長内那由多のMovie Note

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『私、オルガ・ヘプナロヴァー』

2023-04-19 | 映画レビュー(わ)

 アメリカ映画史における重要な1本、1970年のバーバラ・ロウデン監督作『WANDA』から、カルト映画と言っても差し支えない2017年のエストニア産ダークファンタジー『ノベンバー』など、所謂“発掘良品”を相次いで公開している新興配給会社クレプスキュールフィルム。思わず手に取って帰りたくなるフライヤーデザインをはじめとした広告美術のハイセンスぶりも目を引く同社の最新作は、2016年のチェコ他合作映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』だ。23歳で絞首刑となった“チェコスロバキア最後の女性死刑囚”オルガ・ヘプナロヴァーが如何にして犯行に及んだのかを描く本作は、ベルリン国際映画祭のパノラマ部門オープニングに選ばれ、本国チェコアカデミー賞では主演のミハリナ・オルシャニスカが主演女優賞に輝いた。7年前の旧作ではあるものの、閉塞した社会主義国家で起きたこの事件から今日の日本が省みるべきものは多い。

 “プラハの春”から間もない1973年7月10日、オルガ・ヘプナロヴァーは路面電車を待つ群衆にトラックで突っ込み、8人を轢き殺した。彼女は中産階級の家に生まれ、両親からの無視と虐待、そしてレズビアンである出自によって孤立を深めていた。主演のミハリナ・オルシャニスカのパフォーマンスは鮮烈だ。背を丸め、始終タバコをふかし、ボブカットの下から世界を羨むように見上げては睨みつける。「私、オルガ・ヘプナロヴァーはお前たちに死刑を宣告する」と独白する犯行声明文の再現シーンといい、一世一代のパフォーマンスだ(オルシャニスカは現在、俳優から作家活動に軸を移しているようである)。自身をソシオパスと言うオルガは果たして怖ろしいシリアルキラーなのか?撮影アダム・スコラの冷徹なモノクロームが浮かび上がらせるのは、オルガもまた若さゆえに繊細で傷つきやすく、そして私達と何ら変わりない卑小な自尊心の持ち主であることだ。彼女は精神病棟での過酷なイジメを耐え抜くと、実家からの独り立ちを決意。掘っ立て小屋のような部屋で暮らし、運転手として生計を立て始める。相変わらず頑なではあるが、恋人もできた。むさぼるような愛撫1つを取っても彼女が愛に飢え、他者を求める強い情動を持っていることは明らかで、セックスシーンは濃密だ。そんな彼女が思い込みの強さと不器用さから恋人に捨てられ、世を恨んでいく孤独は痛ましくさえもある。この世界に自分の居場所なんて何処にもないと1度でも感じたことのある人なら、彼女を断罪することはできないだろう。

 しかし、賢明な監督トマーシュ・バインレブとペトル・カズダは観客の安易な感情移入を許すことなく、収監後のオルガの哀れな末路まで目を逸らさない。大量殺人を犯し、死刑になる“社会的自殺”を目論んだ彼女は刑執行の瞬間まで平静を保ったとも取り乱して命乞いをしたとも言われている。彼女の死によって社会は何が変わったのだろうか?オルガの死後も実家には冷たい空気が流れ続け、チェコスロバキアが民主化に成功したのはここからさらに先の1989年のことである。


『私、オルガ・ヘプナロヴァー』16・チェコ、ポーランド、スロバキア、仏
監督 トマーシュ・バインレブ、ペトル・カズダ
4月29日シアター・イメージフォーラム他、公開

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