長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『インクレディブル・ファミリー』

2018-10-04 | 映画レビュー(い)

映画は2004年の第1作目直後から始まるのに少しも古びていない。思い返せば『ダークナイト』よりも、『ウォッチメン』(実写映画版)よりも『シビル・ウォー』よりも早く己のアイデンティティに悩むスーパーヒーロー像を描いていた『Mr.インクレディブル』はマーヴェル・シネマティック・ユニバース全盛の2018年にいったい何を描くのか?ブラッド・バード監督の天才に裏打ちされた第2弾は普遍的な揺るぎのなさだ。

ヒーロー活動を再開して“職場復帰”するのは妻イラスティ・ガールで、夫Mr.インクレディブルは主夫として家事や子育てに挑むが、赤ん坊ジャックジャックは文字通り“怪物”で寝かしつけるのもままならない。前作で過去の栄光が忘れられずに悶々としたお父さんが今度は子育てであっという間に自信喪失してしまうのが可笑しい。Me Tooよりもずっと以前にバードはジェンダーの役割化を取っ払っていた。

 華々しくアクションを繰り広げるイラスティ・ガールがカッコいい。パワーしかスキルのないMr.インクレディブルに比べ、技の数も多彩で見栄えがいいのだ。『ミッション・インポッシブル/ゴーストプロトコル』『トゥモローランド』と実写作品を経てバードのアクション演出はキレを増しており、いつになく華やかなビッグバンドサウンドを奏でるマイケル・ジアッキーノのスコアも手伝って空席となった007監督の座をお願いしたいくらいである(007最新作の監督は現在、『トゥルー・ディテクティブ』のケイリー・ジョージ・フクナガが就任している)。

 大義なき戦いだったイラク戦争はアメリカに巨大な力の意味を内省させ、0年代のヒーロー映画群は何度も自らの持つ力について惑い、苦しんだ。そして弱きを助け、手を取り合うマーヴェルが主流となった今、バードは本作でスーパーヒーローを家族として再定義する。父の頑張りに気付いた娘の「パパはスーパーよ」という言葉の温かさ。スーパーヒーローは誰だってなれる。そしてあなたも誰かのスーパーワンであり、オンリーワンなのだ。


『インクレディブル・ファミリー』18・米
監督 ブラッド・バード
出演 クレイグ・T・ネルソン、ホリー・ハンター、サミュエル・L・ジャクソン、ボブ・オデンカーク、キャサリン・キーナー
 
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『インヒアレント・ヴァイス』

2018-09-12 | 映画レビュー(い)

アメリカ文学界の巨匠トマス・ピンチョンの『LAヴァイス』をポール・トーマス・アンダーソン監督(以下、PTA)が映画化した本作は近年の巨匠然とした傑作群から一転、サイケな70年代を初期衝動のままに実写化してくれるのではと予想されていた。おちゃらけた探偵ホアキン・フェニックスが富豪誘拐事件に挑むというあらすじからもPTAの師匠ロバート・アルトマンの傑作『ロング・グッドバイ』への本歌取りが感じられ、否が応でも期待が高まった。

だが、今さらPTAはそんな事をする必要はないのである。
編集で物語を作り上げていった『ザ・マスター』のコンテンポラリーさとは対照的に、ピンチョンの小説から一字一句を書き起こしたという本作は当時の風俗から女優の顔まで70年代スタイルを貫き、まるでアルトマンのいた時代に自分が映画を撮っていたらと追体験しているようである。『インヒアレント・ヴァイス』はそんな夢のカリフォルニアを幻視するハッパのような映画なのだ。ビーチの夜闇にネオンのようなタイトルが浮かび上がるオープニングの格好良いこと。そこにジョニー・グリーンウッドのアンビエントな音楽がゆったりと舞い降りてくる瞬間は儚く、美しい。

プロットがやけに複雑で脇道に逸れるのは主人公が薬漬けだからだろう。おまけに本筋に全く絡まないジョアンナ・ニューサムのナレーションが話を引っ掻き回す。『ザ・マスター』で苦悶に顔を歪めていたホアキン・フェニックスがここでは頭がトロトロに溶けた主人公をチャーミングに演じており、堪らない。これまでのPTA映画同様、キャストアンサンブルが最高で、タフガイなのにどこかゲイっぽいジョシュ・ブローリンや、変態歯科医役マーティン・ショートがホアキンと共に笑いを振りまいている。女優陣ではホアキンとの不仲説を一蹴するケミカルを見せたリース・ウィザースプーンもいいが、70年代顔のキャサリン・ウォーターストンが目を引く。この映画のために70年代からタイムスリップしてきたかのような容姿で、本作のムード作りに貢献しいる。

寡作の巨匠の1本としては戯れが過ぎるが、ファンなら何度もキメるべきだ。個人的には初期作のような奔放でエネルギーに満ちた現代劇もそろそろ見たいところだが。


『インヒアレント・ヴァイス』14・米
監督 ポール・トーマス・アンダーソン
出演 ホアキン・フェニック、キャサリン・ウォーターストン、ジョシュ・ブローリン、オーウェン・ウィルソン、リース・ウィザースプーン、ベニチオ・デルトロ、ジェナ・マローン、マーティン・ショート、ジョアンナ・ニューサム
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『犬ヶ島』

2018-06-03 | 映画レビュー(い)

誰にも真似できない、オリジナル過ぎるウェス・アンダーソン監督最新ストップモーションアニメ。
近未来の日本。メガ崎市では犬インフルエンザが蔓延、人への感染を恐れた行政はゴミで埋め立てられた離島へ全ての犬を送り、殺処分とした。主人公アタリ少年は愛犬スポッツを探してこの“犬ヶ島”にやってくるのだが…。

