●定例会=2019年4月20日(土) 午後2時~6時
●会 場=四條畷学園小学校科学準備室
●参加者(14名)
渡辺慶二(豊年福祉会相談役)
西村寿雄(科学読み物・地学研究)
音田輝元(大阪府高齢者大学校理事・大阪科学の授業をたのしむ会代表)
岡部智子(高槻市小学校3年)
畑中真一(枚方市小学校教務主任)
室元昭雄(四條畷学園高校理科教諭)
中嶋典子(枚方市小学校栄養教諭)
雁金 隆(四條畷学園小学校科学専科)
雁金美佐枝(自称「家政婦」)
木村直子(大東市小学校6年)
北村 修(枚方市小学校2年)
笠井 亮(大阪電気通信大学・ルネサンス大阪高校非常勤講師)
古川真司(岸和田市小学校特別支援)
水口民夫(ルネサンス大阪高校理科非常勤講師)
<資料発表>
★渡辺慶二(豊年福祉会相談役)
サークルに参加できることが喜びです,と笑顔で語られました。毎日,相談役として施設に通われてお年寄りとのふれあいを大切にされています。
★西村寿雄(科学読み物・地学研究)
『石は なにから できている?』(岩崎書店)のインタビューが月刊『石材』に掲載されました。「子どもたちの夢をパッと広げてあげたい」というインタビューのタイトルがとてもよかったです。また,科学読み物研究会の会報にのせるために「板倉聖宣先生とともに歩んで」という文章をまとめられました。これは,サークルニュースの最後に掲載しています。「ストローとモールで作る立体作り」は正四面体や正八面体などの立体像がストローとモールで作ることができる,という資料です。
★音田輝元(大阪府高齢者大学校理事・大阪科学の授業をたのしむ会代表)
「教室日記<こころの天気図>」には「熱意があればだれでも<楽しい科学教育>ができる!」という目標をかかげて「模倣による体験」の実践記録が書かれています。音田さんの高齢者大学校での活動も来年で10周年を迎えます。これをキッカケに「アベノハルカス」かどこかで大きな科学イベントの開催を模索されています。
★中嶋典子(枚方市小学校栄養教諭)
転勤して同じサークルの北村さんと同じ学校に勤めることになりました。『いわしくん』『いただきますレストラン』の絵本の紹介がありました。今度の学校は,学年5クラスの大規模な学校なので栄養指導の授業を各クラスで仮説実験授業をすることは時間的に難しいみたいです。時間を捻出して短時間でもいいので仮説のプランをしてほしいと願っています。
★木村直子(大東市小学校6年)
転勤していきなり6年の担任になりました。クラスの子どもが放課後公園でけがをしました。保護者と連絡が取れなくて担任の木村さんがいっしょに救急車に乗って病院まで行きました。救急車に乗ったのは生まれて初めてでした。「おりぞめ」で日直カードを作って子どもたちに喜ばれました。仮説社から取り寄せた「アリハウス」を教室においてアリの飼育を始めました。子どもたちの反応が楽しみです。
★雁金美佐枝(元・四條畷学園小学校 現・自称「家政婦」)
学園が発行している『なわて』に1991年に掲載した「36人と一匹」の資料をもってきてくれました。これは,2月の中さんの会での雁金さんの講演で触れられていた話です。教室に迷い込んだ犬を飼い主が見つかるまでの間,クラスのみんなで飼うことになったほのぼのした話です。
★畑中真一(枚方市小学校教務主任)
転勤しました。首席という立場上担任にはなれません。教務の仕事以外に,初任者指導担当,学力向上担当,ホームページ担当,給食・アレルギー担当,5.6年の図工専科をしています。理科の授業が持てない分,仮説社から出ている『たのしい授業プラン 図工・美術』を手元において,たのしい図工の授業をしていきたいです。また,初任者指導担当という立場なので兵庫の東垣さんのマネをして「先輩教師の知恵袋」を出しています。
★北村 修(枚方市小学校2年)
転勤してサークルの中嶋さんと同じ学校になりました。新しい学校の給食のうどんは,中嶋さんの力でこしのあるおいしいうどんになりました。学年5クラスの大所帯ですが,北村さんが一番年上で,あとはみんな若い先生です。始業式の担任発表では,子どもたちは若い先生の方がよかった,という反応をしていたようですが,しばらくして,作文を書いてもらうと,北村先生はやさしくて,おもしろいということが書かれていました。教室では,マジックをして喜んでもらっています。
★笠井 亮(大阪電気通信大学・ルネサンス大阪高校 非常勤講師)
