手さぐりブログはじめました!

足の向くまま、気の向くままに!

島原城に途中下車です

2014-09-24 08:52:54 | 日記


 熊本よりフェリーで対岸の島原へ渡る・・今日の宿泊は長崎の予定。


           

 近づくと幽かに城らしき建物が見えて来た。
 右の写真の真ん中の山はどうも普賢岳の様だ・・あの山が無ければ長崎まで真っ直ぐ行けるのにと思ったが、トンネルを掘ったりしたら溶岩が噴き出るとは竹さんの弁。


          

 寄る予定では無かったのだが、ナビで案内された通り道でついでに(失礼だが)寄る事にしたのです。
 本当は原城跡に行きたかったのだが、時間と距離の関係で断念・・入り口で駐車料金を払い、中でトイレを借用したのです。

 石高(4万石)の少ない藩が見栄を張り、こんな城を造ったりして領民を苦しめたのが島原の乱の発端とか・・その仕打ちがあまりにも残虐でここに書けないのです。
 対岸の清正公が400年後の今でも慕われているのとは天と地の差があるのです。

 *乱の後に領主は罪人扱いで処分され変わっているのだが、この建物を見たら今でも分不相応な箱物行政に思えてしまったのです。
 申し訳ないのですが、ただの観光施設に見えてしまいました・・しかし見方を変えればこの地にはこれしか人を呼ぶ観光資源が無かったのかも知れません。
 よそ者の勝手な思いで、今の島原城関係者には全く迷惑な話であるかも知れません。

 *パソコンで検索したのだが、島原の乱で半島の住民はほぼ全滅し、後から来た領主は各地から移住を奨励して、結果この地域には色んな方言が混ざっているとか・・あ~、なんと言えばいいのでしょう?コメント出来ませんね、凄過ぎます!
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(清正公)さんの熊本城

2014-09-23 16:33:08 | 日記


 今から400年前の武将が今でも(清正公、せいしょこさん)と好意を持って語り継がれているのです。
 今回訪ねてみたかった熊本城を築城した加藤清正公のことです。
 大河ドラマでは佐々成政が一揆の責めをを負い切腹させられたのだが、その後に領主になったのです。

 ガイドの人は長く統治した細川氏(末裔が元首相)の事にはほとんど触れませんでした・・ただ宮本武蔵を賓客として処遇したそうだ・・今度は巌流島に行ってみたいものです。
 細川さん、平和の時代には何も無いのがいいのかも知れませんね。

            

 西南の役で西郷軍に攻められても持ちこたえたと言われているが、流石に広い、いやはや本当に広いのです。
 ガイドさんの説明では城の手前の田原坂で食い止めたのそうだ。
 石垣の色の違いは、水害で水没した跡では無くて雨に当たった所とそうで無い所の違いだそうだ・・非常に簡単な違いなのです。


            

 ただ小高い山のお城でりっぱな塀垣と掘は有るのだが、なんと空堀なのです・・外堀、内堀には満々と水を湛えと・・と思っていたのに、これには驚かされました。
 堀の水はただの水溜りなんだそうです・・ハイ。

 *きれいに刈り込まれているお堀の芝や草一本生えていない石垣などきちんと手入れされていました・・駐車場には多くのバスや車が停まっていました。
 ガイドさん(無料)もいて本当にウェルカムの気持ちが伝わりました。
 今、大河ドラマで主役の黒田官兵衛の居城はどんなかとわくわくして来たのです。

          

 写真の建物だけが当時のもので、後は鉄筋コンクリートの造りです・・中に入るとすぐ分ります。
 昔の建物の階段は木造で急な為、手すりに掴まらなければ登れません。

 *わずか二代で改易になり、三男忠広が出羽庄内藩に預けられてその家系は酒田市に続いていると言われているのです。

           
 
 
 なんと清正公の遺骨はその際に移されていて(曹洞宗天澤寺本堂)、この墓は昭和24年(1949年)に発掘され、九州肥前弓野焼きの壷に納めた遺骨と鎧が発見されたとか。
 上杉謙信の遺骸も上越の春日山から米沢に移されていると言うから、そうで有れば驚きです。
 
 熊本から隣の山形県酒田にドラマが移ったみたい・・虎退治の清正公の末裔が藤沢周平の小説海坂藩に仕えて活躍なんてドラマになりませんかね?
 昨日「柘榴坂の仇討」を見て来たのですが、こんな映画が有ったら面白そうです。
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新潟再発見!です

2014-09-23 10:29:39 | 日記


 昔の柳都と呼ばれた新潟の風景だそうだ・・今は堀は埋め立てられて昔の面影はほとんど感じられない。


           

 みなとぴあから出発してすぐにこんな道路が出現した・・歩道の脇に人工の水路が巡っているです。
 もちろん水深はとても浅くて、子供達の水遊びに最適?・・と思われたのだが、街路樹は植えられて日が浅くて日陰は無い。
 真夏に子供に水遊びをさせるにはもう十年位かかりそうだ・・「早川堀」と言うのだそうです。

