「ベルリンからの手紙」【放射能は国境を越えて】山本知佳子 1989八月書館
チェルノブイリ原発事故後、ヨーロッパ(西ドイツ)の様子
不安だが普段と変わらぬ生活
親たちのグループによる自主的な防御活動、測定・情報センター、全国的ネットワークへ
当事者ほど、被害が大きいほど、信じたくない知りたくない
拡大するデモ、でも、生活者の関心は続かない
動かぬ国に、自治体や親たちが子どもの環境改善(洗浄)
一時避難・退避できても、安全な場所にいる喜びはない。再び戻らねばならないのだから。
ほとんど汚染食品に囲まれ、選択の余地が減っていく。
汚染の軽い場所の人間の当たり前な選択も、その余地のない酷い汚染地域の人たちに重く圧し掛かる。
汚染を認めたわけではなくても、それしかなければ”日常”になっていく。
「新聞で目にする数字って、気温、株式市場だったけど、この頃はベクレルばっかり」
常に目にする高い値に麻痺する感覚
『核燃料リサイクル』ならぬ『放射能汚染リサイクル』、汚泥が肥料に(なったのか?日本2011は農水省が認めてしまったが)
皮膚の発疹
死産・出産障害
政府の事故隠し、『安全』PR、ストロンチウムとプルトニウムのデータ出さず
一部の食品を除いて「安全宣言」(6月7日、事故から40日くらい)
自国の放射性漏れ事故をチェルノブイリ事故の影響とごまかす
経済配慮で上がる制限値(基準値・規制値)
原発推進の姿勢変わらず、電気が足りないと騒ぐ
『安全な原発』の建前で非合理な法律制定、調査とコントロールを求める意見を悪用して管理の強化に。
新法を盾に、反原発グループの全国会議の禁止、開催予定地の警官による包囲、国による調査・情報発信の独占(州によるコメントも禁止)
ECまでもが「チェルノブイリの影響はヨーロッパにほとんどなし」と嘘を。(8ヶ月)
責任の擦り付け合い、どうすべきか誰も知らず(判断できず)
次の事故を見越した(?)制限値の引き上げ(責任逃れ、経済優先)
汚職や不正の発覚で、関連会社の解体~実質生き残り
海外(日本)からの土壌調査情報 ’86年7月15日毎日新聞(京大小出助手(当時))
放射性物質希釈牛乳
東欧諸国・第三国に回る(押し付ける)汚染食品
牧草、トルコ茶(日本茶でも見つかっていた)~当然タバコもかなり汚染されているはず?
制限値など守られていない実態
文化を破壊された人々は、支援や補償があっても救われない。
消えた汚染物質(食品)~(他の放射性廃棄物と一緒にソマリアの海へ?)
「(長崎・広島では)日本は味噌で放射能から身体を守った?」~デマ
日本人はヨーロッパ旅行取りやめ
ジェット戦闘機による低空飛行訓練、原発近くに落ちまくり(きゃー!
反原発、脱原発のためには、やはりデモはほとんど効果がない。政府はただ無視するだけでいいのだから。そうしているうちにだんだんと市民の関心は薄れていく。『汚染は上がる一方、関心は下がる一方』
タイミングよく不買運動にリンクしていかなければならない。東芝、日立、三菱か。
政府(国)としては、これまで補助金漬けにしてきたのと同じように、被災地を思い切り補償金浸けにして骨抜きにする。脱原発運動は少しずつ大きくなっていったとしても、国民的な関心はどんどん失われていく。少なくとも、次の選挙まで何とか関心を持ってもらいたい。
たぶん、この頃と今の西ドイツは大きく変わっていると思うのだが、逆に日本のお粗末さが際立つ。
それにしても、「ベルリンの汚染なんて可愛いもんじゃん」と思ってしまう麻痺した自分も発見。それだけ日本の現在が酷いということだ。
福島からも監視の行き届かない部分で、かなりの汚染物質が海外に出て行くんだろうな。管理する能力はどこにもないだろう。
ヨーロッパはまだかなりの汚染を残したままのはずですよね。たった25年しか経っていないのだから。
でも、日本で見るヨーロッパはもうそんなイメージはないですよね。どうなっているのだろう。
370ベクレル/kg(チェルノブイリ後、福島前までの(輸入)暫定規制値)以下の食品はどんどん入っていたんだろうな。いまもきっと。もしかしたら、まだ日本の食品の方がヨーロッパよりも汚染は少なかったりするかもしれない。福島などを除いて。データを全開示すれば、何か面白い発見があるのではないか。
いつになったら止める勇気を手にするのか。最悪の事故が起きる前か、次の事故が起きてからか。新たな被曝者は増え続けている。