著者があるエッセイで書いていた「全ては絶望から始まる」といった意味の言葉に何となく共感するところがあり、小説を読んでみました。この小説は確かに絶望から始まっており、最後は淡い希望で結んである。しかし僕は作家ではないのでもっと突き放した言い方をしたい。「全ては絶望から始まる。そして全ては絶望で終わる。」
小説の中の重要な箇所にたびたび出てくる「もしも私があなただったら」もしくは「もしもあなたが私だったら」という仮定は、現実的にはありえない。主人公がラスト直前まで相手の女性を信じることができなかった気持ちも僕にはよく分かる。「信じる」という行為自体は、論理的に考えると非常に不確かなものであると思っている。自分の心さえ見えないのに、他人の心など。確かなものなどこの世に一つとしてないというのに。
しかし、全ては絶望の中にあることを了解し、それを受けいれた上での「信じる」という行為なら、それは事実を信じる(という幻想的な)行為よりむしろ確かなものに近づいていると思う。傍から見れば狂気的だが、結局信じるという行為は狂気以外の何ものでもないのだ。
だから僕は信じている。あなたと私の心はつながっている。
なんて、難しい顔して考えているふりをしてみた。
面白かったです。
小説の中の重要な箇所にたびたび出てくる「もしも私があなただったら」もしくは「もしもあなたが私だったら」という仮定は、現実的にはありえない。主人公がラスト直前まで相手の女性を信じることができなかった気持ちも僕にはよく分かる。「信じる」という行為自体は、論理的に考えると非常に不確かなものであると思っている。自分の心さえ見えないのに、他人の心など。確かなものなどこの世に一つとしてないというのに。
しかし、全ては絶望の中にあることを了解し、それを受けいれた上での「信じる」という行為なら、それは事実を信じる(という幻想的な)行為よりむしろ確かなものに近づいていると思う。傍から見れば狂気的だが、結局信じるという行為は狂気以外の何ものでもないのだ。
だから僕は信じている。あなたと私の心はつながっている。
なんて、難しい顔して考えているふりをしてみた。
面白かったです。