だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

平成~令和 お遊び日記 「追憶の湯島」の巻

2019年05月07日 | 日記
「湯島天神に行きたーい」

神社のソムリエ・ふくりゅう氏に案内してもらい、神田明神を参拝した後、
「ワタクシメは湯島天神に行きます」
「行き方わかるの?」
「よくわかんないなー」というわけで、ふくりゅう氏に連れて行ってもらいました <(_ _)>

湯島は昔は花街で遊郭もありました。
その名残で「神社めぐり」の道中は軒並み♥ラブホ♥

神社のソムリエ・ふくりゅう氏にくっついて、電動車椅子で徘徊するワタクシメ。
そこに付き添う外国人ヘルパーJは最近「スマホカメラ」にハマってて、やたらと撮るんですよ(笑)
この3人がダンゴになってラブホ街を歩き回る様子は、ものすごくアヤシクて、笑うしかありませんでした('◇')ゞ


 ああー青春 (#^.^#)

湯島天神には高貴な方が「おしのび」でおいでになるようです。
ワタクシメも若き日、足腰が丈夫で、どこでも一人で歩いて行かれた時分、「おしのび」したことがあります(/ω\)

その「おしのび参拝」の傷がかさぶたになった頃、「湯島天神」の宮司さんご一家と家族ぐるみのお付き合いが始まりました。


それは珍しくオヤジ様が結んでくれたご縁です

もう30年位前のこと、オヤジ様が「湯島小学校」の校長をして、湯島天神の宮司様がPTAの会長で、苦楽を共にしたようです(ウケルー)
当時、湯島小学校の周年行事やら改築工事やらが重なり、オヤジ様はすごく忙しく家族からはブーイングもありました💦
でも「仕事人間」のオヤジ様にとっては、充実した時期だったことでしょう。

何十年も目黒・世田谷がエリアだったオヤジ様にとって「湯島界隈」は新鮮で、話題も変わっていきました。
それは家族にとっても楽しい思い出です。

ワタクシメのデビュー作「薫ing」の出版記念会や野間児童文芸新人賞をとった授与式・祝賀会に宮司夫妻も出席して下さり、
何かと応援していただいています。
甥っ子の七五三のお祝いでも湯島神社で行ないましたが、母上の病気のこともあり、お会いする機会は減ってしまいした。
それなのに、神社めぐりの当日の朝、「お邪魔するーかもしれません」と奥様にメールしたら、
「用を清ませてお家で待っていていますよ😊」と即レス。

ーーこれは絶対行くっきゃない (*^^)v

厚かましい訪問でしたが、オヤジ様が在職中の想い出話や、裏話に花が咲きました🌸
ビッグイベントだった「学校改築」の際、高齢者施設と併設する計画を出したら、住民から反対の声が多く出て(今なら考えられないけれど)オヤジ様が骨折ったとか、
地元選出の議員Hさんがたまたま文科相になってて、「文科相」の肩書ぶら下げて周年記念式典に来ちゃったとか、
なんかのツテで◎▲の宮さまもお出ましされちゃったとか●~*
横山大観が湯島小の卒業生で、絵を何枚かいただいて、売却して、イベントの資金の足しにしたとか・しないとか 💰

「高齢者施設」の方はうまく話がまとまったけれど、「ラブホ反対運動」は惨敗⤵⤵⤵ (これはワタクシメの創作ですw)

ーー「昔ばなし」って、愉快ですね。

「湯島小学校のカンバン? 表札? 名盤! とにかくあれは、父が書いたんですよ」とお話ししたら、
「見に行きましょう」と、奥様とお散歩に行くことになりました。

几帳面なオヤジ様が家で何度も練習し、最後まで気にいらなかった「○○湯島小学校」の文字を間近で見るのは初めてで、
「湯島小」にまつわる思い出がよみがえり、不思議な気分でした。

我が家だけが知るエピソードですが、その頃はまだ学校に夜勤の警備員さんがいて、
大晦日には母上がお節料理でかわいいお弁当を作り、警備員さんにそれを差し入れしていました。
「紅白歌合戦」を聴きながら家族で湯島までドライブし、差し入れを渡すのが、一年のシメだったのです。
新年用に飾られた銀座通りをゆくと、夢の中に吸い込まれそうでした。


令和最初のお出掛けは「追憶の湯島」でした。
改元といっても何も変わりませんが、懐かしい場所で昔ばなしをしたことで、気持ちよく「平成」を締めくくれたと思います。

「神社めぐり」に付き合ってくれた皆さん、ありがとうございました。
「令和」もよろしくお願いします。









コメント
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