こんにちは!!
先日の旅行の写真、やっとiPhotoに落とす事が出来ました。
写真が沢山ありますので文章はすっ飛ばして写真だけ楽しんで下さっても構いません。
台風の最中に出かけたのですが
私たちの旅行中(日曜日~月曜日)は特に何のトラブルもありませんでした。
訪れたのはここ、
「アキュサール家の収集したフィリピンの古い家屋博物館(英文)」です。
アキュサール家という大富豪が作った博物館。
それにしてもアキュサール: 英語で言ったら「accuse」つまり何かを非難するとか、責めるという意味ですが、
こんな苗字の方がおられるのですね。
ここに行く途中でこの
「バタアン原子力発電所博物館」の前を通ったので写真を撮りました。
警備員の人に聞くと2時間ほどのツアーを常時やっているそうで
ツアー料金は一人150ペソ(360円ほど)。
原発と言っても建物だけで、使用するとかしないとか、
国中の人が反対デモなどして
結局、多くの予算をかけて作ったのに使用しないまま残してあるのです。
そしてここを過ぎてほんのちょっと行くと今度は「バタアン死の行進」の記念碑と、
出発地「0点」塚があります。
実は主人の叔父(主人の父の兄)はバタアン死の行進の生き残りでした。
英語で「Bataan death march」と呼ばれるこの行進は、
日本軍が炎天下の中、
捕虜達をバタアンからターラックまで歩かせたと言われる行進です。
それでターラックまで歩いた叔父なんですが、ターラックに着くと直ぐに釈放されました。
主人が言うには道中、沢山の死者が出たので有名だが
ターラックまで歩いた捕虜は釈放された・・と。
それでその叔父はゲリラになってアメリカ兵を助けながら日本軍を攻撃する事をやめなかったそうで、
その功績が讃えられてアメリカから色々頂いたそうです。
それにしてもこの博物館、わかりにくい場所にあります。
ここが博物館の門なんですが、
門の外は貧しい人の住む住居で住宅が密集しており、
道も複雑(ここから見えるのは田園風景のようですが)。
全体を見渡すとこんな感じです。
一見、小さい家なんですが中が広くて、
この家の中に後で案内してもらったのですが、
クリス・アキノという現在大統領のノイノイ・アキノ大統領の妹も泊まったんだそうです。
そうなのです。
古い家の一部はホテルとして泊まる事が出来ます。
殆どの家はレプリカ。
誰かの家だったものを模倣したり、
壊す時に運べる物は運んで同じように建てたそうです。
敷地内のあちこちに銅像や噴水があるのですが
これについての説明は聞けませんでした。
ガイドさんが居たのですが
大勢だったし、時間も限られていて・・。
桜(右)、カナダ姉さんの三男で今カナダから夏休みで帰国中(真ん中)と虎次郎(左)で海の方へ行くので
私と桃ちゃんもついて行きました。
すると海の手前に大きな池・・・・と思ったらプールだそう。
(こんなところで絶対に泳ぎたくないよね~と話していた)
そしたらホテルに泊まってるお客さんがドヤドヤと出てきて雨の中、プールに入り始めてびっくり。
プールはいいですが海は大しけ。
なのに海辺で釣りしてる人もいました~。
砂浜に下りれるようになっているので行ってみたかったんですが、
「お昼だからレストランに来て下さい~」
と義姉から電話。
残念。
海に流れ込む川、そして向こうの方に橋があって、
その橋を渡った先に建設中の博物館用の家がいくつかありますが、
橋の先はまだオープンしてないそうです。
フィリピン風の衣装ですが、スペイン風の像。
これだけ見たらマニラでもまだありそうな古い家って感じで
特に感動もない・・。
足下に「三つ葉」の雑草。クローバーではありませんが四葉を探してしまいました。
(なかったけど)
「ロラ・バシャン」はおばあさんが孫に童話を読んであげる設定で書かれた童話集です。
この童話集に書かれた童話はインドネシア、インド、中国の民話などに似ています。
鳥と恋に落ちたお姫様が自分も鳥になってその男の鳥と王宮を飛び去って行くというお話しもありましたっけ。
これだけの人数で来ました。