「理科教育法」の講義通信には,「出会いの授業」として<ブタンガスで楽しもう>のようすと笠井さんの願いが書かれています。講義で一番経験してほしいことは,科学の「たのしさ」を自分自身がたっぷりと体験するということです。そして,その「たのしく学んだ感動」を伝える具体的な方法・手だてを身に着けてほしいということです。講義に出ていた学生さんで,中学校の時に笠井さんが教えていた仮説を受けた学生さんがいました。そのときの授業書をファイルにとじて持ってきてくれました。
★雁金 隆(四條畷学園小学校科学専科)
再任用で科学専科として勤務しています。校務分掌は,防災担当などをしています。地震の心構えの合言葉は,「あかとまと」です。「あ」⇒頭を守る。「か」⇒火事を防ぐ。「と」⇒戸を開ける。「ま」⇒周りをよく見る。「と」⇒徒歩で逃げる。これは,多くの学校に広めたい「合言葉」ですね。
★岡部智子(高槻市小学校3年)
学級通信をずっと出し続けてきましたが,転勤した新しい学校では出せなくなりました。学年同一歩調のためです。岡部さんはいままでたくさんの学級通信を出して子どもたちと保護者とのつながりを大切にしてきましたが,大切なツールを奪われた感じです。参観日では詩「おおかみ」(谷川俊太郎作)を学年で統一してやりました。事前に打ち合わせをしていたのに,ある先生が, 最後のことばをあてる問題で正解の「うんこ」ではなく「くそ」と教えてしまったというハプニングがあって笑ってしまいました。その先生にとってはこの失敗はまさに「くそ~」でした(笑)。朝の連続小説で杉山亮さんの『峠の忍者』を読んだり,「さすらいのギャンブラー」をしたり≪足はなんぼん?≫をやったりと岡部実践は不滅です。
★室元昭雄(四條畷学園高校理科教諭)
「校外学習(遠足)に行ってきました!」という資料には,遠足での班づくりの苦労話が書かれていました。思春期の全員女子のクラスでのグループ作りも仮説実験ですね。生徒からはクラスラインにも入れてもらい,校外学習楽しすぎた,というコメントがとどいて安心しました。
★古川真司(岸和田市小学校特別支援)
4年目の教師生活がスタートしました。今年度も引き続き支援学級の担任です。一人ひとりの具体的な対応を考えるために夜の9時ごろまで学校に残っています。「愛着障害」の子どもが多く,そういう子どもにどう接していけばいいのか,日々考え実践しています。今度の参観では「分子模型」作りをするそうです。
★水口民夫(ルネサンス大阪高校理科非常勤講師)
プラン<発光ダイオード>の実験をしました。これは,笠井さんとの合作です。発光ダイオードが光を出す原理についてもっとくわしく知りたいと思っています。アリの体には「蟻酸」がありますが,そのことを青のリトマス紙が赤に変色することで確認しました。今年度は,電気と仲良くなること,アリの検索(同定)をマスターすること,「勝海舟」のプランをまとめること,などを考えています。ルネサンス大阪高校でのスクーリングは,昨年に続いて<あかりと文明>と今年度は「総合的な学習・探求」で「日本人の名字」(音田・淀井プラン)をします。
サークルの日の午前中に「巨大メガホン」の実験をしました。以前,飯盛山山頂と学園小学校との屋上間,約1キロメートルでは,はっきりと声が聴こえましたが,もっと距離をのばしたらどうなるか,という問題意識で,山頂から2キロ離れた深北緑地とでやりましたが緑地側は人の声にかき消されて聞こえませんでした。山頂側ではなんとかそれらしき声を聴くことができましたが,確証には至りませんでした。この実験は場所をかえて継続します。
板倉聖宣先生とともに歩んで
西村寿雄
私は1959年に小学校に赴任し、間もなく科学教育研究協議会(以下科教協)に加入しました。その後も続いて科教協の全国集会に参加していましたが、その時に初めて板倉先生の激しい口調の討論を耳にしました。仮説実験授業の趣旨をさかんに話されていた場面が脳裏に蘇ります。(この時、吉村証子さんの科学読み物研究会の構想も聞きました) 教育という仕事は、教師が子どもと共に創造的に構築していくものと考えていた私は、板倉先生の話は急には受け入れることはできませんでした。授業書というテキストで問題や予想選択肢も決められているのは安易な教育論と見えたのです。その後3年にわたって科教協の場で板倉先生に議論をふっかけていました。「教育には法則があるのです。教える内容や方法は思い付きでは成功しません」と言われても、すぐには受け入れられませんでした。ところが授業書には高度な内容が巧みに組み込まれています。やがて成城学園での仮説実験授業の授業を見て、子どもたちが嬉々として学ぶ姿にすっかり魅了されてしまいました。その後、仮説実験授業研究会に入ってたくさんの授業を実施しました。多くの研究会で板倉先生のお話を聞き先生の著書を読むにつれ、板倉先生の教育への深い思いに魅了されていきました。
