8月1日
今日から8月になったが、その2017年8月1日がもうすぐで終わろうとしている。PCの調子が思わしくなかった今日、バッテリー交換を行うということで決着。いつかPCのデータ、バックアップをとっておいた方がよいかもしれない。突然動かなくなる日がやってきてパニックに陥ったら元も子もないから。
8月1日、私の住んでいる富山では花火大会が行われる。朝の時点では心配だった天気、だんだん良くなってきて、今日も無事に開催された。自宅から見ることが出来る有難味に甘えて、昨年までは、途中まで見ては中断して他のことをしたりしたくせに、写真だけは撮ろうと意気込んだりしていた。どちらにしても、落ち着きのない鑑賞状態だった。しかし、今年は、なぜか、最初から最後まで、きちんと見たいと思ったので、最初から最後まで、中座もせず写真も撮らずに、部屋を暗くして見た。炎の筋が、下から、すうっと上がっていき、一瞬消え、その数秒後に、溜まりに溜まった、炎のエネルギーが爆発し、夜空に一瞬のうちに開花する、その瞬間の美しさに、毎回、心奪われる。炎の筋、一本でスタートすることもあれば、同時に数本でスタートすることもある。数本でスタートした筋が入り混じり重なり合った状態で花火が広がる瞬間、ほんの数秒なのにもかかわらず、目に深く焼き付けられる。見る側の私たちは、その美しさに浸り、それに伴う心のゆらぎに身を委ねるだけなのだけれど、打ち上げる作業をしている花火師たちはその瞬間体を張って必死なのだろう、と思うと、さらに心揺さぶれれる。限られた時間での極限の美。今、聴く方も弾く方も最もはまっている、モーツァルトのピアノソナタが、頭の中で浮かんだ。夜空や花火から、モーツァルトの音楽が頭に浮かんだのは、今回が初めてだったのだけど、花火とモーツァルトのピアノソナタって、実は合うのではないか、と思えてきた。
その花火を見ながらもう一つのことも思い浮かべた。3年前の今日、私たちは、この地に足を踏み入れた。その時は、これからどのような生活が待ち構えているか、想像すらできていなかった。そしてその日から、3年が経った。早いものだなあ。。。その間、色々あったけれど、今こうやって元気で過ごせていてよかった。