした。

でも、あの時、君はおとうさんの隙を狙って、ニカッと笑って去って行ったんだね

君は養家で、野生に目覚めたんだね。

おとうさんの隙を狙って、よく脱走してたね

 

あの時、おかあさんは君が戻ってくると信じて、門の所で待ってました。

案の定、君はやって来た。

でも門から入らずに、そのまま県道へ突っ走っていった

おかあさんは、リードを踏もうとしたけど、ダメだった

たとえけがをしても、体当たりすべきだったのだ

まもなく、県道のほうから、ドーンという音がした

急いで駆けつけると、君が倒れていた

 

抱えて帰り、動物病院に急行した。

車の中で君のうめき声を聞いたよ

「生きるんだよ、死ぬんじゃないよ」と呼びかけながら、急いだ。

病院に着くと、君は息をしていなかった

先生が蘇生措置をしてくれたけど、君は戻ってこなかった

 

実家に帰ってから、2年半後のことだったね。

でも、実家に帰ってからの日々は、楽しかったよね

 

養家での生活は、決して恵まれたものではなかったようだね

 

高齢のおとうさんと2人暮らしでいたうちはまだしも、東京から老人と猫がやって来てから、完全に邪魔者だったね

高齢のお父さんが足に怪我をしてお散歩が出来ないと言うことで、みんなで迎えに行ってお散歩してたね。

母屋から離れたバラックに1人置かれ、お散歩から帰って大きな声で「ただいま」といっても、返事はなかったね

「まるで、もう帰ってくるな」とでも言うように。

おかあさんは絶えきれずに、「しばらく実家で預かります。足が治ったら迎えに来て下さい」の置き手紙を残して、君を連れ帰った

そして、毎晩寝る前には抱きしめて、「ここは君のお家だよ」と言ったよね。

 

数日後、養家のお父さんがやって来たけど、ののこねーちゃんのサークルの前にしゃがみ込んだ

ののねーちゃんとなにやら話し込んだけど、隣にいる君の方には一瞥もなかった

 

君も一言も発しなかった

「ボクはこっちだよ」なんて言わなかった

君の養家での扱いが、よーく分かった出来事だった

7年も一緒に暮らした子が分からないなんて

いくら似たようなのが、いっぱいいても。

 

居間からその様子は見えたよ

彼は居間のガラス戸を開けて、ドッグフードを置いて行ったね。

 

少しして、彼は犬の移動届けを出してくれと言って来た。

君は正式に実家の犬に戻った。

 

 

でも、君の養家は、常広寺の開基・本橋院殿の末裔と言うことだった。

けれども、あまりの零落ぶりに、開基・本橋院殿は9回裏2アウトランナーなしの状態だった

おかあさんは、養家との係わりで、常広寺へ度々出かけたり、供養塔を建てたり、いろいろなことを調べたり発見したりした

本橋院殿は復活した

君がいたからだよ

もしかしたら、君は本橋院殿の生まれ変わりだったかも知れないね

手紙に添えて、思い出のアルバムを送るよ。

 

君は、ひめ&琥珀丸&千尋と、2012年2月の寒い日に生まれた。

きょうだいで、思いっきり遊んだね。

シロタビ(手足の先が白い)をはいた子は、君だけだった。

ひめちゃんは、真っ黒クロスケだった。

 

2019年の春、養家のお父さんが足をケガしてお散歩が出来ないと言うことで、みんなでお迎えに行ってお散歩してたね

実家のきょうだいとも、自然に馴染めました

 

実家に帰って、時には七海ママのそこらまでのちい散歩に付き合ったね

 

いちばん一緒にお散歩したのは、ひめちゃんだったね。

 

 

三四郎おじちゃんの形見のレインコートも着ました。

 

朝晩、かなりの距離を歩きました。

 

楽しかったね

まだ写真の整理ができてなくて、もっといい写真がいっぱいありそうです

そのうちに、獅子丸な日々・ベストショットを編集しましょう。

待っててね

いっぱいいい写真があるけど、おかあさんはこの2枚の写真がお気に入りです。

過酷な環境にもめげずに、素直な子に成長してくれました

そして思い出をいっぱい残してくれました

ありがとう、獅子くん

また、逢いましょう

 

 

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虚空蔵の大杉(カスリン台風の記憶)

2023-12-14 15:38:41 | 沼尾川紀行

寒い朝でした。

霜が未だ残ってます。

ひめちゃんとタバサねーちゃが大好きなアブラナにも,、しっかり霜が残ってます。

獅子くんは、本当にアブラナが大好きだったね

 

堀之内の西を歩いて帰ろうとしたとき、「アチャア、黄色の帽子の集団がやってくる

通り過ぎるのを待ちます。

「ふう、助かった

ひめちゃんは、いくつになっても、子供が苦手です。

 

