お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

僕は「掘り出し物」の小説だと思いました。実の兄弟の憎悪が胸が悪くなるほど出てきます。読むのに覚悟が。

2005年05月16日 | 本・雑誌・漫画
黒冷水

河出書房新社

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本当にうまく構成された小説です。人を感動させる為には、こういうプロの構成が必要なのですね。

2005年05月16日 | 本・雑誌・漫画
天国までの百マイル

朝日新聞社

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向田邦子のエッセイは磨きぬかれた極上の一品です。まずはこの本から。

2005年05月16日 | 本・雑誌・漫画
父の詫び状

文藝春秋

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つげ義春は最高です。こんな漫画描ける人、いないっす。

2005年05月16日 | 本・雑誌・漫画
無能の人・日の戯れ

新潮社

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つげ義春、入門なら、この本をどうぞ!
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「高校生クイズ」の本です。「ファイヤー!!!!!」

2005年05月16日 | 本・雑誌・漫画
全国高等学校クイズ選手権―史上最強の指南書

日本テレビ放送網

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「高校生クイズ」に見る、高校生の変遷・・・

2005年05月16日 | テレビ番組
僕は「アメリカ横断ウルトラクイズ」に恋して、テレビ局を受けた。僕がテレビ局に入試やした1980年前半に、「ウルトラクイズ」の兄弟版「全国高等学校クイズ選手権」いわゆる「高校生クイズ」が始まった。当初は年2回やっていたので、今年は第25回の記念大会になる。でも、画面で見ていると、年々、高校生の「元気」や「ユニークさ」が無くなっていっている様な気がして心配だ。参加人数も確実に減ってきている。
「高校生クイズ」が始まったのは、正確には1983年だが、22年前には、「携帯電話」もなく、「パソコン」も「プレーステーション」も無かった。「ゲームウォッチ(今では死語!)」はあったかもしれない。それだけ、伝達媒体も遊ぶものの種類も少なかった。だから、「高校生クイズ」は熱気でムンムンしていたのかもしれない。
今の子供は、「喜怒哀楽」を他人の前で素直に出す機会を失いつつあるのかもしれない。
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「絶望に効く薬」第3巻を読んで、加藤登紀子さんの歌が聴きたくなりました。

2005年05月16日 | 歌・CD
ベスト
加藤登紀子
ソニーミュージックエンタテインメント

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今頃、何故、万博を開くの?????

2005年05月16日 | エッセイ・日記・意見
「愛知万博」に人が入っていないらしい。予想入場数をかなり下回っているという話を聞いた。2005年という、この「未来が見えない時代」に、「ECO」をテーマに万博をやっても、少なくとも僕は見に行く気がしない。こんなに日本中が閉塞感を持っているのに、「人工のお祭り」でも無いだろう。
1970年の「大阪万博」の時、日本は「高度成長期」のど真ん中にいた。日本中が未来を見ていた。今、せっかくの休みの日に、万博まで出かけていって、何時間も並び、何を見たいと思うのだろうか?
入場者の数が予想を下回っているのも分かる気がする。
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「何となく」生きてみよう。

2005年05月16日 | エッセイ・日記・意見
「何となく」生きていくのがいいらしい。「絶望に効く薬」というコミックの第3巻の中に載っていた言葉である。僕はとても、共感した。芥川賞を取った作家で僧侶の方の言葉である。もちろん、仏教には「無」の境地というものがあり、7日間絶食して、体の中からあらゆるものを吐き出し、いろんな「世界」に踏み込んでいくという修行があるらしいのだが、俗人で「無」の境地まで達するのはかなり難しい。
「何となく」生きていく・・・というのは、「森田療法」という心理療法の「不安」を持ちながらも、生き続けてみるという行為に近いのかもしれない。先週の半ばから、かなり、煮詰まっていた僕だが、この「何となく生きる」という言葉に強く惹かれた。後は、「運」と「縁」だというのである。その通りだと思う。「ジタバタして生きて」も、そんなに結果は変わらないか、下手すると、悪くなる可能性が高い。ゴルフの様なものだ。
今度、ゴルフをする際には、「何となく、ゴルフをしてみよう」と思っている。
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