京極夏彦の「オジいサン」で地デジだのケイタイだのと老人の考察(思い)があったりする。まったくだ。
金を払っていて映らぬ道理はない。
こんなに真面目に受信料を払っている人間の許に公共の放送局が電波を送らないなどという理不尽はない。
京極夏彦の「オジいサン」で地デジだのケイタイだのと老人の考察(思い)があったりする。まったくだ。
金を払っていて映らぬ道理はない。
こんなに真面目に受信料を払っている人間の許に公共の放送局が電波を送らないなどという理不尽はない。
なんてこったい!
「テンペスト」の第一回がNHK総合で放送されるので、全部総合で見られるのかと思ったら・・・BS拡大戦略か!「つづきはBSで」ってNHKのくせにあざとい!ま、まあ、私は明日からBSで毎週予約したんですけどね。
BS契約していない人のどれくらいが憤っているだろうか~
さあ、第一回はわかりやすくまとめてありましたね。龍も見える人に見えるって~
あああ、この状況からお笑いに変わっていく過程が楽しみです。
ちゃんと楽しい演出をしてくれるのでしょうか。
それとも全体の雰囲気はそのまま深刻にしていくのでしょうか。
我々の現在の社会のなかの価値観からは理不尽と感じられることがさらにはっきりと描き出されるのだろうか。
真牛様(聞得大君)はそのお笑いパワーを見せてくれるのか!
あああ、だんだん楽しみになってきた。
#02(2011-07-24)
#03(2011-07-31) いろいろとずるいなーwww
~#10 うん、原作を思い出しながら、闘鶏がないこととウーチバラのせめぎ合いのリズムがないことを残念に思ったぞ。
なんといっても真牛さまの面白さがほとんど出ていないのは悲しいことだ。
それなりに評価するけど、ちょっと物足りず!
2011年07月23日(土) NHKニュース7
内部被曝検査は内容がよくわからないよう。なんだか怪しすぎる。
きちんと国民を安心させるつもりならば、もっと詳しい説明が入るはずだろう。
710ベクレルと言うのは全身の全量か、それとも710ベクレル/kgなのか。710ベクレル/kgだとすれば、その人間の肉は市場への出荷停止ですね。もしくは尿検査の尿で710ベクレル/kgだとしたら・・・身体はもっと高いだろうね。でも、そうなると1ミリシーベルト未満にはならないから、やっぱり全身に710ベクレルかな。体重71kgの人だと仮定したら、10ベクレル/kgか。
っていうか、尿検査で出たなら、もっと精密検査をしなきゃだめじゃないの?精密検査した結果なの?
「頼むから静かにしてくれⅠ・Ⅱ」レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 2006中央公論新社
あああ、そうなのか。
「情けない男」を描いているのか。
文学ってよくわからない。
でも、嫌いじゃない。
ついついね、サスペンス風に読もうとしてしまいますね。
『でぶ』・・・この先ストーカーになって殺人事件が~起こりません。
『隣人』・・・『他人の身になってみること』へとつづき、信頼のこじれから殺人事件へ~
『人の考えつくこと』・・・自分の奥さんを覗いていたら~家の外には奥さんのストーカーが見張っていて、殺人に~
『そいつらはおまえの亭主じゃない』・・・
もうね、ほとんど殺人事件につなげようとしてしまい、
『鴨』なんて、主人公が人殺しをして帰ってきたのかと思っていたよ。だから遠くに行こうとしていたのではないのかと。また、その終わり方からすると、外には警察か何かの組織がやってきたと思ったのに。
なんか、違うみたいね。
『サマー・スティールヘッド』なんて、公害か放射能汚染で畸形の魚がとれたのかと思ってしまったじゃないか。
2011年07月22日(金) NHKニュース7
民主党も困るが、自民党も相変わらず嫌だという気持ちは変わっていない。
2011年07月21日(木) NHKニュース7
全てがそうだ。
菅さんの逃げの答弁の所為で全てが停滞していく。
菅さんには何か戦略があってそうしているのか?
