きれいごとかも・・・
昨日ココを更新してから考えました。
ーー私は「障害があるから、みんなと違う」と思い込んでいましたが、30ン年ぶりに会ってみると、みんな似たり寄ったりで(笑)、若気の至りで殻に閉じこもっていただけだったようですーー
こんなことを書きましたが「類は友を呼ぶ」で似たり寄ったりの人たちと再会できたから心地いいのです。
まったく「類」がない人もいるかも知れません。
私とは逆バージョンで、昔は「類」がいたのに年々嫌われ者になり気がついたら一人ぼっち・・・とかぃろんなケースがあるでしょう。
だから一概に、
ーー生きていれば、失ったもの(失いかけているもの)を取り戻すことができます。
絶対に「生きててよかった」と思える日が来るし、一緒に想い出を分かち合える人はいるはずです!ーー
と、言い切るのは無責任かな~と。
現に私は30代の半ばに再会して親しくなった同窓生とは「蜜月?」の後で「絶交」されてしまいました。
その同窓生は表面的には私とスゴク「類」でした。
しかし、あまりにも「類が友を呼び過ぎた」のでしょう。
50才を過ぎて思うのは「30代は、まだ意気盛ん」ですよ! (笑)
この「絶交話」を他の同窓生に話したら、「『絶交』という言葉自体が死語よ」と笑われました。
「絶交」となるまで、ぶつからなくても何とかなったよ・・・といったところです。
そうなんです!(^^)!
ぐちゃぐちゃした感情があるから「人間」なのですが、その「ぐちゃぐちゃ」がなくなってくると(年を取ってくると)、それはそれでオモシロいものです。
「若者よ、あきらめないで!」って、きれいごとのようにも取れますが、「ぐちゃぐちゃ」の途中で人生をあきらめる人(若者)が、最近多いと感じるので書きました。
こういうのを《老婆心》というんですかねぇ(汗)
人を殺す(斬る)ことは自分を殺すこと
自分が生きるために(欲望を満たすために)人を斬っていく人種がいます。
例えば中学生の自殺問題ですが・・・
相手が死ぬまで苦しませ、またそのことから目を背けて、その時はよかったでしょう。
でも、人を殺した・傷つけた人間としての「罪」からは一生逃れられないと思います。
ーー10年・20年・30年はあっという間です(爆)
と断言できますが、「人生」は長いですよ。
その長い人生の一時の「ぐちゃぐちゃ」のためにすべてを台無しにするのは勿体無いです。
被害者も加害者も「人生を棒に振った」ことには変わりありませんからね。
「方法・手段」を変える選択肢
どうして「生か死か」「斬るか・斬られるか」を選ぶのでしょう?
学校や社会(組織)というモノは、そこからはみ出した者を許さない所なのですか?
私は生まれつき「はみ出し」ており、学校にも社会(組織)にもあまり縁がないいので(?)、毎日ヒサンな事件が起きる世の中が理解できません(>_<)
「自分がはみ出している」ことでつらかったら、生きる方法や手段を模索することとで「生きる場所・生きられる空間」を創っていけばいいと、私は思っています。
それが、いつかは世の中を変えることにつながると信じています。
昨日ココを更新してから考えました。
ーー私は「障害があるから、みんなと違う」と思い込んでいましたが、30ン年ぶりに会ってみると、みんな似たり寄ったりで(笑)、若気の至りで殻に閉じこもっていただけだったようですーー
こんなことを書きましたが「類は友を呼ぶ」で似たり寄ったりの人たちと再会できたから心地いいのです。
まったく「類」がない人もいるかも知れません。
私とは逆バージョンで、昔は「類」がいたのに年々嫌われ者になり気がついたら一人ぼっち・・・とかぃろんなケースがあるでしょう。
だから一概に、
ーー生きていれば、失ったもの(失いかけているもの)を取り戻すことができます。
絶対に「生きててよかった」と思える日が来るし、一緒に想い出を分かち合える人はいるはずです!ーー
と、言い切るのは無責任かな~と。
現に私は30代の半ばに再会して親しくなった同窓生とは「蜜月?」の後で「絶交」されてしまいました。
その同窓生は表面的には私とスゴク「類」でした。
しかし、あまりにも「類が友を呼び過ぎた」のでしょう。
50才を過ぎて思うのは「30代は、まだ意気盛ん」ですよ! (笑)
この「絶交話」を他の同窓生に話したら、「『絶交』という言葉自体が死語よ」と笑われました。
「絶交」となるまで、ぶつからなくても何とかなったよ・・・といったところです。
そうなんです!(^^)!
ぐちゃぐちゃした感情があるから「人間」なのですが、その「ぐちゃぐちゃ」がなくなってくると(年を取ってくると)、それはそれでオモシロいものです。
「若者よ、あきらめないで!」って、きれいごとのようにも取れますが、「ぐちゃぐちゃ」の途中で人生をあきらめる人(若者)が、最近多いと感じるので書きました。
こういうのを《老婆心》というんですかねぇ(汗)
人を殺す(斬る)ことは自分を殺すこと
自分が生きるために(欲望を満たすために)人を斬っていく人種がいます。
例えば中学生の自殺問題ですが・・・
相手が死ぬまで苦しませ、またそのことから目を背けて、その時はよかったでしょう。
でも、人を殺した・傷つけた人間としての「罪」からは一生逃れられないと思います。
ーー10年・20年・30年はあっという間です(爆)
と断言できますが、「人生」は長いですよ。
その長い人生の一時の「ぐちゃぐちゃ」のためにすべてを台無しにするのは勿体無いです。
被害者も加害者も「人生を棒に振った」ことには変わりありませんからね。
「方法・手段」を変える選択肢
どうして「生か死か」「斬るか・斬られるか」を選ぶのでしょう?
学校や社会(組織)というモノは、そこからはみ出した者を許さない所なのですか?
私は生まれつき「はみ出し」ており、学校にも社会(組織)にもあまり縁がないいので(?)、毎日ヒサンな事件が起きる世の中が理解できません(>_<)
「自分がはみ出している」ことでつらかったら、生きる方法や手段を模索することとで「生きる場所・生きられる空間」を創っていけばいいと、私は思っています。
それが、いつかは世の中を変えることにつながると信じています。