義母の隣で立ってる人は一緒に連れてきたメイドさんの1人です。
義母は車いすなのでメイドさん2人連れてきました。
博物館から渡された地図。
レストランの風域は良かったです。
こんな台風の最中でも野の花が飾られていますし。
何のゲームをしてるんでしょう。
さっき「一見小さい」と書いた家の中です。
芸能人クリス・アキノが泊まったという。
2階には上がらないでと言われました。
博物館では多分、建造物を保存する目的だと思いますが
見せる家を3つ選んで順番に見せているそうで
日替わりなんですって。
広過ぎて落ち着かない感じのリビング。
(狭いのが落ち着く私)
天井の絵 その1。
これまた広過ぎる食堂。
大家族にぴったりですね。
天井の絵 その2
天井の絵 その3
天井の絵 その4
天井の絵 その5
天井の絵 その6
天井の絵 その7
天井の絵 その8
壁の絵はモザイク画でした。
近づくとこんな感じです。
ベネチアの有名なモザイク画ほど細かくはないですが大したものです。
モザイク画の前にあった古い電話ですが実際に使えるそうです。
(何でも触ってみたがる桃ちゃん)
寝室、さすがホテルというだけのことはありますね。
でもこのお風呂は使いにくそう。
シャワーだとしてもちょっと・・。
トイレは現代風。
ただ私がいつも欲しがっているがありました。
家の中なのに外みたいな作りは義両親の家と似てます。
こういう作りなので義両親の家の台所には猫がうろうろ。
こういう時計も義両親の家にあります。
フィリピンではおじいさんの時計(グランドファーザークロック)って密かなブームなのかも。
階段を見上げると3階建てのよう。
上がってみたいです~。
が、この家はこれで終了。
一階部分はガレージのようになったアパートのような家。
壁の彫刻の向こう側は外の世界(一般住宅)。
職員の人の服装も昔のフィリピンの服です。
こういう服で毎日過ごしている時代があったんですよね。
有料でこういう写真も撮ってくれるようです。
(服も貸してくれる)
あずまや。
外から見て説明だけという家が殆ど。
正面玄関だったのですね。
(ちょっと裏木戸っぽい?)
貝の窓はフィリピンならでは。
カピスと呼ばれています。
修理中の家。
高床式の家屋。
家の説明。
特長のある柱はネズミよけと聞いた事がありますが
これくらいだと実際にネズミは登れるように思うんですが・・。
地方によって家屋の特長が違います。
この日、公開された2軒目。
窓側は全部、狭い廊下でした。
そうすると部屋は全部、窓無しなので、
それもどうかと思うんですが・・・。
こうやって間の戸を開ければ光が入るからいいのかもしれません。
家などは軒が大きいのに風雨だと雨が入り込んでくるので
雨が多い地方はこういう作りだと便利そう。
医薬品などが置かれた部屋。
昔の古い道具の展示。
手前のは何か忘れましたが
奥のはタバコ入れだそう。
アイロンですが、布を下に入れたら両足でバランスをとって上側の棒の上に乗り、
間にある棒を左右に転がすそうです。
腰を左右に振るので女性は皆、セクシーだったとか。
確かに田舎ではココナツの茶色の実を半分にしたものを足で左右に動かして床を磨くんですが
これも股関節に良さそうです。
ダーツ。
こういうアバカのような食物繊維で編んだベッドは
シーツを一枚敷いただけで(またはシーツなしで)マットレスなどなく直接寝るそうです。
食堂。
居間。
応接間。
と言っても3部屋、全部ドアなしで繋がっています。
壁に飾ったった絵。
そしてこの日、公開されていた3軒目。
この家、大きいけどちょっと怖いのです。
初代の持ち主夫婦・・なんですが、
この奥さんの方が当時、スペイン支配だったのでスペイン兵がおり、
スペイン兵というかスペイン人警察というか、
その地方のスペイン警察長官と浮気して身ごもってしまったんですって。
それを知ったご主人は身重の奥様を自分の妹と結託して監禁。
これがその監禁された部屋。
監禁された部屋の前の広間も暗い~感じ。