ただ単に揚げ足を取られるのを嫌がって言質を取られないようにしているだけだとしたら最低だ。
自分の責任と言うことについては、いろいろなところで認めているじゃないか。
答弁もそれを前提にしたはっきりした形ですればいいだけ。
「私が決めた。私の判断だ。何が悪い」
そうはっきり言ってほしい。
国会もすっきりさくさく進むだろう。
その上で解散なり何なりしちゃえばいいのに。
選挙をやればまた4年間延命できるよ~
ギャンブルだし批判は大きいだろうけど、いまなら”脱原発”だけで勝てるかもね。
昼からの海外への原発輸出への態度からすると、菅総理は八方美人で上手く乗り切りたいというなんとも都合のいい考え方をしているようだ。そこを原発推進の自民党に上手いこと突っ込まれてしまうのではないですか。
もうね、理屈や理論を放棄して、気分でやってますと開き直れば楽になるよね。
2011年07月20日(水) NHKニュース7
2011年07月19日(火) NHKニュース7 時間延長
台風が来ると眠くなるのは
2011年07月18日(月)海の日 NHKニュース7
窓の外を若い痩せ気味の猫が私の存在を無視して余裕で歩いている。
バットや竹刀があれば届くくらいの距離だというのに。
私のことは無視をする白黒の牛猫ですが、蝶々の動きには反応しました。
身をよじって思いっきりジャンプですよ。
うわ、いいもの見た。
録画(撮影)できればよかったのに。
「鏡のなかの鏡」ミヒャエル・エンデ著 丘沢静也訳 1990(1985)岩波書店
うわ、めんどくさくて面白い。
あの世、死後の世界やら転生やら高次の世界ってところだろうかね。
それらは一般には不安もなく静かで穏やかな世界として認識されることが多いが、この作品の中では不安と苛立ちの中で過ごす一種の地獄のように描かれる。そっちの世界に行っても、人はさらにモノを知らずモノが見えずに苦しむ。生まれ変わるのはそう簡単であるはずがないと考えれば納得だ。
まあ、そういう読み方が正しいのかどうかわからないが、作品は自分を映す鏡だったりするわけで、死後の世界に期待し過ぎてはいけないと思うので、まあ、悪くないんじゃないだろうか。
4節の「駅カテドラル・・・」では金を抱えた乞食たちと金でできた建物、子供用の棺にも札束が詰まる。それはなにか「モモ」と同様にアニメ「C」を思わせる。「金は全能」「金は神、信仰」そして、「富は自分自身の将来の利益からやってくるのだ」
オカルトで盲目的な高次世界の存在は認めたくないが、多くの人が求めるということが「ないものを求める」行動なのか、「あるから求める」行動なのか、そういったものの存在もいつかは科学で解明される日が来ると感じ、その日を信じるがゆえに、そういった世界があったほうが嬉しいと思う自分の予感を信じたい。
それにしても、この作品を何も知らずに手にしたなら、最後まで読み通す自信はない。「モモ」の解説を読んでいたからこそ、それなりに楽しめたのだろう。一応、宝物的作品として記憶しておこう。
2011年07月17日(日) NHKニュース7
なでしこの決勝も8時間あまりですが、なでしこと聞くとナデシコを毎回思い出します。
久しぶりに見たいな。バンダイチャンネルで見ちゃおうか。
時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間に とりかえしてくれた女の子のふしぎな物語
「モモ」ミヒャエル・エンデ作(1973) 大島かおり訳 1976年岩波書店
「あんなに大きいなんて」
ミヒャエル・エンデですよ!「事務ボタン」とか「はしたない物語」「ジムボタン」「はてしない物語」の!(父親エドガー・エンデ(画家))
あれ~・・・読んだことがあるような気がするんだけど、全然覚えていないぞ。読んでなかったのか。
いや~、アニメ「C」を連想しますね。《時間金庫》とか、時間を取り戻すところなんて、輪転機逆転に相当するんじゃないですかね。それによって未来(生きた時間)を取り戻すんですから。
ああ、そうなんだよ、臨死体験とかを連想するんだよ。死後の世界とかあっち側ね。
導師とかアシスタントとかパートナーとか連想して、なんだか怪しいにおいがしてきますな。
「シュタイナーの世界観を地下水として「モモ」を読む」子安美知子 1987学陽書房
アントロポゾフィー!とろっとした餡かけポゾフィー・・・美味そうですね。
いやはや、わかりやすく難しい世界を紹介してくださいますね。
でも、なんだか肌に合わなくて気に食わないんですけどね。
もう一冊、これはおまけで読んだけど、タイトルを小学生と間違えていないか?
