お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

テレビ局の「制作」の実態は・・・

2005年05月12日 | テレビ
テレビ局を志望する若者が多い。一度、僕も、うちの会社の就職セミナーで話をした事があるのだが、テレビ局の生々しい実態を書いてみよう。
「芸能人や有名人に会えるから」等という動機で、テレビ局を受ける人は止めた方が良いだろう。そんなミーハーなものではない。僕はテレビ番組の制作を20年やっていたから、経験で言わせて貰うと、番組作りは「地を這うような仕事」である。「芸能人や有名人」はテレビ局にとって、「商品」である。どんな職業でも、「商品」に手をつけてはいけない様に、テレビ局でもその価値観は一緒である。
「番組を作る」という事は、一から「ものを作る」という事なので、企画を考える時は、「血を吐く」ほど悩む。番組の打ち合わせの数は、その番組が大きくなればなるほど、多くなり、細分化する。例えば、連続ドラマで言うと、収録が始まれば、休みはほとんどないし、時間も非常に不規則である。編集などで徹夜もする。当然、デートの約束などできるはずもない。
1クール、プロデューサーをやったら、ストレスで5キロは太った。食べる事、飲む事でストレスを発散するか、買い物依存症にならざるを得ない。
もちろん、面白い番組、街で噂になる様な番組をチームで作れたら、その喜びは大きいが・・・そういう番組ばかり作れる訳も無く、視聴率が低迷すると、「針のムシロ」である。
アルコール依存症になりかけた事もあった。視聴率が出る、前の夜は眠れないので、酒をあおる様に飲み続けていたからだ。
悪い事ばかり書いてきたけれど、「好奇心」が強くて、いろんな才能を持っている人と「自分しかできないユニークな番組をつくってやる」という奴は大歓迎である。
テレビというメディアは、老若男女が見る媒体である。だから、「好奇心のアンテナ」をできるだけ広く拡げて、時代を感じ取り、それを一旦噛み砕いて、一人でも多くの人が分かる様に番組を作っていかなければならない。特にゴールデンタイムという時間帯では。
テレビ・テレビ局に関して、質問があったら、コメント下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつも行っていた店があの日、突然無くなった。

2005年05月12日 | エッセイ・日記・意見
前の、その前の場所に会社があった時、目の前に、雑貨の安売り屋があった。名前は「ビッグワン」。電化製品から文房具まで、安売りしていた。アイデア商品もあった。その店でよく衝動買いをしてしまったものだ。当時の会社のそばに、大きな本屋さんが無かったので、その店にフラリと入っていたのかもしれない。
その店は突然倒産した。「ビッグワン」という今ひとつコンセプトの分からない安売り屋のチェーン店は、「長崎屋」の子会社で、連鎖倒産したのだった。
本当に突然だ。何の前触れも無く、店は亡くなっていた。あの店で働いていたオジサンたちは今、どうしているのだろう。僕の「憩いの場」だったのに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人間の五感」は大切だ。

2005年05月12日 | エッセイ・日記・意見
今、レコードが廻っている映像が突然、思い浮かんだ。レコードを聴くという事は、「聴覚」に訴えかけるという事だが、「針」がレコードの端に乗り、曲を流しながら、段々と針がレコードの内側に吸い寄せられていく・・・「視覚」にも、訴えかけていたのだ、レコードというものは。ところがCDになり、MD、そして、音楽がデータになって、「聴く」様になると、この「視覚」の部分が無くなってしまった。このことはもしかしたら、大きな事かもしれない。「人間の生きている実感」は、「五感にどれだけ、いろんなものを感じれるか」である。人類は、「文明」というもので、「五感に訴えるもの」を少しずつ無くしていっている様な気がする。
「キャンプファイアー」って、盛り上がる。何故か、興奮する。「火」というものが「視覚」に強くアピールし、燃える匂いが「嗅覚」を刺激し、パチパチと燃えている木のはぜる音が「聴覚」に訴えかけているからだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死の恐怖を感じる人」「感じない人」

2005年05月12日 | エッセイ・日記・意見
何故、僕は「不安」を感じるのだろう。それも、「なんとなく感じる不安」である。考え抜いた結論は、「死に対する恐怖」の様な気がする。仕事でも、何でも、「うまくいかないのではないか?」→「自分の心身が『死』の危険にさらされるのでは・・・」→「とりとめのない不安」という流れで不安が出てくるのである。
つまり、人間には二種類あって、「死の恐怖を感じる人」と「感じない人」に分けられると思う。特に、日本には「宗教性」というものが極端に薄いから、「死の恐怖」を受け止めてもらえる要素が無い。
芸能人でS学会等の「宗教」に入っている人は多い。やはり、「芸能人」というのが、「いつ人気が無くなるか分からない」不安定な立場にいるから、何かにすがりたくなるのだろうと思う。
「死の恐怖」を感じない人になってみたい。そしたら、もっと楽しく明るく暮せる様な気がするのだが。
「完璧主義」もダメだと思う。「いろんなところが抜けていて、周りの人がそれをフォローしてくれている人」がいる。イメージ付けの勝利である。「抜け」があると、そこに「愛嬌」が生まれる事がある。そうなったら、大成功だ。「あの人のやることだから、仕方が無い・・・たすけてやるかぁ」となり、本人は多分認識していないにも関わらず、とても「精神的に」楽な状態で仕事ができるのである。でも、この「スキ」を自然と作るというのは、持って生まれた才能なので、僕が努力してその才能を自分のものとするのは無理というものだ。
まあ、「この何とも言いようの無い不安」と一生付き合っていくしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒飲みの僕の「母港」

2005年05月12日 | お酒・焼酎・ウィスキー・ワイン
ブログに「好きな本」や「好きな映画」の情報を載せるというのは、「携帯電話」から、僕のブログを見ている人にとってはわずらわしいものなのだそうだ。昨夜、かなり酔っ払って、「新宿ゴールデン街」のいつもの店に行ったら、「マスター」に言われた。お店に来る電車の中などで、僕のブログを読んでくれているとの事で、読者が増えるのは書いている方にとっても、心強いし、励みにもなる。昨夜は一軒目がイタリア料理店だったので、ワインをしこたま飲み、一緒に行った人も含め、かなり酩酊してから、「ゴールデン街」に行った。最初は銀座で食事をしていたので、自分のホームグラウンドである「新宿ゴールデン街」にたどり着くとホッとする。「新宿・歌舞伎町」は「大阪・ミナミの繁華街」に似ていて、猥雑であり、治安も良くない。きれいでも決して無い。人間のドロドロした欲望が渦巻いている町である。そんな町が僕は好きなのである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする