長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『私のトナカイちゃん』

2024-08-25 | 海外ドラマ(わ)

 2024年上半期、Netflix最大の話題作は無名の新人による小さなTVシリーズだった。1989年生まれ、今年35才のリチャード・ガッドはお笑い芸人を目指していた。シニカル過ぎる笑いは箸にも棒にもかからず、パブでバイトを続けるうだつの上がらない日々。そこへ1人の女性客が現れる。周囲から見ても明らかなほど落ち込んでいる彼女は、パブに来たにもかかわらずお酒を飲む金すらない。見かねたガッドが温かいお茶を差し出すと、気を良くした彼女は身の上を話し始めた。名前をマーサといい、仕事は弁護士で、クライアントは政財界の大物ばかりと言う。しかし身なりはとてもエリートとは思えないみすぼらしさで、顧客と撮った写真は雑なコラ画像だ。パブで隣り合えばすぐにも席を立ちたいところだが、ガッドは自分に向けられたマーサの好意が心地よく、親切に振る舞ってしまう。それが恐ろしい事態の始まりと知らずに…。

 リチャード・ガッドがエジンバラで演じた1人芝居『私のトナカイちゃん』を原作とする本作は、彼の身に起きたストーカー被害が基になっているというが、扇状的な触れ込みに目を眩ませてはいけない(そもそも主人公の名前もドニー・ダンだ)。ガッド自ら手掛けた脚本は類稀な構成力で作劇され、物語の印象を180度変えてしまう第4話はTVドラマ史上類を見ないツイストである。

 それでいて当事者にしか筋の通らない、生理的ニュアンスが随所に散りばめられているのがユニークだ。視聴者誰もが「マーサに近づいてはならない」と思うところだが、ドニーは彼女からのFacebook申請を承認してしまう。はたまた執拗な彼女の気を逸らすために、なぜかトランスジェンダー専用のマッチングアプリで恋人を探し始める。視聴者には違和感として付きまとうディテールが、第4話を挟んで重要な伏線であったことが明らかになるのだ。そのテーマは重層的。都市における孤独、現代人の承認欲求、そして…大手芸能事務所の性加害が社会問題となった本邦でこそ多くの人が目にし、議論すべき作品だろう。

 マーサ役のジェシカ・ガニングは一見、親しみやすさを感じさせるものの、ひと度豹変すればふくよかな体型には暴力性すら宿る。劇中、度々挿入されるマーサのテキストメッセージは本作で最も背筋が凍る瞬間の1つだ。ガラケーしか持っていない彼女はしきりに「iphoneから送信」と末尾に書き込み、誤字脱字だらけの文章からは狂気が滲み出す。マーサのモデルとなったと言われる女性が「本当の私はあんなに醜くない」と声明を発表していることも、『私のトナカイちゃん』の恐ろしい後日談である。


『私のトナカイちゃん』24・英
製作 リチャード・ガッド
出演 リチャード・ガッド、ジェシカ・ガニング、ナヴァ・マウ、ニーナ・ソサーニャ

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