          

 水路脇にこんなのが有りました・・遊び心でいいですね。
 新潟にこんな場所が有ったなんて知りませんでした・・もっとPRしてもいいのでは。


          

 昔の長屋だそうで、今でも住んで居る人がいる様です・・昔はいっぱい立ち並んでいたそうです。


             

 この瓦屋根の飾り物はなんと呼ぶのでしょうか?うだつとは違う様ですが、お金持ちの道楽でしょうか?
 住んで居ないので聞くことは出来ませんでした。

            
 
 右の写真は旧小沢家住宅(廻船問屋)で、所有者より新潟市に寄贈されて市の文化財に指定されている・・当時の所有者は衆議院で厚生大臣を務めた故小沢辰夫氏。
 左は昔の料亭でいい雰囲気を出しています。


            

 工夫を凝らした色んな作り方をした建物があったのですが、ここでも住んで居ないと思われる家が見受けられたのです。

           

 新潟市民なら知っている高級料亭・・のれんに壽の字が見えたのでお祝い事が有ったのでしょうか?


           

 前の小路を行くとこんな感じですが、右の料金程度ならば私等でも行けそうです。
 昔新潟に戻って就職した頃は景気が良くて、この界隈(もちろんあの料亭では有りません!)でうろちょろしていてたことが思い出されます。
 入ったお店に高校の柔道部でクラスメイトだったK君(後に駅前に自分の店を持っていた)がいて、色々教えてもらったりしたのですが今は亡くなってしまったのが残念でなりません。
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佐渡汽船出港!

2014-09-22 12:02:05 | 日記
          

 昨日、新潟市のボランテァガイド研修生による”新潟島、下町から花街まで”のまち歩きに参加・・車で言えば仮免許の道路実習?でしょうか。
 ガイド一人にモニター客(既に他でガイドをしている)一人が二人で、頼まれて参加したのです。

           

 集合場所が新潟市歴史博物館”みなとぴあ”で目の前の信濃川の真ん前が佐渡汽船のターミナルで、時間が有ったので眺めていたら丁度出港の時間でした。
 この様な船は自前でターンで来るのです。


            

 暇なもので撮影してみました。

           

 左前方には小樽行きのフェリーが停泊、右側に見えるのは朱鷺メッセです。

            

 写真は歴史博物館と移設された銀行の建物で、赤レンガの建物は旧税関とのこと。

          

 昔新潟は堀があちこちに巡っていたのだそうだが、今は埋めたてられて道路になっているのです。
 そして当時の面影を残そうとイメージしてつくられたのがこの水路・・浅い池です。
 ガイドの方が、汲み取りの肥船がしょっちゅう通っていて臭かったと懐かしそう?に話していました。

 
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知覧の武家屋敷

2014-09-21 17:36:32 | 日記
          

 知覧の武家屋敷・・かっては県内に113箇所存在したとか。
 四角い石垣は本家筋で丸い石を使った石垣は分家なんだとか・・昔はその様な格式がうるさかった(厳しかった)のでしょう。


            

 雪国の感覚で驚いたのが雨戸の存在で、廊下(廊下と呼んでいいのか分らないが)の外側に雨戸の敷居は無く、障子戸の脇に有るのです。
 雨の日や夜など普段は閉めなかったのでしょうか?・・聞き忘れてしまいました。
 あまりにも開放的で、流石南国と思った位です。


          

 全部が見学出来る訳で無く、この様に”ご遠慮下さい”のポーズは微笑ましいものでした。
 ここにも中国語を話す団体が来ていました。

          

 鹿児島では黒豚と思っていたのですが、残念ながらお昼に食べたラーメンのチャーシューだけでした。
 でも結構美味しかった・・ただ麺はストレートだったけど。
 唐津で食べたラーメンもストレート麺でした。

 *今は何処へ行っても食べ物は美味しいと思います・・新潟のお米だけが美味しい訳では有りません!!
 でも美味しく無かった(不味かった)?ご飯は何時までも頭に”こびりついて”いるのです。
 
 一位・・去年竹さんと行った北海道比布町の施設のライス・・肉の焼き加減迄確認してたのに.....
 二位・・熊本フェリー内のレストランでのランチのライス・・でも竹さんは完食でした!
 (個人の勝手な感覚です、悪しからず御了解下さい)

 *在職中に新潟県内の色んな地域から(上越と佐渡を除く)毎年お米を買って食べ比べていたことが有るのです。

 *今回もだいぶ目方が増えたので、これから粗食にしなければなりません・・竹さんだけですよ、風呂に入る前に飲んで、風呂上りにも飲んで、夕食でもガッチリ飲んで、帰って部屋でも飲んで、それでいて家の体重計より減っていたなんて、きっと家の体重計が狂っているのでは?
 今頃は家で”ガックリ”しているのでは・・!!
 私は一日目でしっかり増えていました!
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