話されている内容は高度でも、あくまで子ども中心主義で、授業の評価は子どもがするという評価観は当時としては異例でした。また、子どもの経験を大切にするという子どもの立場と教師の指導性を発揮するという教師の立場の矛盾を見事に授業書に結実されていることがわかりました。教育そのものの科学も構築されていました。
その後、仮説実験授業や科学読み物に関する話は板倉先生からたくさんお聞きしましたが、これらについてはあとでまとめます。それ以外のことで板倉先生から学んだことを少し書いてみます。
板倉先生は、科学は社会的なものととらえられ、だれもが科学を楽しく学べるように主張されていました。クラスが楽しくなり、学校が楽しくなり、人生も楽しくなる生き方論まで展開されていました。科学は社会的なものという板倉先生のお話を聞いていたので、私はあえて管理職の道も受け入れ、「楽しい学校」を心掛けたものでした。板倉先生の哲学論の中で、最もよくお聞きしたのは「党派性にとらわれるな」「押しつけの排除」「正義の怖さ」でした。人はえてして党派にとらわれて判断しがちです。「真理はあくまで仮説実験に基づく実験のみによって決まる」のであって、多数派が真理を決めるものでもない。少数派の意見にも大切な要素があることを指摘されていました。ちょっと理屈っぽくなりますが、板倉先生はしばしば仮説実験的認識論を熱っぽく語られていました。このあたりは『新哲学入門』(仮説社)に書かれています。私は〈ウェゲナーの大陸移動説〉を研究していましたが、板倉先生の認識論を聞いてやっと納得でき本にまとめたものでした。この話は『ウェゲナーの大陸移動説は仮説実験の勝利』として刊行しました。
私は退職して20数年、今も仮説実験授業に関する授業書作りや科学読み物にかかわって充実した毎日を過ごしています。板倉先生との出会いがあってこその人生です。陸鉄道に乗ってゆっくり鉄道旅をしたいと思っています。そして,来年は,大阪で初めて全国大会が開かれる可能性が出てきました。うれしいことです。(おわり)
●会 場=四條畷学園小学校科学準備室
●参加者(14名)
渡辺慶二(豊年福祉会相談役)
西村寿雄(科学読み物・地学研究)
音田輝元(大阪府高齢者大学校理事・大阪科学の授業をたのしむ会代表)
岡部智子(高槻市小学校3年)
畑中真一(枚方市小学校教務主任)
室元昭雄(四條畷学園高校理科教諭)
中嶋典子(枚方市小学校栄養教諭)
雁金 隆(四條畷学園小学校科学専科)
雁金美佐枝(自称「家政婦」)
木村直子(大東市小学校6年)
北村 修(枚方市小学校2年)
笠井 亮(大阪電気通信大学・ルネサンス大阪高校非常勤講師)
古川真司(岸和田市小学校特別支援)
水口民夫(ルネサンス大阪高校理科非常勤講師)
<資料発表>
★渡辺慶二(豊年福祉会相談役)
サークルに参加できることが喜びです,と笑顔で語られました。毎日,相談役として施設に通われてお年寄りとのふれあいを大切にされています。
★西村寿雄(科学読み物・地学研究)
『石は なにから できている?』(岩崎書店)のインタビューが月刊『石材』に掲載されました。「子どもたちの夢をパッと広げてあげたい」というインタビューのタイトルがとてもよかったです。また,科学読み物研究会の会報にのせるために「板倉聖宣先生とともに歩んで」という文章をまとめられました。これは,サークルニュースの最後に掲載しています。「ストローとモールで作る立体作り」は正四面体や正八面体などの立体像がストローとモールで作ることができる,という資料です。
★音田輝元(大阪府高齢者大学校理事・大阪科学の授業をたのしむ会代表)
「教室日記<こころの天気図>」には「熱意があればだれでも<楽しい科学教育>ができる!」という目標をかかげて「模倣による体験」の実践記録が書かれています。音田さんの高齢者大学校での活動も来年で10周年を迎えます。これをキッカケに「アベノハルカス」かどこかで大きな科学イベントの開催を模索されています。
★中嶋典子(枚方市小学校栄養教諭)
転勤して同じサークルの北村さんと同じ学校に勤めることになりました。『いわしくん』『いただきますレストラン』の絵本の紹介がありました。今度の学校は,学年5クラスの大規模な学校なので栄養指導の授業を各クラスで仮説実験授業をすることは時間的に難しいみたいです。時間を捻出して短時間でもいいので仮説のプランをしてほしいと願っています。