「中学生と「モモ」を読む」西村敦雄 1996近代文芸社
この人の本はこれ一冊なので、たぶん売れなかったんだろう。どういう人かwikipediaにもないしね。学校の先生か教育関係者か、文科省関係の人だったのかね。いや、それだったらもう少しまともなものを書いて、他の本も書いただろう。なんかね、【本文引用文献】として子安美知子訳の『モモ』(朝日新聞社)を使っていると表記されているのに、その本が検索しても出てこない。新聞連載だったのだろうか。いや、たぶん、子安さんの「「モモ」を読む」のことを言っているんじゃないだろうか。後に朝日文庫で出ているらしいから。そうなると、元の「モモ」は果たして読んでいるのだろうかという疑問が湧いてくる。だって、この本(「中学生と・・・」)はあまりに表面的に軽く作ってあるんだな。いや、ここまで軽くつくってあると、逆に子安さんの本は読んでいないと考えた方がいいのかもしれない。本の目的が違うんだろう。中学生であればこんな単純な発想の教え方はしないのではないか。逆に、この本があまりに表面的な軽い扱いであることで、中学生たちが深読みするように誘っているのではないかと思えてくる。それは深読みしすぎか?
まず、「モモ」を読んで灰色の男たちに肩入れする。男である必要があるのか。女もいてもいいのでは?だって、彼らを生み出す人間には男も女もいるのだから。そして、彼ら同士でも生殖活動はできるのではないか。ただ、彼らは時間を無駄にしたくないので、他の人間(こども)に分け与えようとはしないだろう。だから、彼ら同士での小作りは考えにくい。でも、時間がたっぷりある状態であれば、それも可能になっていくのかもしれない。また、人間との間に子供を作れば、その子供には時間が与えられるだろう。ならば、そうして自分のために時間を生み出す子供をどんどんつくろうとしないだろうか。・・・ま、そういう存在ではないんだな。
《相手の話を聞く能力》モモの最大能力ですね。そして、存在価値。または正体。(かな
事実そのものに語らせる。全てを見抜く力。
先を急ぐ生き方の戒め
でも、その解説自体はあまりにも一方的な価値の押し付けなんですよね。作品は作品として楽しむべきです。だって、その点を討論したら、分業によって全体が豊かになって余裕のある人も多いんじゃないですかって言う反論を受けるわけですよ。また、そういうあくせくした生き方が好きな人だっているだろうし、町から離れるという選択肢もあったりしますよ。
ジジとベッポの対比も人間対灰色の男たちの構造、物質優先社会を示しているわけですが、それは過去と未来も表しているってか。
なんかね、否定的に取り扱っている社会が、わたしにはとても魅力的に見えてしまうんですよね。時間を取り戻した世界よりも、灰色の男たちに支配されていた方が素晴らしい発展した社会。ただ、心理的な部分について言えば、灰色の男たちが時間をぬすんでいる限り幸せではないだろうな。そういう世界で時間をぬすまれていない人間こそが幸せじゃないか。あれ、逆搾取構造になって、ニート天国じゃないのか。うわ、それでか。
「人生で一番危険なことは、かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ」
海を行く《冒険ごっこ》もジジの作った《女帝の話》も原発行政を思わせて面白いですね。前者は原発廃止(化け物退治)の話であり、後者は正体も知らずに原発推進していく物語ってね。
時間金庫の入り口には「きわめて危険につき、許可のない者は立ち入り厳禁」とあるわけで、そういう場所というのはたいてい悪者が何かを隠していると思われるのだな。そう、まるで原発の敷地内だよね。あそこはきっと《時間金庫》が隠してあるんだよ。
「「モモ」を読む」でも学者について「学問に情熱を注ぎ業績を残すが、自身の身を投じて体験はしない」なんて書いてあるのも、マスコミに登場する原発の専門家を見ていると納得です。
スペースシャトルの爆発やチェルノブイリ事故があってもまだ、技術上の欠陥を調査し科学的万全性を目指す姿。あああ、フクシマも結局、歴史的視点から見るとそうならざるを得ないのだろうな。ただ、生活者の環境だけは守っていかなければならないはずだ。
