(機銃掃射の跡の跡です。)
今日は、アイセンターに術後検診に行く日。
本来なら、30日に行くはずだったんだけど、1日に4回点す目薬が足りなくなってしまったので前倒し。
予約時間は1時半。
少し早めに家を出てきた。
「神戸・昼から散歩」というブログを見つけたのは、宝島池公園でバンの雛を写真に撮って、習性などを調べている頃。
その他、阪神間の神社仏閣などに出かけたことなども書かれていて、ねこ吉にはとても役に立つブログだった。
しっかりお気に入りに入れて、ほぼ毎日チェックしています。
その方が、8月23日のブログに「三ノ宮駅高架橋の機銃掃射の跡」という記事を書いておられた。
そこには今も生々しく機銃掃射の跡が写った写真が載せられていた。
写真を見て、この場所なら、ねこ吉は何度も通ったことがある。
阪急電車の東口、JR三ノ宮西口から、JR三ノ宮中央口に向かう陸橋
今日は、是非ねこ吉も見てみたいと思って、探しながら陸橋を渡った。
スマホなのでフェンス越しにしか写せなかったけど・・・。
機銃掃射とは、こんな分厚い鉄をも打ち抜くんですね。
神戸大空襲の時でしょうか?
義母から、命からがら皆で逃げ回ったと聞いた。
どれだけ悲惨な状態だったか、耳を塞ぎたくなるような話を聞いた。
その義母も3年前に亡くなった。
穴を塞ぎもせずに、75年も高架橋を使用しているんですね。
75年の間には何度もペンキを塗り替えたと思います。
ペンキを塗った人は、これが戦争の爪痕だと気づいたでしょうか?
何とも言えない感情、ねこ吉の乏しい語彙では表現できないです。
ねこ吉は、高架橋の上をを走る電車に乗って三ノ宮に来ました。そして、帰ります。
追記
穴を塞ぎもせずに、75年も高架橋を使用しているんですね。
75年の間には何度もペンキを塗り替えたと思います。
ペンキを塗った人は、これが戦争の爪痕だと気づいたでしょうか?
何とも言えない感情、ねこ吉の乏しい語彙では表現できないです。
ねこ吉は、高架橋の上をを走る電車に乗って三ノ宮に来ました。そして、帰ります。
追記
神戸大空襲で、義母の妹は逃げるときに何故か水の入ったヤカンを持って家を出てきてしまったらしい。
阿鼻叫喚の中、義母と妹何とか逃げきった。
重傷を負った見ず知らずの人が水を欲しがり、妹はヤカンの口から水を飲ませてあげたら、そのまま亡くなったらしい。
義母は「末期の水になってしまった。」と言っていた。
コメント有難うございます。
場所は目立たない所でしたが、まさか三ノ宮駅の高架橋が穴が開いたまま75年も経っているなんて知りませんでした。
上手く気持ちを表現出来ませんでした。
ねこ吉は怖がりで悲しい話が嫌いですから、先週の「エール」は敢えて見ませんでした。
時代が変わったんですから、自分も変わらなければ生きていくのは大変だったと思います。
けいこ様のお母様、素晴らしい!
そんな場所があるのてすねー。
私の母は戦時中は日本に上陸したら薙刀で敵を倒す覚悟だったと、まだ少女だったのにーー。しかし 戦後は進駐軍の(今の東京駅にあるkitteキッテ)英文タイピストになりました。
逞しい人だと我が母ながら思いました。