★木村直子(大東市小学校6年)
転勤していきなり6年の担任になりました。クラスの子どもが放課後公園でけがをしました。保護者と連絡が取れなくて担任の木村さんがいっしょに救急車に乗って病院まで行きました。救急車に乗ったのは生まれて初めてでした。「おりぞめ」で日直カードを作って子どもたちに喜ばれました。仮説社から取り寄せた「アリハウス」を教室においてアリの飼育を始めました。子どもたちの反応が楽しみです。
★雁金美佐枝(元・四條畷学園小学校 現・自称「家政婦」)
学園が発行している『なわて』に1991年に掲載した「36人と一匹」の資料をもってきてくれました。これは,2月の中さんの会での雁金さんの講演で触れられていた話です。教室に迷い込んだ犬を飼い主が見つかるまでの間,クラスのみんなで飼うことになったほのぼのした話です。
★畑中真一(枚方市小学校教務主任)
転勤しました。首席という立場上担任にはなれません。教務の仕事以外に,初任者指導担当,学力向上担当,ホームページ担当,給食・アレルギー担当,5.6年の図工専科をしています。理科の授業が持てない分,仮説社から出ている『たのしい授業プラン 図工・美術』を手元において,たのしい図工の授業をしていきたいです。また,初任者指導担当という立場なので兵庫の東垣さんのマネをして「先輩教師の知恵袋」を出しています。
★北村 修(枚方市小学校2年)
転勤してサークルの中嶋さんと同じ学校になりました。新しい学校の給食のうどんは,中嶋さんの力でこしのあるおいしいうどんになりました。学年5クラスの大所帯ですが,北村さんが一番年上で,あとはみんな若い先生です。始業式の担任発表では,子どもたちは若い先生の方がよかった,という反応をしていたようですが,しばらくして,作文を書いてもらうと,北村先生はやさしくて,おもしろいということが書かれていました。教室では,マジックをして喜んでもらっています。
★笠井 亮(大阪電気通信大学・ルネサンス大阪高校 非常勤講師)
「理科教育法」の講義通信には,「出会いの授業」として<ブタンガスで楽しもう>のようすと笠井さんの願いが書かれています。講義で一番経験してほしいことは,科学の「たのしさ」を自分自身がたっぷりと体験するということです。そして,その「たのしく学んだ感動」を伝える具体的な方法・手だてを身に着けてほしいということです。講義に出ていた学生さんで,中学校の時に笠井さんが教えていた仮説を受けた学生さんがいました。そのときの授業書をファイルにとじて持ってきてくれました。
★雁金 隆(四條畷学園小学校科学専科)
再任用で科学専科として勤務しています。校務分掌は,防災担当などをしています。地震の心構えの合言葉は,「あかとまと」です。「あ」⇒頭を守る。「か」⇒火事を防ぐ。「と」⇒戸を開ける。「ま」⇒周りをよく見る。「と」⇒徒歩で逃げる。これは,多くの学校に広めたい「合言葉」ですね。
★岡部智子(高槻市小学校3年)
学級通信をずっと出し続けてきましたが,転勤した新しい学校では出せなくなりました。学年同一歩調のためです。岡部さんはいままでたくさんの学級通信を出して子どもたちと保護者とのつながりを大切にしてきましたが,大切なツールを奪われた感じです。参観日では詩「おおかみ」(谷川俊太郎作)を学年で統一してやりました。事前に打ち合わせをしていたのに,ある先生が, 最後のことばをあてる問題で正解の「うんこ」ではなく「くそ」と教えてしまったというハプニングがあって笑ってしまいました。その先生にとってはこの失敗はまさに「くそ~」でした(笑)。朝の連続小説で杉山亮さんの『峠の忍者』を読んだり,「さすらいのギャンブラー」をしたり≪足はなんぼん?≫をやったりと岡部実践は不滅です。
★室元昭雄(四條畷学園高校理科教諭)
「校外学習(遠足)に行ってきました!」という資料には,遠足での班づくりの苦労話が書かれていました。思春期の全員女子のクラスでのグループ作りも仮説実験ですね。生徒からはクラスラインにも入れてもらい,校外学習楽しすぎた,というコメントがとどいて安心しました。
★古川真司(岸和田市小学校特別支援)
4年目の教師生活がスタートしました。今年度も引き続き支援学級の担任です。一人ひとりの具体的な対応を考えるために夜の9時ごろまで学校に残っています。「愛着障害」の子どもが多く,そういう子どもにどう接していけばいいのか,日々考え実践しています。今度の参観では「分子模型」作りをするそうです。