横道にそれて《進化》について問われると、この「モモ」の世界の灰色の男たちの存在も、放射性物質をばら撒く原発や原爆の存在も同じように何かの意味で必要なものということもできるかもしれない。それは、この作品で感じるべきことなのだろうか。なんだか、解説を読んでしまったがためにそのあたりはわからなくなってきてしまった。また時間をおいてから「モモ」を読む機会があったら、その時は絶対に「「モモ」を読む」は読まないぞ。
時間は人生、時間の境界線はあの世との境、お花畑とか三途の川ですね。
《星の時間》ってなんだろう。気付きだとして、つまり、それは必ずしも気付くべき事象があってから時間制限があるものではないだろう。生まれた瞬間のことを死ぬ瞬間に気付いたりすることがあったとしても、それも一つの重大なひらめきの瞬間、事象が起こった瞬間に気付くのと差はなかったりするかもしれない。一応死んだら時間を逆に回って生まれ変わることになっているのだから。
マイスター・ホラ(時間)というのは、「出かけるまでもないからね」「なんでも見えるめがねを持っているんだよ」って・・・ひきこもりか?
解説で気持ちが悪いのは、ライブ(身体)にガイスト(精神)とかゼーレ(魂)とかをわからないけど絶対視しているからなんだな。(心はヘルツ)
わたしは否定するよりも、それらもいつかは科学によって存在が証明されるものとして考える。それならば話が聞ける。神秘的にしておきたいというような態度は、情報隠蔽して「安全だ」「ただちに健康に被害はない」と騙そうとしている姿と重なってしまうのだ。
子安さんってば、割と最初の方でモモの聞く能力の解説で「行」の話をしておきながら、自分はそれをできていない姿を晒している。まあ、こういう本を書いたり、その前に研究をする時点でその行は行えないというジレンマもあるだろう。
シンパシーとは、ゼーレとゼーレが引き合って~逆はアンチパシー
睡眠は死の兄弟
モラーリッシュ・ファンタジー・・・直感的判断?
灰色の男たちの詭弁。反論を許さない立て続けにまくし立てられる一方的な論理展開。途中に問題となる破綻(矛盾・問題点)があっても、言葉としては筋が通っている。そのために最後までいってしまうと、または都合のいい部分で区切って確認する限り、問題はないかのように見えてしまう。そして、それによって納得したように勘違いしてしまうのだ。
日常 テレビ愛知、京都アニメ(うふっ
日常は日常じゃない。見てて嬉しい。
どこから見ていたっけなー・・・第4回くらいからかな~最初から見たっけ?まさか、ずっと見ることになるとは思わなかった。
しかし、こういった作品で1クールにしないのは漫画の方でよほど人気があったんだろうな。それともいいスポンサーをつかまえたのか。
#14(2011-07-03) なの学校へ!存在した囲碁サッカー部(っていうか、お金持ちならそれくらいの情報収集しろよ)
#15(2011-07-10) 期待を裏切らない。期待以上にもならない。
#16(2011-07-17)
#17(2011-07-24) あれ・・・始まり方がまるで最終回・・・え?どうした?
なんか、ストーリー的な進展がありそうだし・・・囲碁サッカー部、顧問が決まったみたいだし。
#18(2011-07-31)
#19(2011-08-07)
#20(2011-08-14)
#21(2011-08-21)
#22(2011-08-28) いろんな方向へ広がっていますが、サンタのプレゼントがメロンパンは遺憾です。同感です。
犬にかまれましたが、マンガで良かった。悲惨でグロテスクな状況がおだやかな(?)映像で処理されています。
#23(2011-09-04)
#24(2011-09-11) 日常のラブコメ「もしも~し、ゆっこさ~ん」
冷た攻撃は、受けたい!
#25(2011-09-18) ううう、来週最終回、うるる。
#26(2011-09-25) ハッピーエンドとか関係なく、いつまでも続いていくのが日常だ!
NHKで学園生活を中心に12回に編集して放送~(2012-01~03)
「日常とは奇跡の連続だ」