寝転んで空を見る

山高きを厭わず 海深きを厭わない

春が来たよ・・・

2013年03月08日 | その他

春が来た♪春が来た♪何処に来た♪

鼻に来た!

目に来た!

のどに来た!

 

今年は、すっごい花粉飛んでる。

4月後半まで憂鬱・・・

てか国は、なんか対策とらないんかね?

もう公害と言って良いレベルでしょ?

 

5月になったら山行こう!(杉ばっかりの山は美しくない!)

釣りに行こう!

これを楽しみに花粉の嵐を乗りきるしかないね・・・


木花開耶姫

2013年03月03日 | その他

3月1日の朝、不思議な夢を見た。

 

夢の中で俺は、霧と高い木々に囲まれた赤く長い柱の上に建つ御社』を見ていた。

『こんな神々しい雰囲気の神社は初めて見た!』

『スゲーな!なんて厳かな雰囲気だ!』

そう呟く俺。

その時、ふと視線の左上に何か動く物が目に入る。Syaden_1

『?』

目線をを上げると『緑色の龍』がグルグルグル!うねりながら空を飛んでいる!

しかも、その龍の背には赤と白の着物を身に纏った女性が乗っているのだ。

驚いた俺は

『ええ~? 龍!龍!』

空を指差し叫んだ!

俺の背後にいた老人二人(観光客)に教えたのだが、二人には見えていない様でキョトンとしている。

『あ、あれ?ヤバイ、俺おかしいヤツに思われる?』

まずいので、だまって一人、龍を見ていると、突然龍は急降下して左の方へ下りて消えた。

急いでその場へ駆けつける俺、そこに龍の姿は無く、その場には小さな祠と祠の前に陶器製?の女神の様な像があった。

 

とまあ、こんな夢を見た訳。

今まで、夢に『神さま?』見たいな者が出て来た事は無い。

そもそも『宇宙をコントロールする力の様な存在はあっても、人の形をした神なんて居ない』

そう思っている俺である。

しかし、この夢はインパクトがあり、暗示?的な部分が気になったので、少し調べて見た所、面白い事が出てきた。

 

それは・・・

随分前の話らしいが、とある人が旅客機の窓から富士山の写真を撮ったところ、龍に乗った女神が写ったと言う話し。

写真は実物が残っているのか良く解らないのだが、その龍と女神を絵にした物が残っている。

その絵が夢で俺が見たものに近いのだ。

その女神とは、『花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)』だと言うのだ。(富士は花咲耶姫の化身と云われる)

 

更に・・・

実は俺、この美しい名を持つ女神さまには、随分と前から心を惹かれるのである。

中学の時、竹取物語に出てくる『かぐや姫』は『花咲耶姫』と同一の人物との説があると聞いた時から

何故か心に、この女神の名が心に刻み付けられた様で・・・(もう名前が良いよね)

 

はたまた、知らない所で縁があったりもする。

これは今年の初詣の際に知った事で・・・

幼い頃、よく父に連れられて行った神社にも、初詣で行くよく行く神社にも『花咲耶姫』が祭られていたのだ。

そして、この女神様の化身と云われる『富士山』が大好きな俺。

その富士山頂には浅間大社奥の宮があり、そこは富士登山の最、御来光の時間まで風を避けている場所でもある。

(因みに、そこで少~し妙な写真が取れた事もある)

 

そんな事もあり、夢に出てきた神社は『木花開耶姫』を祭る静岡県富士宮市の『富士山本宮浅間大社』では無いのか?

ふとそう思い、行った事の無いこの大社のHPを覗いて見る事にした。

上の写真参照

すると、其処には俺が夢で見た『赤く長い柱の上に建つ社』に良く似た建物と、風景があった。

ビックリ!

 

夢で見た御社は、→写真の後ろの高い建物だけであったが・・・不思議。

こんな事ってあるんだなぁ

 

そう言えば、今年の正月『木花開耶姫』の御社に手を合わせた時、俺はこう女神さまに話しかけていたのだだった・・・

貴方の名前は以前から知っていましたが、あなたが此処に祭られているのは知りませんでした。

幼い頃よく此処に遊びに来てたのにね!

俺は貴方の化身と言われる富士の山が好きで、良く登ってるんです。

今年は久々に登ろうと思っています。

貴方は、咲き誇る桜の様な美しさだそうですね?

勿論、男なんで美女は大好きなんですよー

桜も富士も大好きです。

ある意味、俺は貴方に恋をしてると言えるのかもね・・・

こんな罰当たりな事を、願いを言うでもなく、心の中で語っていたんです・・・笑

 

神なんて、過去実在した人間を神に祭り上げた物。

若しくは、人が作り上げた物。

そんな風に考えている俺が今回見た夢。

何を意味しているのか?

う~む気になる、桜の花が咲く頃に『富士山本宮浅間大社』へ行って見ようかね。

 

そう言えば『二つの月』にも、かぐや姫の事、書いたっけなぁ

~追記~

俺が夢で見た?富士山浅間大社本宮の社殿は慶長九年に徳川家康が造営した物で浅間造と云うらしい。

浅間造は、社殿の上にさらに別の社殿が載った二階建ての建築様式で、神社建築としては特殊な形式だそうだ。