のぶまさのヒザシマツヤマ(申松山)備忘録

日差しあふれるわが街、東松山を
日を串刺ししてる字「申」をあて
申松山でヒザシマツヤマと褒めたたえています

35歳、お誕生日おめでとう

2024年04月21日 14時50分43秒 | ゲーム
今日が誕生日なんだぁ(^_-)-☆

「ゲームボーイ」生誕35周年!』という記事がありました。
記事によると、
任天堂が1989年4月21日に発売した携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」が、
本日生誕35周年を迎えた。
その年は、1月に昭和天皇が崩御され、元号が「平成」と改められた。
世界では天安門事件・ベルリンの壁崩壊、東西冷戦の終結といった大きな出来事もあった。

「ゲーム&ウオッチ」の携帯性を継承し、
「ファミコン」と同様に専用のカートリッジでゲームを変えられる機能を持った携帯型ゲーム機。
後継機種も含め全世界で累計1億1869万台(2023年12月末現在)を売り上げている。

初代ゲームボーイは、携帯型といってもかなり大きく、価格は12,500円(当時の消費税3%込)だった。
その後ゲームボーイ人気に拍車をかけたのが、専用の通信ケーブルを使った対戦プレイ。
その後9,800円(1993年)→8,000円(1994年)と価格改定され、
1994年には6色のカラーバリエーション機「ゲームボーイブロス」、
1996年にはポケットにも入るサイズまで小型化された「ゲームボーイポケット」、
同年2月27日に「ポケットモンスター赤・緑」が発売されハードの価値が上昇。
1998年には同じサイズでバックライト搭載の「ゲームボーイライト」が発売された。
1998年10月には、カラー液晶・赤外線通信機能を備えた「ゲームボーイカラー」が発売。
21世紀に入る頃には、次世代機「ゲームボーイアドバンス」シリーズへと繋がっていった。
とのこと。

私と梅ちゃんが所帯を持った次の年に誕生したんですね。
わが家にゲームボーイがやってきたのは、『ポケモン赤・緑』の時代。
小学校に上がる直前の長男と私の2台で
▼カセットをのコネクタをふぅふぅしながら、
▼Aボタン連打しながら
通信でそれぞれがゲットしたポケモン交換していました。
やがて、青が出て黄色がでて、私が使っていたものを次男に与え
私はスケルトンにしました。
伝説ポケモン・ミュウをもらいに家族で幕張メッセに行って
私も子どもに混じって列に並びました。
その後、GBA、DS、3DSと新しいものが出るたびに買い替えた覚えがあります。
中国駐在にももっていって、ブラック・ホワイトをプレイしていました。
その時私は50歳を超えてました(^-^;

まさに私の子育ては、ゲームボーイとともにありました。
お世話になりました。
35歳、誕生日おめでとうございます。

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