★水口民夫(ルネサンス大阪高校理科非常勤講師)
プラン<発光ダイオード>の実験をしました。これは,笠井さんとの合作です。発光ダイオードが光を出す原理についてもっとくわしく知りたいと思っています。アリの体には「蟻酸」がありますが,そのことを青のリトマス紙が赤に変色することで確認しました。今年度は,電気と仲良くなること,アリの検索(同定)をマスターすること,「勝海舟」のプランをまとめること,などを考えています。ルネサンス大阪高校でのスクーリングは,昨年に続いて<あかりと文明>と今年度は「総合的な学習・探求」で「日本人の名字」(音田・淀井プラン)をします。
サークルの日の午前中に「巨大メガホン」の実験をしました。以前,飯盛山山頂と学園小学校との屋上間,約1キロメートルでは,はっきりと声が聴こえましたが,もっと距離をのばしたらどうなるか,という問題意識で,山頂から2キロ離れた深北緑地とでやりましたが緑地側は人の声にかき消されて聞こえませんでした。山頂側ではなんとかそれらしき声を聴くことができましたが,確証には至りませんでした。この実験は場所をかえて継続します。
板倉聖宣先生とともに歩んで
西村寿雄
私は1959年に小学校に赴任し、間もなく科学教育研究協議会(以下科教協)に加入しました。その後も続いて科教協の全国集会に参加していましたが、その時に初めて板倉先生の激しい口調の討論を耳にしました。仮説実験授業の趣旨をさかんに話されていた場面が脳裏に蘇ります。(この時、吉村証子さんの科学読み物研究会の構想も聞きました) 教育という仕事は、教師が子どもと共に創造的に構築していくものと考えていた私は、板倉先生の話は急には受け入れることはできませんでした。授業書というテキストで問題や予想選択肢も決められているのは安易な教育論と見えたのです。その後3年にわたって科教協の場で板倉先生に議論をふっかけていました。「教育には法則があるのです。教える内容や方法は思い付きでは成功しません」と言われても、すぐには受け入れられませんでした。ところが授業書には高度な内容が巧みに組み込まれています。やがて成城学園での仮説実験授業の授業を見て、子どもたちが嬉々として学ぶ姿にすっかり魅了されてしまいました。その後、仮説実験授業研究会に入ってたくさんの授業を実施しました。多くの研究会で板倉先生のお話を聞き先生の著書を読むにつれ、板倉先生の教育への深い思いに魅了されていきました。
話されている内容は高度でも、あくまで子ども中心主義で、授業の評価は子どもがするという評価観は当時としては異例でした。また、子どもの経験を大切にするという子どもの立場と教師の指導性を発揮するという教師の立場の矛盾を見事に授業書に結実されていることがわかりました。教育そのものの科学も構築されていました。
その後、仮説実験授業や科学読み物に関する話は板倉先生からたくさんお聞きしましたが、これらについてはあとでまとめます。それ以外のことで板倉先生から学んだことを少し書いてみます。
板倉先生は、科学は社会的なものととらえられ、だれもが科学を楽しく学べるように主張されていました。クラスが楽しくなり、学校が楽しくなり、人生も楽しくなる生き方論まで展開されていました。科学は社会的なものという板倉先生のお話を聞いていたので、私はあえて管理職の道も受け入れ、「楽しい学校」を心掛けたものでした。板倉先生の哲学論の中で、最もよくお聞きしたのは「党派性にとらわれるな」「押しつけの排除」「正義の怖さ」でした。人はえてして党派にとらわれて判断しがちです。「真理はあくまで仮説実験に基づく実験のみによって決まる」のであって、多数派が真理を決めるものでもない。少数派の意見にも大切な要素があることを指摘されていました。ちょっと理屈っぽくなりますが、板倉先生はしばしば仮説実験的認識論を熱っぽく語られていました。このあたりは『新哲学入門』(仮説社)に書かれています。私は〈ウェゲナーの大陸移動説〉を研究していましたが、板倉先生の認識論を聞いてやっと納得でき本にまとめたものでした。この話は『ウェゲナーの大陸移動説は仮説実験の勝利』として刊行しました。
私は退職して20数年、今も仮説実験授業に関する授業書作りや科学読み物にかかわって充実した毎日を過ごしています。板倉先生との出会いがあってこその人生です。陸鉄道に乗ってゆっくり鉄道旅をしたいと思っています。そして,来年は,大阪で初めて全国大会が開かれる可能性が出てきました。うれしいことです。(おわり)