※このレビューは物語の重要な展開に触れています※
マーヴェル・シネマティック・ユニバースがTVシリーズ展開すると聞いた時、これはディズニーの配信プラットフォーム“ディズニープラス”のための経営戦略で、せいぜいファンサービスのためのスピンオフだろうとタカをくくっていた。先行する『エージェント・オブ・シールド』やNetflixで配信された『デアデビル』ら“ザ・ディフェンダーズ”の成果を思えばムリはないだろう。だが同じくディズニープラスでリリースされた『スター・ウォーズ』シリーズのスピンオフ『マンダロリアン』の完成度に、「これはMCUのTVシリーズもタダごとでは済まないぞ」と期待が高まった。
コロナショックによりフェーズ4第1作『ブラック・ウィドウ』の劇場公開が延期となり、当初発表されていた順番を繰り上げて配信されたのが『ワンダヴィジョン』だ。舞台は1950年代風の郊外住宅地。そこにワンダとヴィジョン夫婦がやってきて…となんとモノクロのシットコム番組“ワンダヴィジョン”として始まる。撮影も観客を入れて、ナマの笑い声を取り入れるという手の込みようだ。『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で悲劇的別れを遂げたワンダとヴィジョンがおしどり夫婦として実に楽し気な新婚生活を送っており、演じるエリザベス・オルセンとポール・ベタニーもいつになくキュートな表情だ。ところが、このシットコム“ワンダヴィジョン”を見ている誰かがいて…。第1話にはこんなセリフが出てくる。「君らの物語はなんだ?」。大団円の『エンドゲーム』後、MCUの野心的で力強い再始動宣言だ。
【ストリーミングというナラティヴ】
『マンダロリアン』同様、『ワンダヴィジョン』もまたPeakTVのナラティヴでマーヴェル・シネマティック・ユニバースを語り直している。『奥様は魔女』をはじめとした往年のTVドラマシリーズの引用、シットコムという仮想世界における運命と自由意志…『ラヴクラフトカントリー』をはじめとする近年のTVシリーズ群と同じように、膨大な数のコンテクストで埋め尽くされているのだ。何より“劇中TV番組”は『GLOW』や『アンブレイカブル・キミー・シュミット』、そして『アトランタ』でも使われたPeakTVのトレンド演出だ。
第4話、ついに物語は大きく動き始める。物語は突如、“ワンダヴィジョン”から飛び出し、なんとサノスの指パッチンで消滅した人々が、再びインフィニティストーンの力によって復活する場面から始まる。蘇った人物の名はモニカ・ランボー。『キャプテン・マーベル』に登場したマリア・ランボーの娘だ。『ワンダヴィジョン』はスピンオフではなく、フェーズ4の本流だったのだ!
…と言われても、よほどコアなファンでなければモニカ・ランボーと言われても「アンタ誰?」とピンと来ないだろう。それでも、すぐさまディズニープラスのアーカイブにアクセスすることで『キャプテン・マーベル』を参照する事ができる。これまで直線的に物語を進めてきたMCUが、ディズニープラスによってノンリニアのストーリーテリングを手に入れている。次々と新たなナラティヴが模索されてきたPeakTVだが、これは異色中の異色だろう(新鋭テヨナ・パリスが演じるモニカは今後のMCUにおいて重要キャラクターになりそうだ)。
【レギオン】
エリザベス・オルセンは本作について「メンタルヘルスを描いた作品」と言及している。ワンダが原作コミックでは『X-MEN』の出身であること、“wandavision”という仮想世界が舞台になること、そして愛するヴィジョンを失い、精神のバランスを崩した主人公の視点で描かれることからも、FXで放送された『X-MEN』シリーズのスピンオフ『レギオン』を連想せずにはいられない。
『レギオン』はX-MEN創始者プロフェッサーXの息子であるデヴィッド・ハラーが、脳内に巣食った悪のミュータント“シャドウ・キング”によって統合失調症となり、精神世界“アストラル界”で戦いを繰り広げる。奇妙キテレツなストーリーテリングと映像センスがさく裂したカルト作が、『ワンダヴィジョン』の重要なリファレンスである事は間違いないだろう(もっとも、あれほど振り切れた演出をやってはくれないのだが)。ショーランナーのノア・ホーリー自身、マーベルスタジオ社長ケヴィン・ファイギに対して「僕はマーベルの研究開発部門だ」と言ったとか。何より、20世紀FOXの買収によってX-MENの映像化権を取り戻したマーベルスタジオが、エヴァン・ピーターズ演じるクイックシルバーを登場させている事からも、FOX吸収後の財産をさっそく活用していることは明らかだ。
【TVに夢を見て】
第8話で物語はワンダの心の最深部に到達する。内戦の続くソコヴィアで育った幼少期、ワンダの楽しみは父が持ち帰るアメリカ製TVドラマの海賊版DVDだった。家族で『ディック・ヴァン・ダイク ショー』を見ていた団らんのひと時、一家をミサイルが直撃、両親は息絶える。ワンダとピエトロはリビングに突き刺さったスターク社製の不発弾に脅えながら、ソファの下で何日も何日も過ごしたのだ。彼らの視線の先には壊れたTVがなおも『ディック・ヴァン・ダイク ショー』を映し続けており…。
なぜTVドラマなのか?
『ワンダヴィジョン』はTVドラマというフォーマットである意味をとことん掘り下げていく。『シビルウォー』での過失により、自宅軟禁状態にあったワンダを救ったのもまたTVドラマだった。TVはヴィジョンとの間にこれまで感じたことのない温かな空間を生み出していく。連帯と破壊をもたらすアメリカ・グローバリゼーションへの愛憎を描いたこのエピソードは、シーズン随一の傑作回である。エリザベス・オルセンもブレイク作『マーサ、あるいはマーシー・メイ』以来の名演を披露し、MCUはようやく彼女の才能に報いた。
【続きは映画館で】
ケヴィン・ファイギは「TVシリーズを見ていなくても映画は楽しめる」と発言している。マーベルのことだから、そこは絶妙なバランスで設計をするのだろう。しかし『ワンダヴィジョン』を見た僕たちはもう元には戻れない。ワンダの深い哀しみを知った以上、ワンダが再登板するドクター・ストレンジ第2弾『Doctor Strange in the Multiverse of Madness』は、おそらくありとあらゆる行間から彼女の孤独、そして怒りを読み取ることになるハズだ。今後、『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』や『ホークアイ』が控えていることからも、映画では描き切れなかったキャラクターの心情をTVシリーズで掘り下げていくことが予想される。マーベル・シネマティック・ユニバースのTVシリーズは、映画で描かれる物語をさらにエモーショナルに深化させる、新たなナラティヴなのだ。
『ワンダヴィジョン』21・米
監督 マット・シャクマン
出演 エリザベス・オルセン、ポール・ベタニー、テヨナ・パリス、ランドール・パーク、カット・デニングス、キャスリン・ハーン、エヴァン・ピーターズ
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