 

 

11月4日、旧赤城村小川田のハチミツ屋さんに出かけました。

赤城村農産物直売所を過ぎてそのまま北上、小川田→を進みます。

振り返ると、いつもの姿とは違う赤城山です。

ここから見る赤城山はいつもこの姿、ここに住む人々の思い描くふるさとも赤城山の姿です。

 

お気に入りのそば蜂蜜をゲットして、帰りは沼尾川沿いに帰ります。

ふと、川の向こうに渡ってみたくなり、ちょっと寄道です。

県道157号線を東に行きます。

さっきと同じような赤城山が見えてます

 

少し行って、信号・深山を右折すると、虚空蔵(こくうぞう)の大杉があります。

 

大杉にこんにちはです

 

 

 

樹齢約300年、樹高27mですか

古くから沼尾川の氾濫にも耐え昭和二十二年の沼尾川大洪水にも厳然として安泰であった姿は、人々にら大きな寧ぎを与えた。奉祀されていた虚空蔵さまは高秀寺に安置させてある。

昭和22年沼尾川の大洪水があったのですね

でも、この大杉は押し流されなかったのです

 

奥には真っ赤な鳥居と御堂です

虚空尊菩薩に合掌

 

ウィキペディアによれば、

「虚空蔵」はアーカーシャガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。

とあります。

慈悲がキーワードかな

違和感なく、神仏習合してます

 

側には石造物もあります。

 

もう一本、傾いたポールです。

 

被害状況 死者八十三名 重傷者十四名 流出戸数百六十七戸 全壊戸数四戸・・・・・・

沼尾川の大洪水の被害です

改めて合掌。

後で検索すると、これは、あの有名なカスリン台風による沼尾川の大洪水だったのです

 

沼尾川は水量はさほど多くないのに、川幅がとても広い川です。

大洪水の記憶が残ってるのかな?

 

ここには、現代人が忘れてしまったとても大切な記憶がありました。

ありがとう

県道157号線を戻ります

 

(つづく)

 

 

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5本の幟で国宝を目指す人々

2023-12-12 19:23:11 | 県道3号線紀行2

雨雲レーダーは、「55分後に雨が降り出します」

早起きのひめちゃんは、先に堀之内を北に出て、岩神沼まで行ってきました。

誰もいませんでした

 

帰ると、タバサねーちゃんも起き出します。

でも、予報通り雨が降り出します

貧乏カッパでお散歩です。

元気にお散歩出来ました

 

ひめちゃんたちが朝ご飯の後、おかあさんはガーデンパトロールです

今年は椿の開花がいまいちです。

多くの気がたくさんの実をつけてせいかも

 

絞りの出方が、花によって違う、お気に入りの椿です

 

名残のバラ2種です

 

今年は珍しく、獅子柚(ししゆず)がたくさんの実を付けました。

側の、キンモクセイを切り詰めたので、日があたるようになったせいかな?

来年は、思いっきり摘果して、大きな獅子柚にしましょう

 

初冬の雨に濡れた七海地蔵です。

三四郎地蔵&サマンサ地蔵&ののこ地蔵は、雨に濡れると石の違いがよく分かります。

 

 

 

県道3号線沿いに、桐生市新里支所(旧新里村役場)があります。

駐車場の隅に、3本の幟(のぼり)です。

「山上多重塔を再び国宝に 新里文化財保護協会」ですって

支所の隣の保健センターの前に2本、同じ幟があります。

他には見かけません。

まさか、5本の幟で山上多重塔が国宝になると信じているのでしょうか?

それに、県道から奥まった目立たない所にどうして旗めかしているのでしょう?

本当にその気なら、まず支所前の県道沿いに旗めかせるべきでしょう。

そして、桐生市役所にも。

 

 

11月13日、風の強い日でしたけど、山上多重塔に寄りました。

山上多重塔はススキの向こうの御堂の中に、しまわれています。

戦前は国宝だったとか。

桐生市の桜の名所とかですけど、しだれ桜1本の寂しい桜の名所です。

 

駐車場からの赤城山です。

 

真っ青な空と綿のような真っ白な曇のコラボがいいですね

郵便配達のおじさんが、一休みしています。

「こんにちは 風が強いですけど、いい景色ですね

「いい景色だよ。雪の降った日もいいよ

「そうですか。じゃあ雪の日にも来てみましょう

 

多重塔をしつこく覗きます。

道輪の文字が見えます。

 

御堂の周りの石造物です。

地元の人は「はぼとけさま」と言うそうです。

灯籠と狛犬のように見えなくもないけれど

 

御堂の周りを一周してくると、郵便屋さんが、「説明板があるよ」と教えてくれます。

「ありがとうございます

国指定の重要文化財なのですね。

「朝廷や衆生などのため、小師の道輪が法華経を安置する塔を建てた。これで無間の苦難より救われ彼岸へ行ける。

という意味ですか

ということは、民衆は、無間の苦難の中にいたのです

 

その苦難の原因は何か?

