アンソニイ・バージェス著 乾信一郎訳 早川書房 ハヤカワ・ノヴェルズ(現在販売中なのは文庫)
1962年の作品で、私の手元の本は昭和46年の早川初版である。
この頃で500円というのは結構高価であったろう。今では見られるかどうかわからないが、糸で縫い付けてある本だ。比較的良い紙を使っていたのだろう、他の文庫などと比べると紙焼けもしていない。例によって私の書き込みがしてあるのが邪魔臭いのであるが。
はっきり言って内容は覚えていなかった。主人公の行動や考え方に怯えた事しか記憶にない。ところが今回読み直してみると、結構感情移入してしまう。「うん、そうだな。こういった立場ならこうなるかも…」
暴行、強盗、殺人(事故)、監獄、矯正、政治利用、飛び降り
どれも記憶になかった。読み返してこういった作品だったのかと確認し直した。
言葉と構成が非常に面白い作品である。
月に人が住み着く未来の話とされているが、ちっともそれを感じる事がない。人々の生活は現代の我々となんら変わらず、荒れた都会の若者たちの表現はそのものである。
主人公アレックスがクラシック音楽や聖書に興味を示すが、その動機が性的、暴力的興奮にあるというのが説得力がある。クラシックは刺激的、官能的であり、聖書には暴力的なシーンが数々ある。それを隠す教育は嘘臭い。作者がどういう意図で書いたのかは知らないが、そういう側面を指摘する姿勢が好きだ。
ルドビコ法による矯正改心、それにより道徳的選択力をなくし非行をやめる。
「善良になるということは、ぞっとするほど嫌な事かもしれない」
その目的は、犯罪を減らす事だけ。
「人間でない、何か別のものに」
「自由」を取り戻したはずのアレックスは最後でまた、「サイン」をしてしまう。なぜだ?
我々も社会の中で、自分の意思とは関係ない多くの制約を受けている。我々はその中で生きるために、無意識に多くの「サイン」をしているのではないだろうか。
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ちょうどこの本が出版された頃映画化され、さらにリメイクされているはず(記憶違い?)である。どの作品を観たのかわからないが、「なんて下品でできの悪い作品だ」と思った記憶がある。
だが、読み直した今、映画を見たら、違う感想を持てるかもしれない。わざわざ探しはしないが、DVD(ビデオ)を見かけたら借りてみよう。
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和田慎二先生の「時計じかけのオレンジ・ジャム」(1993年)がamazonの検索に引っかかった。もちろん読んでいない。