奈良散策 第1369弾
11月21日は葛城市歴史博物館に行きました。その続きです。
展示室は葛城市の考古資料や中世の武士の資料などが展示されていました。これは弥生時代の竹内遺跡の石包丁、紡錘車の展示です。
ここから古墳時代になります。これは寺口和田古墳群から出土した楕円筒埴輪。
これは屋敷山古墳の長持型石棺。
そして、これは寺口和田1号墳から出土した船形埴輪の複元品だそうです。
ここは古代寺院の展示です。この板状の仏像は石光寺の連坐塼仏(れんざせんぶつ)です。
ここからは室町後期から戦国時代にかけての葛城地方の武士の話です。
山がちの葛城地方では、地形を利用したこんな山城があったようです。
最後は昭和30年代の茶の間を再現したものでした。
この日は特別展として「當麻寺練供養」があったのですが、撮影禁止だったので、写真はありません。練供養というのは阿弥陀如来を先頭に二十五菩薩が迎えにくる様子を再現したものです。當麻寺で始まったものが、現在では日本各地で行われています。もともと、藤原南家の藤原豊成の子として生まれた中将姫が継母にいじめられ、殺されそうになるのですが、16歳の頃、出家したいといって當麻寺に入ることになります。中将法如という名をいただいた姫は生きながらにして阿弥陀如来の極楽世界を拝みたいという希望を持っていました。本堂で読経をしていると、老尼が現れ、蓮を集めて糸を作ることを促します。姫が一晩で當麻曼荼羅を織ると、老尼は阿弥陀如来に姿を変え、13年後に迎えに来ると伝えます。姫が29歳になると、阿弥陀如来と二十五菩薩が来迎し、姫を極楽浄土へ連れていくという話です。特別展では當麻寺練供養に用いられているいろいろな用具の展示がありました。
歴史博物館のすぐ横に鏡池がありました。中将法如はこの池に生えていた蓮を用いたとのことです。
鏡池は隣にある角刺神社(つのさしじんじゃ)の境内になっています。
この神社の御祭神は飯豊青命(いいとよあおのみこと)です。第22代清寧天皇が崩御されたとき、皇太子である億計王と皇子の弘計王は互いに譲りあって皇位につかれないので、姉である飯豊青命がこの地に角刺宮を置き、朝政を執られたそうです。飯豊青命はわずか十か月余りで亡くなるのですが、飯豊青命を日本初の女性天皇として取り扱うかどうかについては昔から判断が分かれているとのことです。この神社は角刺宮の跡に社を造って、飯豊青命の御霊をお祀りしたものです。
これは狛犬です。
拝殿の横にはこんなに曲がった大きな木が生えていました。
これは境内社で、末吉大明神と書かれていました。
雑談1)だいぶ紆余曲折がありましたが、「大和郡山の鳥」という小冊子の原稿をやっと製本に出すことができました。これで一安心です。次は植物にしようのか、チョウ・トンボにしようか、まだ迷っています。
雑談2)今朝、暗いうちに家を出て散歩に行きました。歩いていると、畑の中から急に猛禽類が飛び立ち、畑の上を二度ほど旋回した後、近くの電線に止まりました。撮影してみると、頬に黒い模様があるので、どうやらハヤブサのようです。おそらく餌を捕まえたところに私が来たので、驚いて飛び上がったのだろうと思われます。邪魔するのも悪いと思って、何枚か写真を撮って通り過ぎました。ふと振り返ると、先ほど止まっていたところにカラスが2羽います。きっとカラスに追い払われてしまったのでしょう。家に戻ってから調べてみると、どうやらハヤブサの幼鳥のようでした。
雑談3)今年4月中旬から始めた植物調べも、12月になり、そろそろ打ち止めになりました。これまでに記録した植物は全部で666種。一年目としてはまあまあかもしれません。
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