ここは「あずま道」からは少し離れていますけど、さほどの距離ではありません。

それに県道3号線は、文化と軍隊が来た道の可能性もあります。

このあたりから、東北経営の兵士として移民として徴用された人々が、たくさんいたかも知れません。

その行った先は、たぶん多賀城でしょう。

文化財のみなさん、多賀城へ行った事ありますか?

 

小師・道輪とは、正式の僧侶になってまもない若いお坊さんでしょう。

正式の僧侶になるには、ここらへんだと下野薬師寺に行かなくてはならなかったでしょう。

文化財のみなさん、下野薬師寺へ行った事ありますか?

 

道輪さんの面影を尋ねて、多賀城&下野薬師寺へ行ってみてはどうですか

道輪さんは、国宝になどと望んでいないでしょう。

この時代の人々の苦しみを知って欲しいのです

 

他の国指定重要文化財並のガイダンス施設を造り、桜を始として四季折々の花が咲く、子供も犬も楽しめる公園にすることこそ今必要です

 

南隣にミニカーのサーキット場建設は一応終わったかな?

でも、稼働してないみたいです。

 

でも、どうしてここには、あの幟がはためいていないのだろう?

文化財のみなさん、ここにも「山上多重塔を再び国宝に」の幟、必要ですよ

道輪さんは、いらないと言うでしょうけど

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続・師走の忍城2023

2023-12-10 18:08:10 | 埼玉県

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

晴れて暖かいね

ガーデニング日和だね

雑草も少し弱ってきたから、頑張って草むしりだね。

アタチは、ちょっと心配でございます

こんな日は、ひめが遠くに行きたがるんじゃないかと。

 

案の定、ひめちゃんはどんどん進んで、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。

高台の中央付近で、車を除けるために、道ばたに退避です。

 

すれ違いが困難な細道だけど、けっこう車がやって来ます。

除けても、素知らぬふりで行ってしまう人が多いのです。

でも、今朝の軽自動車のおばさんは、深々と頭を下げてくれました

あれ、大きなマスクしてる

 

そろそろ帰ろうか

Uターンして帰ります。

 

蕨沢川の袂、桜の木に、初冬ならではの光景です。

きっと、おいしいタクアンになるでしょう

 

 

 

(12月5日、忍城探訪続きます。)

「ぎょうだロマンの道」を歩きます。

門を出ます。

先はまだ続きそうです。

もうちょっとだけ、行ってみましょう。

花手水もあります

この季節、これだけの花を用意するのも大変でしょう。

でも、周囲が明るくなります

 

まだまだ、イベントがありそうですけど、とりあえず戻りましょう。

どうしても、忍東照宮に寄って行きたいのです

 

カラフルな提灯の「PHOTO SPOT」ですって。

「PHOTO SPOT」からの写真です

 

 

横断歩道を渡って、お堀端を歩きます。

 

さっき左から来たので、右へ歩きます。

ライトアップもしてるんだ

 

ここにも花手水です。

デザインもそなりに考えられて、制作されているのでしょう。

芸術ですね

ライトアップされた忍城も見たいけど、夜までいられない

 

 

少し行くと、忍城の鐘です。

 

 

信号を渡って、国道125号線の反対側の出ます。

東照宮があるはずです。

鳥居があっても、額がありません

 

諏訪の大木の説明板です。

忍城は江戸に一番近い親藩だったので明治政府から明治四年十二月府県官制がしかれるとともに、忍城は何も残さず取り壊しを命ぜられた。

御神木の杉がやっと残ったのですね

ここは諏訪神社です。

 

参道を進むと、鳥居に「諏訪神社&東照宮」の額です。

忍東照宮は、明治7年に、諏訪神社の境内に遷宮したんですね

ここは諏訪神社の境内なのです。

諏訪神社・東照宮、併記の理由に納得です

 

拝殿で、2礼2拍1礼です

 

社務所は無人のようですけど、書き置きの御朱印があります

代金を入れて、2枚戴きます。

忍城は、「のぼうの城」なのですね。

その時活躍した甲斐姫のママは、上野の金山城主・由良成繁の娘でした。

あの70過ぎて馬上の人となり、由良家の存続に活躍した妙印尼の孫娘なのです。

由良家中のご先祖を持つ身としては、忍城は、時折訪問したい場所です

 

また、そのうちにまた来まーす

 

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