前回の続き。
若き日の信長が自作して愛唱していたもう一つの唄。
それは・・・
『死のふは一定、しのび草には何をしよぞ
一定語りをこすよの』
と言う唄です。
唄を訳すと・・・
『死が人の運命ならば、生前の思い出に、何をしておこうか
人はそれをよすがとして思い出してくれるだろう』と言う感じである。
俺、織田信長と言う男は自分の人生に自ら使命を与えて居たのだろうと感じた事があります。
それは信長がこの後行った数々の改革・革新を知れば間違い無い事でしょう。
しかし殆どの人は信長がどの様な事を行ったのかあまり、いや殆ど知らないんですね・・・。
比叡山焼き討ちとか、一向宗門徒を何万人も殺したとかしかね(笑)
そのお陰で今の日本に信教の自由があり、政教分離がなっている
宗教戦争とは無縁でいられる事実・現実を多くの人は知らない・・・。
それが残念。
ああそうそう、信長が自らに課した指名とは?
恐らく地獄の様になったこの国を、楽土に変える事だったであろうと思います。
その為に、自ら茨の道を行って居るのが分かります。
もう、あえて血みどろの道を行ってますからね。
その信長の思想を具現化したのが近江の安土城だと言われています。
と、言う事で信長が天下取りを宣言した岐阜城跡。
信長の思想を具現化したと云わる安土城跡へ、プチ旅へ行って来ます。
まあ、去年も行ったのですが今回も信長と語り合った男ルイス・フロイスの日本史を片手に行ってきます。
その後は、信州伊那へ行って、蜂の子やざざ虫の珍味を購入したいんだけど・・・
日程天候がちょっと厳しいかな~。