奈良散策 第1341弾
10月26日と27日は市制70周年を記念して、大和郡山市で「城下町の寺社巡り」が開かれました。普段、拝観するのに予約の必要なお寺をこのときは無料で予約なしで見ることができます。市内の神社3か所と寺院5か所が参加したようです。26日は「女王卑弥呼の三社巡り」が行われ、27日は「城下町の寺巡りツアー」が開かれます。私は寺巡りツアーに申し込みをしました。申込者多数の場合は抽選ということでしたが、幸い、抽選に当たって参加できることになりました。そこで、前日に家族と一緒に下見に行きました。
出かけるときにマンションの廊下に瀕死の状態のウスバキトンボが止まっていました。
「城下町の寺社巡り」のポスターです。
初めにいつものように源九郎稲荷神社に行きました。ここは花が綺麗なので、よく写真を撮りにいきます。
これはタチバナです。実がちょっと凹んだような形をしています。葉の基部に翼は発達していません。幹に棘はありません。
変わった花が咲いていました。マユハケオモトなるラベルがついています。ネットで調べると、ヒガンバナ科のHaemanthus albiflosという南アフリカ原産の植物のようです。
これはアマリリスでしょう。ネットで調べると、葉に白い筋が入っているのは、シロスジアマリリスという名前がついていました。
これは拝殿です。
その奥には狐がいっぱい飾られていました。
狛犬の代わりの狐の像です。
源九郎稲荷神社の隣が洞泉寺になっています。洞泉寺は以前にも来たことがあったので、これが2回目です。
門をくぐると中はかなり広くなっています。
左手に小さな御堂があります。扁額には「光明皇后勅願 垢抓湯船地蔵尊」と書かれています。
中には地蔵尊と石が置かれています。これが湯船なのでしょうか。
その奥には入り口が竹で塞がれている御堂があります。扁額には「源九郎天 仮本殿」と書かれています。この御堂と源九郎稲荷神社との関係が以前から気になっていたのですが、今回、寺社巡りで本堂の中を見ることができて、少し分かったような気がしました。
昭和28年発行の「郡山町史」には、「源九郎天縁起」が載っています。これによると、豊臣秀長は、大和郡山南部に草庵を結んでいた寶譽上人の高徳のうわさを聞き、城内に招請して法話を聞いたそうです。上人はある夜、源九郎という白狐が白髪の老翁になり、郡山城に荼枳尼天(だきにてん)を勧請すれば、開運になり、火難盗難一切の災厄を防ぐことができるという夢を見ました。そのことを秀長に申し上げたところ、早速、城内に伽藍を建立し、上人がかつて在住していた三河の洞泉寺の寺号を移したとのことです。このとき、上人が自ら彫刻した荼枳尼天像を安置するための御堂を建てたとのことです。これが仮本殿のようです。荼枳尼天はもともとインドの神様ですが、日本に来ると、白狐にまたがる天女の姿になったようです。
屋根には狐の像が載っています。明治になり、神仏分離で御神体は源九郎稲荷神社と改め、もともとの荼枳尼天像はそのまま仮本殿に安置されたとのことです。
この日は本堂の中に入ることができました。本堂内では鎌倉時代作の重要文化財である阿弥陀三尊像や五劫思惟阿弥陀如来坐像などが安置されていました。その横に、先ほどの荼枳尼天像が置かれていました。思ったより、小さな像でした。荼枳尼天像はその後、仮本殿から本堂に移され、仮本殿は現在物置になっているとのことでした。
本堂内は撮影禁止なので、写真はないのですが、中庭にある垢かき湯舟だけは撮影ができました。これは光明皇后が民衆の病気平癒のために作られたと伝えられているそうです。
雑談)最近、アリが家の中でうろちょろしているので、一昨日、採集して冷凍庫に入れておきました。今日、取り出してきて、検索をしてみました。体長3 mmほどの小さなアリですが、ひさしぶりの検索でした。結果は、ケブカアメイロアリという外来種になりました。
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