 オフビートなユーモア、アレクサンドル・デスプラが好投するすっとんきょうなスコア、そして細部までこだわり抜かれた美術という“アンダーソン印”はもちろん、とりわけ画面いっぱいにあふれる独自のジャパニーズフューチャーや、犬は英語、人間は日本語を喋るという奇妙な映画世界が楽しい。ボイスキャストには“アンダーソン組”の常連から特に美声の俳優が召集されており、ブライアン・クランストン、ビル・マーレイ、ジェフ・ゴールドブラム、エドワード・ノートン、ボブ・バラバンらデコボコ5匹組のやり取りはこの豪華面子を思い浮かべるだけで可笑しくてしょうがない。さらにはナレーションに『アメリカン・クライム・ストーリー』のコートニー・B・ヴァンス、ヒロイン犬にスカーレット・ヨハンソンと低音域のキャスティングが徹底されており、アンダーソンの耳の良さも楽しめた。

 そして今のアンダーソンにはパペットアニメが余技に終わらない、作家としてのスケール感が備わりつつある。前作『グランド・ブダペスト・ホテル』ではファシズムによって奪われた旧き良きヨーロッパへの憧憬が映画に奥行を与えていたが、本作でも彼は“同時代性”を見失っていない。メガ崎市は犬も喰わぬ汚職に染まり、メディアと政治家の扇動によって犬に対する排外主義が跋扈しているのだ。しかし少年と忠犬だけは(英語と日本語という言葉の壁すら超えて)厚い友情で結ばれている。この箱庭は一見ファンタジーのようでいて今の日本はじめ、世界そのものが映されているのだ。ウェス・アンダーソン、さらなるステージに立った。


『犬ヶ島』18・米、独
監督 ウェス・アンダーソン
出演 ブライアン・クランストン、コーユー・ランキン、エドワード・ノートン、リーヴ・シュライバー、ビル・マーレイ、ボブ・バラバン、ジェフ・ゴールドブラム、スカーレット・ヨハンソン、ティルダ・スウィントン、グレタ・ガーウィグ、コートニー・B・ヴァンス
 
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『インモータルズ 神々の戦い』

2018-04-19 | 映画レビュー(い)

版権料のいらないギリシャ神話に『グラディエーター』や『300』などの戦記モノを掛け合わせ、アメコミ風に仕上げる…そんなハリウッドの企画書が目に浮かぶような1本だが、飽きずに見る事ができるのは監督ターセム・シンによる独自の美意識の御陰である。名コンビとなっていた故石岡瑛子の衣装とターセムのシュールレアリスムが合致すれば、禍々しくも妖しいオーラが立ち上がり、目が離せない。このクセになるような中毒性は長編映画デビュー作『ザ・セル』から健在だ。

そんな映像世界には大見得を切れる役者が似合う。ギリシャ彫刻のような肉体美だが全く面白味のない主演ヘンリー・カヴィルは後に『マン・オブ・スティール』でスーパーマンに起用された。フリーダ・ピントは美の絶頂にあり、ミッキー・ロークも珍しく仕事をしている。そして全能の神ゼウスに扮したルーク・エヴァンスはオーラに満ち、意外なカリスマ性を発揮した。スローモーションを駆使したアクションシーンはザック・スナイダーよりもカッコいいぞ。

 ハリウッドはプログラムピクチャーに新風を吹き込むこの奇才をもっと尊重すべきだ。


『インモータルズ 神々の戦い』11・米
監督 ターセム・シン
出演 ヘンリー・カヴィル、フリーダ・ピント、ルーク・エヴァンス、ミッキー・ローク
 
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『イカロス』

2018-01-25 | 映画レビュー(い)

第90回アカデミー長編ドキュメンタリー賞ノミネート作。
自転車アスリートのブライアン・フォーゲルが自らを被検体として“果たしてドーピングは本当に効果があるのか?”と臨床実験を始める。モーガン・スパーロックの『スーパーサイズ・ミー』よろしくトンデモとしてスタートする本作だが、何の事はなくドーピングはさしたる効果を挙げずに終わってしまう。その過程でアドバイザーとして登場するのがロシアのドーピング検査機関所長グレゴリー・ロドチェンコフだ。彼の話によるとドーピングは容易く検査をくぐり抜けられるものらしい。

それからしばらくして、スポーツ界を揺るがす一大スキャンダルが発覚する。ロシアによる国家主導のドーピング事件だ。そのまさに実行犯として虚偽の検査を行っていたのがグレゴリーだったのである。スポーツ相の指示でやらされた事を告発した彼はフォーゲルを頼って単身渡米。だが身の危険は刻一刻と迫りつつあった…。

真偽のほどはともかく、プーチン政権の怖さは周知の通り。電波少年的バラエティ・ドキュメンタリーは緊迫のポリティカルスリラーへと変貌し、僕らは戦慄する。平昌五輪を前にした本作の時事性にも驚愕だ。

 しかしプーチンは疑惑を逃れ、主導的責任は闇に葬られてしまう。映画は偶発性だけに頼る事なく、オルタナファクトと歴史改竄主義が跋扈する今日、グレゴリーに対し個人攻撃を仕掛ける権力の欺瞞も暴き出す。それは世界との距離を知った主人公フォーゲルの成長の旅路であり、僕たちの目も見開かせるのである。


『イカロス』17・米
監督 ブライアン・フォーゲル
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