
(プラタナスが黄葉してる。)
ブログを書こうと編集ページを開いたら、「今日は七五三です。思い出を書いてみましょう。」と書いてあった。
思い出すままに書いてみよう。
ねこ吉の七五三は、4歳と5歳でしたようだ。
写真館で写した写真が残っている。
もちろんモノクロ写真だけど、着物の地色はピンク。
大きな菊は白や紫だった。
おかっぱ頭には大きなリボン、手には千歳飴。
4歳は肩上げ、腰上げに埋もれていたような・・・。
隣に住む西井のオバさんがお祝いにくれたコッポリを履いている。
「コッポリには、畳が敷いてある。」
と思った。
今でもコッポリの形状、色が頭に浮かぶ。

子供達の七五三は・・・。
娘は3歳と7歳でした。
3歳は、お宮参りの着物の袖をお祖母ちゃんが縫ってくれて、上から赤いビロードの被布を着せた。
髪の毛は短かったのでカノコのリボンをつけただけ。
7歳の七五三は、いささか慌ただしかった。
確か、10月末に松戸の八柱というところから、3つ先の駅元山に引っ越して、11月1日に娘は転校した。
お祖父ちゃん、お祖母ちゃんが、引っ越した家を見がてら、七五三にやってくる。
七五三は土曜日で、翌日の日曜日はバレエの発表会だった。
着物はねこ吉の真っ赤な羽織を七五三用に縫い直した。(お祖母ちゃんが何処かに頼んで縫ってもらった。)
頭をアップにしてもらうので、美容院に予約。その隣の写真館にも予約。
ねこ吉は、大忙し。
転校してまもない娘は友達もいなくて、同じクラスの男の子に誘われるまま近くの駐車場で遊んでいたらしい。
ピンポンが鳴って、ドアを開けたら、こめかみから、頬にかけて擦りむいてエライ顔になった娘が立っていた。
駐車場で転んで砂利で思い切り擦りむいたらしい。
どないするの!その顔。
派手な顔だけど、傷は浅かったので、予定通り着物を着て七五三に行った。
3歳だった息子にも紺のかすりの着物を着せた。
お参りは帝釈天に行った。
翌日は、傷の上にドーランを一杯塗ってメイクしてもらい、娘は舞台で踊ってた。
出来上がった写真を見ると、うっすら傷が見える。
修正しきれなかったんだね。
今なら、ねこ吉でも、アプリで傷を消せる世の中です。
息子は、5歳で七五三をした。
羽織、袴は写真館で貸してくれた。
凄く緊張する息子は、羽織袴を着せられて、カチカチに顔がこわばっていた。
写真を撮ったらすぐ脱いで、娘とお揃いのブレザーに着替えて、また帝釈天にお参りに行った。
ブログ書くのに、色々思い出した。
「可愛かったな、子供達。」などというと、「過去形かよ。」と思い出話が嫌いな息子は怒る。
遠い、遠い、昔の話だね。