奈良散策 第858弾
7月2日に大神神社で茅の輪くぐりをした後、近くにある平等寺に行ってみました。
大神神社拝殿前の広場を南に進むと平等寺に向かう道になります。
道沿いにこんなキノコが生えていました。キノコはよくわからないので、横から撮った写真をgoogleレンズで調べてみました。アンズタケ科のアンズタケが候補になりました。なんとなくそれみたいな感じです。
途中、耳成山(右)と畝傍山(左)がよく見える場所がありました。
これはヤマブキです。
5分ほどで平等寺の入り口に着きました。
門の上にある扁額には「三輪山」と書かれているようです。ここはもともと聖徳太子の開基、慶円の中興とされていて、真言宗で大神神社の神宮寺でした。「寺院神社大事典」によると、その後、室町時代には興福寺の末寺になり、また、醍醐寺とも関係がありました。そのため、寺内は興福寺系の学衆と醍醐寺系の禅衆の対立が激しかったと言います。「桜井市観光協会公式ホームページ」によると、明治になって神仏分離により廃寺になり、仏像は持ち出され、堂舎はすべて壊され、石垣だけが残る廃墟になっていたようです。明治10年に境内敷地の払い下げがあり、平等寺跡に翠松庵が開かれました。そして、昭和52年に平等寺と改称し、曹洞宗に属して堂舎を復元し、現在に至ったようです。
龍がアジサイの花を見つめているようです。
これが境内です。左側が本堂で、向こう側に二重塔が見えています。
これは境内の右側です。
ベンチとベンチの間で猫が寝そべっていました。
これは本堂です。中には平安中期の作の本尊十一面観音像があるそうです。
本堂から見た不動堂(左)と二重塔釈迦堂(右)です。
本堂の横に置かれていたもので、十六羅漢の一つ賓頭盧(びんずる)の像のようです。
二重塔釈迦堂に行ってみました。なかなか立派な塔です。
周りをこんな石像が囲んでいました。
これは仏足石です。
隣には不動堂があります。
そして、境内にあった熱とり地蔵です。南北朝時代に熱病に苦しむ人を見て善教が願いを込めて彫ったとされる地蔵だそうです。
猫は今度はベンチの上で寝そべっていました。「平等寺だよ里」によると、「ハート」というお寺の猫のようです。
これはアジサイ。
それに稲荷社。
聖徳太子像。
最後は鐘楼堂でした。この後、崇神天皇の磯城瑞籬宮跡に行ったのですが、それはまた今度出します。