結局、その奥様は後にご主人と彼の妹が自分を毒殺しようと食事に毒を混ぜた事と、
監禁したことで2人を訴え、
2人は2年投獄、自分は無事、警察長官と一緒になれたそう。
家は売りに出され、こちらは新しい家主。
全くの他人だそう。
パティオって感じの中庭に下りるようになってるんですが、
降りてきた場所を見ると・・
やっぱり暗い。
こういうアーチをくぐって外に出る仕組みはやはりヨーロッパ的。
向かい側に見えた家ですが公開されてませんでした。
川の側だったんですね。
向こうに立ってるのがガイドのお兄さん。
義両親や義姉などは有料の乗り物を借り、
私たちは徒歩。
(2台目の車は他の観光客で知らない人達です)
この家は中は公開されてませんでしたが、
旧マニラ市の元フィリピン大学の建物だったとか。
それでこんな看板が。
でも住居やアパートとして使われていた時もあったようなのです。
門には潜り戸があります。
そして人が来た時に二階から覗く小窓があり、
小窓、と言うか床を外して下を覗くだけなのですが、
招かれざる客だとそこから煮え湯だか煮え油だかを落としたとかなんとか。
(恐ろしい~)
フィリピンの人って野良猫が自分の家に来て欲しくないと煮え湯をかけるし
熱いものを人にかける習慣があるのかしら。
その小窓ですがこんな小ささ。
見えるかしら、かすかに。
ここから覗いて入れたい客の場合、
紐をこの場所から引くと閂(かんぬき)が外れる仕組みになっていたそうです。
子ども達がポールに登る遊びの彫刻。
これもフィリピンの子どもの遊びで「シパ(sipa)」というもの。
義母の為に車の椅子を自動で外に出せる装置を最近つけたようです。
便利な時代になりました。
雨が激しいので早々に引き上げて帰宅。
天気が良かったらもっと居たかったです。
途中で通ったバイパス道のSCTexの道路脇が海のようになっていたのですが、
翌日だかのニュースで
道路が寸断(ニュース画像)され不通となりました。
旧道もありますが、バイパス道と比べると2~3倍の時間がかかります。
運が良かったですが、
やはり台風での旅行、前にバギオに行った時もそうでしたが
かなり無理があります。
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<桃ちゃんの体操>
今日は桃ちゃんの体操競技会でした。
桃ちゃんは同じ学校から出場した生徒の中では最下点でした。
でも平均台で5位をもらったので本人はそれなりに嬉しかったよう。
この日の為にこの3週間、ほぼ毎日午後6時半までよく頑張ったと思います。
桃ちゃんの学校の体操はこうやって毎日残って練習するせいか
メダルをもらった生徒は多かったです。
ただ、前の日にネットの動画サイトで海外の体操キャンプの練習風景を見てしまって
フィリピンでは絶対にあのレベルには行かないだろうな~とちょっと凹んでいたのです。
子どもが回転する時など海外だと2人のコーチがサポートしています。
桃ちゃんの体操コーチはサポートなし。
自分で回れるようになるまでは回るな方針。
桃ちゃんが練習中もコーチ同士でおしゃべりしてたり、携帯してたりして
自分の練習を見てない・・と桃ちゃん。
私が見ててもそう感じていたのですが
やっぱり子どももちゃんと見てるんですね。
競技会が行われたクラブジムナスティカに通わせてるお母さんが隣に座ったので話しを聞いたんですが
週に2度しか通ってない、だからメダルなんかも手が届かないようですが
個人レッスンも有料でやってくれるそうですし、
何より場所の広さが3倍。
先日も桃ちゃんは学校で体操中にベニヤ板のささくれで腿に引っ掻き傷作ったのです。
むき出しの木が多くて(マットなど乗せてる)色々な子が結構怪我します。
別に今、メダル貰いまくらなくてもいいし、
体操競技会に参加しなくてもいいんじゃないかと思う私。
上手な子は上手だし、比べても仕方ないし。
楽しく続けるんだったら学校じゃない方が楽だな~と思いました。
月曜日~土曜日まで毎日を何週間も、本当に疲れました。
終わって良かった~。
これから週3回に戻ります。